第8話 魔王の望み

 ロガルド王国の偵察部隊を退けた次の日。


 目覚めた私は魔王城を抜け出し、高い場所からセルディアスの街並みを見下ろした。活気に満ちた人々の姿を見て、私はほっと安堵のため息をつく。

 

 魔王の死は、住民の動揺を避けるために伏せられているらしく、街の様子には異変はない。この街の人々は、彼らを守るはずの存在が突然入れ替わったことを知らない。その無知が、彼らを不安から守っているというのはとても皮肉なんだろうけど。


 私も国には騙されてたしそんなものだろう。


「こうして見ると普通の国と変わらないよね」


 ここから見える人々の姿は、誰もが生き生きとしている。子供たちは無邪気に駆け回り、大人たちは談笑しながら歩んでいる。場では商人が大きな声で呼び声を上げていて、屋台から漂ってくる食べ物の匂いが私の方まで届いている。


 ロガルド王国では魔王が侵略を狙ってる悪の国みたいな扱いになっていたので、もうちょっと殺伐とした国家を想像をしていた。

 

 ロガルド王国と違うのは、この国では多種多様な種族が交流していることだ。エルフやドワーフ、獣人など私の国では見たことがない人であふれている。

 

 もちろんこの国にも人間族はいる。ただしロガルド王国では忌避されている黒髪の人ばかりだ。おかげで黒髪になってしまった私も誰にも怪しまれることはなかった。


「魔王の国ってもう少し違った想像してたけど」

『いったいどんな想像してたんだ?』

「クロウ?」


 街をぼんやりと眺めていると不意にクロウの思念こえが頭の中に響いた。

 驚いて見上げると、一羽の鴉のような羽を広げた黒い魔導機マシナリーが高所から舞い降りてくる。

 どうやら、彼は私がどこに逃げても、追いかけることができるらしい。


『まったく、ここにいたのか。危ないから勝手に抜け出すなと言っただろう』

「大丈夫だよ。魔力探知と熱探知は常にし、危ないと思ったらすぐ逃げるから」


 私は胸を張ってクロウに言い返す。

 戦い自体は苦手だけど、逃げ足には自信がある。

 魔力を使って身体を強化できるしね。


『迷子になっても知らないぞ』

「魔王城の機構システムから提供された情報を、魔導情報端末ターミナルに同期させて、視界に投影してるから大丈夫」


 魔導城の機構システムには森の地形情報と同様に、この魔導都市の情報が収集されている。セレネが魔導機械マシナリーを使って情報を更新しているおかげだ。それに魔導情報端末ターミナルのおかげで、自分の位置は確認できる。

 だから私はこの街の地理についてはある程度把握できていた。


 でも、情報で知るのと実際の目で見るのはかなり違う。

 だから自分の目で確かめておきたかったのだ。


『相変わらずフィオナは魔術に関しては、順応するのが早いな』


 クロウの言葉は呆れたようにでありながらも、どこか感心したような響きがあった。


「そんなに褒めても何もでないよ?」

『そもそも何かを出せるほどのものを持ってないだろう?』

「そうだった……」

 言われて思い出した私は、情けなくなって肩を落とした。お金のない生活を改善しようとしたわりに、お金がない状況に陥ってる。


『魔導術式に関しては応用力が高いわりに、肝心なところで抜けてるな』

「私からすると当たり前のことを当たり前にやってるだけ。これで褒められたことはないからね』


 クロウのからかうような言葉に私は口をとがらせる。ロガルド王国では汎用魔術はそこまで重視されていない。

 

 人の手で簡単にできることを魔導術式を使って省略できることにそこまでの意味は見出せないらしい。でも、私にとっては必要なことで、それを使って日々の生活を補っていたのだ。


『必要ないものにはわからないんだろう。おまえの複合探知術式のおかねで良いデータが取れるようになった。夜間の警戒もやりやすくなったしな』

「それはクロウのおかげだよ。あと魔王城の機構システムのおかげ」


 確かにアイデアを提供したが、実際にそれを形にしたのはクロウなのだ。

 彼の力がなければ、私一人ではここまでできなかった。

 そう思いながら、私は再び街並みに目を向けた。

 この光景を守ることが私の役目だとしても、魔王となった私には力が足りなすぎる。


「だからせめて、これからも私をうまく利用してね。クロウならうまくやれそう」

『フィオナにも当然仕事はやってもらうぞ』

「いや、無理だから」

『なにをいってる。甘えるな』

「記録見たけどなんでもかんでも自分でやりすぎなんだよ、前の魔王……」

『そんなに大変なことしているとは思えないが……』


 クロウの感覚も普通とはずいぶん違うらしい。


「やっぱりクロウって、私よりよっぽど魔王に向いてるんじゃない?」


 その言葉を口にした瞬間、クロウに全てを任せてしまえば楽になるのではないか、という甘い誘惑が頭をよぎる。

 しかし、クロウは苦々しさをこめて言ってきた。


『問題に向き合うのと人々と向き合うことは違う。前の魔王は確かに間違いを正すために戦ったが、人々を導くという願いはなかったのさ』

「願い?」

『そう。この国をどうしたいか、だ。それがあって初めて人はついてくる。そういう意味では俺も何も変わらない』

「そんなもんかな?」

『ま、前の魔王が死んだ後にあれだけもめるんだ。人望はなかったんだろう』


 クロウの台詞はどこか自嘲的なように思えた。

 彼はきちんと仕事をこなしてくれて、私にとっては助かっている。

 だから私は思いついたことを言ってみた。


「じゃあクロウは参謀にでもなってよ」

『参謀?』

 クロウの返事には、少し興味があるように思えた。


「私は願いがあるからね。クロウは願いを叶える役!」

『……ほう。一応聞いておくが、フィオナの願いとは……?』

「誰もがのんびり暮らせる国が良い。もちろん私も含めて!」

『いや、サボるなよ』


 クロウからは残念なものを見るような思念が帰って来る。


「いや、適材適所で仕事をうまく割り振るのも魔王の役目だよ?」

『本音は?』

「……いや、さすがに前の魔王と同じように働くのは無理。もうちょっとゆっくり寝たい……」


 それを聞いたクロウの思念こえは、ため息をついたように思えた。


『やれやれ。ワガママでポンコツな魔王だと国が滅ぶかもしれないな』


 皮肉を言うクロウに、私は冗談めかして両手を広げてクロウに言い放つ。


「そう。だからだよ、クロウ。この国を滅ぼされたくないなら我に従うが良い」


 満面の笑みを浮かべて言うと、クロウは一瞬何を言われたのかわからないように押し黙る。しかし、次の瞬間には圧のこもった思念こえが返ってくる。


『……そうか。セレネに今の台詞を言いつけて、今日の夕飯は抜きにしよう』

「やめて、それだけが今の楽しみなのに!」


 クロウの容赦ない反撃に私の悲痛な声が響き渡った。


 ◇


 私たちが執務室に戻った後、レオとゼファーの二人を呼び出した。

 前回の円卓会議のことを思い出すと憂鬱だけど、彼らは私の円卓の中でも、特に戦いの方面では無視できない存在だったからだ。

 わざわざ報告しなくても、今回の件も把握しているのだろう。

 それでも二人を呼んだのは、別の理由があったからだ。


「これで私が傀儡の王ではないと証明できたかな?」


 私が戦場で見せた戦いぶり──正確には魔導機巧マシナリーの活躍だけど──を伝えると、そう締めくくった。

 少なくともセルディアスを守る力があることを示せたことに、私は内心ほっとしていた。


「ははは、確かに傀儡ってがらじゃないな。嬢ちゃん、悪かったな。俺の勘違いだったな」


 レオは豪快に笑いながら、私に謝罪の言葉を述べた。その笑顔に、私はちょっときょとんとした。


「レオ、笑いすぎだ」


 そんなレオの様子を見て、ゼファーが呆れたように言う。 

 ゼファーたちダークエルフは長い年月を生きており、近隣の森のことを知り尽くしている。

 一方、レオは付近一帯で魔獣狩りや護衛を請け負う旅団の団長を務めており、特に魔獣との豊富な実戦経験がある。

 何かを決めるにせよ、彼らの意見は聞いておきたいんだよね。


「レオ。あなたの提案は一部は受け入れますよ、レオの部隊にある程度は常駐してもらおうと思います」


 セレネはレオに向けて言葉を続ける。

 レオは先日の会議で防衛を任せるよう提案してきた。

 その提案の一部を認めることにしたのだ。 


「どういう風の吹き回しだ?」


 レオが興味深そうに眉を上げる。


魔導機巧マシナリーは単純な命令は聞けますが、敵兵を捕らえたりまでは無理ですしね」

 セレネが話した魔導機械マシナリーの特性について、レオは理解したように頷く。けれど、その目には物足りなさが宿っているように見えた。

「ほう。でも魔導機巧マシナリーでも王国の兵士相手なら十分なんじゃないか」

「生死を問わないならそうだと思うけど、魔導機巧マシナリーに命じて敵を自動的に殲滅するってのはさすがまずいと思うよ」


 私は口を挟む。

 それが行き着く先はたぶん、果てしない戦いの世界なのだろうと私は思う。


「けど、戦いを命じるというのはそういうことだぜ」

「少なくとも私が魔王のうちは大規模な戦争なんかはしたくないからね」


 私はその視線に負けないように言い返す。

 こちらからロガルド王国を攻め入るメリットほぼないからだ。むしろ影の森で防衛に対して優位性を発揮できているという面もある。


「もちろん攻め込んで来たら対応はする。でも、こちらから攻め込むつもりもない」

「その方針自体は別に反対はしねえぜ。でも常駐させるってことは他に何かあるんだろ?」

「魔獣の討伐を先回りしてやりたいのよね。レオが普段。出動してるのはそういう依頼を受けてるからでしょ?」


 それを聞いてレオの表情がわずかに緩んだ。

 私の言葉が彼の疑問に答えたようだ。彼の部隊は依頼を受けて魔獣討伐に出動している。

 つまりその必要性があるということだ。


「魔獣への対処として、部隊を配置する。これは仕事として依頼します。当然必要な物資はこちらで準備させてもらいます。連絡や偵察にはこちらの魔導機巧マシナリーを貸し出し、命令権も譲渡。これでどうですか?」


 セレネの提案にレオは目を丸くした。

 予想を超えた支援の申し出に驚いたのだろう。

 けれど、すぐにその表情は笑みに変わった。


魔導機巧マシナリーも扱うには育成が必要だと思うので、後でこちらから人を派遣するよ」

「わかった。頼んだ」


 レオの力強い返事に私は少し微笑んだ。


「ゼファーはどうだ? 魔力さえあれば誰でもできると思ってるって言ってたが」

「その考えは変わらない。前の魔王がやってたことを、いきなり来て簡単に引き継げるとは思わないからな」


 レオはゼファーの言葉を引用しからかうように言ったが、ゼファーは憮然とした表情で言葉を返した。

 

 何かを成すために汗を流すつもりがない者の言葉なんて届かないのだろう。

 彼らは少なくとも血と汗を流すことを知ってる。

 そういう人たちに言葉だけの説得は無意味なのだろう。

 ……まあ、私もそうだったからね。


「だったらゼファー、私を手伝ってくれない?」

「どういうことだ?」

「私が気に入らないなら、近くで監視すればいいでしょ? それに貴方には貴方の考えがあるんでしょ」

「……ふむ」

「私に賛同しないのは良いよ。でも、貴方は何をするつもりなの?」

「……というと?」

「意見が違うなら説得すれば良い。問題があるなら正せば良い。でも単に認めないって言われても私にはわかんないよ」


隠しても仕方ないのでいっそ本音を言ってしまうことにした。


「どのみち私を王の座から追い落としたくても魔力容量が少なければ魔王の責務には耐えられないらしいからね」


私の説明にセレネが補足する。


「魔力容量が足りないものが王になれば、遠からず魔力欠乏に陥ります。実は前魔王も無理してましたからね」

「まったく、あいつは……」


ゼファーは言いかけて、言葉を飲み込んだ。


「俺の考えはあるが、それでうまく行く保証はないぞ」

「それは私が責任は取るよ。私が失敗したなら捕らえて幽閉するなり斬首刑にするなりすれば良い。私には直接の戦闘能力はないからね」

「魔王様!」


その言葉を聞いて、セレネが抗議の声を上げる。彼女の心配そうな表情に、私は大丈夫と小さく微笑んだ。


「そもそも私の方針が不満なら、私より魔力を鍛えて魔王の座を奪い取れば良いんだよ。毎日魔力を使っていれば、魔力の容量も増えるはず。あなたはダークエルフで、私より遥かに長い寿命があるんでしょう? いずれ追い抜けるよ」

「む……」


 ゼファーは一瞬黙り込む。そして、何かを言いかけるが、レオが間に割って入った。


「ゼファー、諦めな。この嬢ちゃん、本気なんだ。下手に反発するよりは、うまく付き合った方がいいぜ」

「今の状況なんて誰も想像なんてしてなかったでしょう。私だって王になりたかったわけじゃない。でもここで放りだしたら弱い人に皺寄せがいく」

「そのために必要な人がいれば利用する。貴方だって私を利用すれば良い。それに貴方がセルディアスの民を全部背負うつもりがあるなら、私は喜んで王座を譲るよ」

「王座を譲るなど簡単にいうものではない」


 ゼファーが一瞬呆れたような顔をしたが、私の顔を見てため息をついた。


「だが俺が何もしないというのは心外だ。いいだろう。おまえの話に乗ってやろう。責任を取るというその言葉、忘れるなよ」 


 ゼファーの挑むような視線を受け止め、私は深く息を吸い込んだ。

 これが魔王としての第一歩。

 自分にできることなんて対して多くないのだから他人の手を借りるしかないのだ。


『ようやく覚悟ができたようだな』


 クロウの声が頭の中に響く。その言葉に、私は複雑な思いを抱いた。


「あのね。覚悟なんてできるわけないじゃない」


 私の声は少し震えていた。

 本当のところ、私はまだ怖かった。魔王という重責、そして予測できない未来。

 その全てが私を不安にさせるのは確かだ、


「でも、みんなが手伝ってくれるんでしょ?」


 私は深呼吸をして、自分の気持ちを整理した。


「一人じゃできないから、みんなの力を借りるしかないんだよね」


 そう言いながら、私は自分の手を見つめた。

 この手で何ができるのか、まだわからない。

 でも、手を伸ばすことは諦めたくない。


「というわけで、私のことをほっといたら国が滅ぶかもしれないから、みんな協力してね」

『やれやれ、仕方ないな』


 クロウの返事に、私は小さく笑った。

 まだ不安はあるけど、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

 完璧な魔王になんてなれなくても、一歩ずつ前に進んでいくしかないのだ。

 そう思えた瞬間、私の中に小さな希望が灯った気がした。


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虚構聖女と魔導仕掛けの支配者 黒鋼 @kurogane255

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