第7話 魔導機巧と戦を望まぬ魔王

 夕陽で赤く染まった空の下、《私》というよりも私の分身──魔導機巧マシナリーは空を駆けていた。


 魔王城の機構システムの一つ、魔導接続マギアリンクを使って、はるか遠くにある魔導機巧マシナリーと同調し、感覚を共有している。


 上空から見る古代魔導都市セルディアスの周囲の影の森シャドウウッドは視界いっぱいに広がっていた。

 

「わー、こんな景色は下からじゃ見られなかったな」

 広大な森の光景に、私は思わず息を飲む。


 影の森シャドウウッドは整備された街道はない上に起伏が激しく、馬や馬車をはじめとする移動は難しい。その上、数多くの魔獣がその領域内に生息している。この深い森はこの国を守る形になっていて、外からの侵攻を阻んでいる。 

 

 一方で、その広大な領域を効率よく守り続けるというのは潜入するよりも難しいと思ってた。

 けど、こんな便利な手段があるなら話は別だ。


「はあ、そりゃ侵入もばれるよね。やたら戦いに巻き込まれてたのもこれが原因だったのかあ」


 勇者一行としてこの森に侵攻した時、どうやって広大な森でこちらの位置を見分けてるのかと思ったけど、こうしたカラクリがあったわけだ。

 

 今の私が使ってるのは、隼型ファルコンと言われる飛行用の魔導機巧マシナリー

 その名の通り、鳥のように自由に空中を飛び回ることができる。


「調子はどうですか? 魔王様?」

「最初はちょっと酔ったけど、わりと慣れてきたかも」


 《私》は思いついたかのようにそのまま急降下して地上付近に降下する。

 時には地面すれすれを、時には急旋回をして軽やかな動きをしながら木々の隙間を通り抜ける。

 慣れるまでは難しかったけど、操作方法自体はアーカイブから読み取っている。

 

 あとは細かい魔力をどううまく制御するかで、こうした小規模の魔力の細かい調整は私にとってはかなり楽だった。

 

「えっと、魔王様の魔導機巧マシナリー、なんか変な動きしてないですか?」

「風を操る汎用術式を合わせて使ってるからね! あの術式、掃除する時にもわりと便利なんだよね」

「なんというかかなり変わった使い方していますね」

「あー、孤児院で小さい子にせがまれて遊びでよく使ってたからね」


 この術式で生み出す風は人を吹き飛ばせるようなものではない。

 しかし、空気を押し出して軌道を変えたりするのは十分だ。

 そうやって紙で作った鳥を飛ばしたり、花びらや落ち葉を舞わせたりしてよく遊んでたものだ。


『遊んでる場合か。見えてきたぞ』

「わかってる。もう探知術式に捉えてるから」


 クロウの声に再び意識を集中させる。

 再び空に舞い上がった魔導機巧マシナリーから、侵入者たちの姿が見える。

 さあ、作戦がうまくいけば良いんだけど。


 ◇ 

 

「私が制御している魔導機巧マシナリー魔導接続マギアリンク、魔王様にも一部譲渡しますね」


 セレネの声とともに、私の意識に複数の魔導機巧マシナリーの視点が同時に脳裏に広がる。

 魔導機巧マシナリーからのフィードバックが、私の中で統合されていく。

 最初は圧倒的な情報量に戸惑うが、徐々に全てが整理されていく感覚。


「それでは作戦、開始します」

 セレネの声が響く。

 私の心臓が高鳴り始める。

 

 森の中、野営の準備をする一団が見えた。

 鎧に身を包んだロガルド王国の兵士たち。

 彼らの顔には疲労の色が濃く、警戒するように周囲を見回している。


 最初の魔導機巧マシナリーが、流体魔素のつまった容器を落とす。

 兵士たちの荷車や天幕の上に、それが音もなく着地する。


発火イグナイト

 私の言葉と共に、それらが炎に包まれた。


「うわっ!」

「火事だ!」

「水を!水を持ってこい!」


 兵士たちの慌てふためく声が聞こえる。

 彼らの動揺した表情が、魔導機巧マシナリーの視界を通して鮮明に見える。

 

「前衛に剣士、後衛に弓兵と魔導術師かな」

 私は意識を集中し、複数の防御魔術を並列で実行する。

 魔導機巧マシナリーの周囲に淡い膜が形成され、敵の攻撃から守る準備が整う。


 兵士たちの動揺した声が聞こえる。

 私の俯瞰視点から、彼らの隊形の乱れが手に取るように分かる。

 

「見つかりました。魔術師が詠唱を開始。発動まであと3秒」

 私の予測通り、敵の魔導術師はこちらの動きに気づいたようだ。

 

閃光フラッシュ

 短いつぶやきと共に、眩い光が日が落ちて暗くなった森を切り裂く。


「くっ! 目が!」

「敵はどこだ!?」


 兵士たちの悲鳴が響く。

 恐怖と焦りに歪んだ顔。

 きっと彼らにも家族がいるのだろうな。


「それじゃ一旦撤退。また後で」

 混乱した野営地を眺めながら、私の指示に従い、魔導機巧マシナリーの群が静かに上昇していく。

 


「もう、もういい! 撤退だ! 撤退!」

 緊迫感をもって響きわたる偵察部隊の指揮官の声。

 人の国──ロガルド王国から来た偵察隊が撤退する様子を高い空から──正確には魔導機巧マシナリーと同調した状態で──見下ろしながら、私はほっと息をつく。


影の森シャドウウッドに入り込んでから、私たちが開始した執拗しつような妨害は、彼らの士気を大きく削いだらしい。


 夜間には魔導機巧マシナリーを接近させ、彼らが対応しようとするやいなや、私たちは魔導機巧マシナリーを即座に上空に撤退させるという嫌がらせを繰り返した。


 睡眠不足で判断力を鈍らせた部隊に対し、私たちは追い討ちを行った。食料や燃えやすい寝具を積んだ荷車に発火術式で火をつけた。

 

 相手が運んでいた物資は盛大に炎上し、大半がそのまま失われた。


 これも知覚系の術式を応用して、夜間でも小型の魔導機巧マシナリーを飛ばせるからこそできる戦いだ。彼らが私たちの狙いに気づいた時にはすでに遅く、物資を完全に失った。疲弊した彼らは、私たちの狙い通り、こうして無事に撤退したのだった。


 ◇

 

 魔導接続マギアリンクを切断すると、視界が元に戻り、私の意識は完全にこの魔王城の執務室へと舞い戻った。


 夕闇の執務室の窓の外に広がる森の向こうの空には、夜の帳がおちかけて紫色に染まっていく。戦場の姿は見えないほど遥か遠くにあるが、戦いが終わったことがわかり、私は肩の力を抜いた。


「ふう、ようやく終わったー!」


 座りっぱなしで縮こまった筋肉を伸ばすように、大きく伸びをする。

 

『しかし、意外にやることがえげつなかったな、フィオナよ』

「作戦の詳細を考えたのはクロウでしょ。私は無罪!」


 私のお目付け役の魔導機巧マシナリー、クロウのからかうような思念こえに思わず抗議する。アイデアを出したとはいえ、詳細を詰めて行ったのはクロウだ。

 

 この森での戦い方、魔導機の動かし方、そして奇襲の手法など彼は戦術面に関して私よりはるかに熟知していた。


魔導機巧マシナリーに、術式を転送して、実行したのはフィオナなのだがな』

「うっ……ちょっとやりすぎたとは思っているよ」


 クロウの冗談めかした思念こえに、少し頬が熱くなり、罪悪感を感じつつも私は小さく呟いた。


『しかし、汎用術式だけで乗り切ると思わなかった』

「私はまともに戦う術は持ってないからね。逆にだからこそ魔導機巧マシナリーに術式を転送できたのはあるけど」


 小型の魔導機巧マシナリーでは、そもそも強力な魔導術式を使うだけの魔力容量もはない。この大きさでは、意味のある攻撃用の魔術を使わせるのは難しい。


 本来なら魔導器アーティファクトのように事前に用途を決めた術式を刻むが、簡単な工程で、そこまで大きな事象改変は起こさない術式であれば魔導機巧マシナリーに使わせることが可能になる。

 お湯を沸かせる魔導器アーティファクトと同じで、単純だからこそ、誰でも使えるというわけだ。


『本格的な交戦を考えないといけないと思っていたのだが』

「魔王を倒さないといけないって強い使命感は、あの人たちにはないからね」


 クロウの言葉に私は肩をすくめる。

 森の中で毎夜、一方的に暗闇から襲われて士気を保てる兵などいない。しかも魔王が倒れたという噂は広まっており、ローガルド王国の兵にはこれ以上積極的に戦う理由はない。

 理由がなければ、人は命を投げ出せないし、意味のない戦いは誰だってやりたくない。

 ならば逃げる理由を作ってあげれば良いだけだ。


「こっちの損害はゼロ。予想以上の戦果ですね」

「良かった。まともな軍隊同士の対決とかなら、こううまくいかなかっただろうけどね」


 これが本当の戦争だったらこううまくは行かなかっただろう。まだまだ先は長い。重たい疲れを感じながら執務室の机の上にそのまま突っ伏した。


『あちらに与えた人的被害もゼロだけどな』

「いいの。もうくだらない争いなんかで人が命を落とすのはたくさん」


 クロウの揶揄やゆするような言葉に、私はぴしゃりと言い返す。

 私たちの目的はあくまで平和を守ること。また戦争が始まれば、その代償は計り知れない。


『くだらないと言われても、仕掛けられたからには応じるしかあるまい』

「そうやって、また死人が出たら歯止めが効かなくなるだけだよ。クロウはこのまま争いを続けたいの?」

『………いや、それはないな』


 私の問いかけにクロウは一瞬沈黙した後、静かに答えた。

 死んでいくのはいつだって、上層部の思惑とは関係ない最前線にいる人たちだ。

 そして、戦いには想像以上の物資が必要になる。

 それは当然、民衆から調達されるわけで。

 これが無駄と言わずなんというのだろう。


 今回、燃やした物資も正直にいうとすごくもったいなかった。

 あの保存食を作る物資があるならふわふわのパンやお肉を入れたシチューとか、もっと作れると思うんだ。

 

「それにロガルド王国が勇者を募る大義名分は、侵略への対抗のため。聖堂教会が協力することはもうないと思う」

『聖女が亡くなったのに手を引くのか?』

「そうだよ。そもそも私に聖女の称号を与えるのも渋ってた人たちだよ?」

『そういえばそんなことを言ってたな』

「争いは物資や魔力資源リソースを使いすぎますからね。今回の件は助かりました。ありがとうございます。魔王様」


 セレネの言葉に私は照れたように頷いた。

 人間は睡眠と食糧、この二つが十分でないとまともに活動できない。

 だからこそ、今回はそれを徹底的に妨害した。


 私が勇者と一緒に森に攻め込んだ時は、聖堂教会から提供された帰還魔法が準備されていた。

 少人数なので生活術式として必要な量の水を生み出すこともできた。


 だからこそ、帰還の心配はなく物資も最小限で済んだのだ。

 けれど、今はもう魔王を倒す大義名分はない。

 抱えた兵に攻めようとすれば当然、大量の食料や水などの物資の運搬も必要になってくる。


 私も荷物持ちだったからわかるけど、実際のところ必要な物資がなくなると人は簡単に活動できなくなる。

 寝具を失っただけでも致命的だ。

 森の夜の寒さは容易に体力を奪う。

 

 迎撃するにあたって、二人には相手の偵察部隊のメンバーは絶対に殺さないようにお願いしていた。

 死者が出れば、それが新たな戦争の口実になりかねない。

 人が倒れるとまたそれを口実に戦いが拡大する恐れもある。それだけは絶対に避けたかった。


 物資をなくさせ、交戦もまともに行わないまま体力を削り、これ以上進むのは割に合わないと思わせたことで、作戦は無事に成功したのである。


 ……しかし、私が言ったのが発端とはいえ酷い作戦だった。私がやられたらたぶん泣いてる。けど、これもまた一つの戦いかただよね。


「これからどうなるんだろ……?」


 偵察隊を撃退したことで王国がどう動くのかがわからない。魔王が倒れたという噂の真偽を確認するという意味もあるだろうが、監視ではなく偵察隊が派遣されたということは、今もなおロガルド王国は影の森シャドウウッドに干渉する意思はあるようで、それが少し私には気がかりだった。

 

……でも、まあそれを考えるのは明日の私に期待することにしよう。 


「今はとにかく眠りたい……」


 今日はかなり魔力もいっぱい使ってしまったし、疲れが重さになってのしかかってきてる。


「あら、魔王様。……もう寝てしまいそうですね」

『今は寝かせてやれ。今回はよくやった方だろう』

「あら珍しいですね。褒めるなんて」

『うるさい』


 眠気の中、そんなセレネとクロウの声が聞こえた気がしたが、私の意識は抗うことなく眠りへと誘われていった。

 いろいろ今後の不安は尽きない。

 尽きないのだけど。


 ……たまには褒められるのも、悪くはない。

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