かぐや姫に月を捧げる

小椿清夏

かぐや姫に月を捧げる

「あら、とってもかわいい子じゃない。さすが、吾が背わがせ。私の理想通りの子ですわ」

「そうだろう、そうだろう。私が千古ちふるが気にいらない子を連れてくるわけないだろう?」

「ええ。私、この子でお人形遊びをするのが、とっても楽しみ」

 突然、連れてきた夫の妾に悋気りんきすら見せず、おかしそうに微笑んだ彼女に私は思わず、見とれてしまう。

 私の結婚を決める両親が、はかなく散ってしまい、母さまの親類も頼りにはできず、これからどう生きていこうかと困っていたところ、色好みで名の知られた和清かずきよさまから救いの手を差し伸べられた。

 末摘花のように自分に流れる血筋を誇り、草木を食べて暮らすしかないよりも、和清さまのお世話になった方が姫さまの御為ですと、乳母子めのとごからも背をつよく押され、以前から私のことを気にかけてくれていた和清さまからの情けを私は受け入れることにした。

 牛車ぎっしゃに乗せられ、着いた目的地が目に入った瞬間。私は回れ右をして、住んでいた寂れたあばら屋にしかみえない我が家へと帰りたくなってしまう。

 和清さまの別宅で囲われることになるのかと思っていた私の想像とは異なり、牛車で降ろされた場所は正妻の千古さまが住んでいる、おやしきだったからだ。いっそ、両親と一緒に旅立てた方が我が身の為だったのではないかと、自分の両の手の平をあわせたくなったのも、おかしな話ではないだろう。

 どこの世界に正妻と妾を好きこのんで会わせる人がいる! 『源氏物語』の紫の上と明石の姫君が会ったのとは違うのだと、私の小さな頭の中は千古さまに会うまで、慌てふためいていた。

 普段の様子とは違い、借りてきた猫のようにおとなしい私に和清さまは訝しげな顔をしたけれど、私の顔が薄紅色に染まったことで、千古さまの美貌にあてられたことに気づいたらしい。

「千古はとっても美しい人だろう? 流れる黒髪の美しさと儚い容貌でまるでかぐや姫のようだと男たちの間ではうわさになっていたんだ」

「あら、初耳ですわ。私は貴重な宝物など、一度も殿方に願ったことなどないのに」

「きみが帝にも乞われた、いつかは月に帰ってしまいそうな美しい姫君だからさ」

「いずれ私が月に攫われそうになったら、殿は助けてはくれないのかしら」

 そんな軽口をたたいて仲良く笑いあっているおふたりは、どこから見ても、おしどり夫婦だ。どうして溺愛している妻君がいるのに、和清さまはなんにんもの妾を作るのだろうと、私はつい、小首をかしげてしまう。京男の嗜みとはいえ、本当に好きな人がいるのなら、その人一筋になるものではないだろうか。

「千古。この子を預けていいかい?」

「ええ、もちろん。殿からいただいた子ですもの。大切にしますわ」

「では、満子みつこ。千古によくしてもらいなさい』

 和清さまが立ち去ってしまうと、おかしそうに千古さまが笑いだす。

「あなた。お顔に感情が出やすいと言われない?」

 千古さまの言葉に驚いて、私は瞬きをする。こんな数分で被っていた猫を剥がされるとは思わなかった。

「は、はい。乳人がいた頃は、私には宮仕えなんて無理だと言われ、頼れる殿方を見つけなければいけないと口煩く言われたものです」

「確かに宮仕えよりも、あなたは殿方に守ってもらう方が向いていそうね」

「あ、あのぅ、千古さま。失礼だと思うのですが、ひとつ確認してもよろしいですか?」

「? いいわよ?」

「和清さまはとっても千古さまを愛されてますよね。どうして、私も含めて妾など作るのでしょう?」

 私の言葉に千古さまは長いまつ毛を瞬く。

「殿はね。私が月に帰ってしまうのが怖くて、何軒も別宅をお持ちなの」

「月、ですか?」

「そう」

 千古さまが急に私のことを抱きしめてきたので、慌ててしまったが、何枚も衣を重ねているのにも関わらず、彼女自身に躰の細さに驚いてしまった。

「くすし、さまには」

 この問いかけが難しいように、千古さまは険しい表情を浮かべて、眉根を寄せるが、そんな姿さえ様になる。

「長くはないでしょうと。おかしな子ね。普通は邪魔な正妻が早々にいなくなるかもしれないと知ったのなら喜ぶものではなくて?」

 そう言いながらも、千古さまは可笑しそうに笑う。和清さまも変わっている方だと思っていたが、千古さまも、どこかずれていると思うのは私だけだろうか。気をとりなしたように千古さまは侍女を呼ぶと、私に邸を案内するようにと命じる。

「あなたは迷いやすそうだから、分からなくなったら、すぐに屋敷の者に声をかけるのよ?」

 幼少の頃から一緒だったという侍女の方に、千古さまの姿が見えなくなると、私はそっと告げた。

「千古さまは器が大きいと言うのか、不思議な方ですね」

 私の言葉に返事を口には出さず、侍女の方は他人からは分からないくらいの小さな動きで首を縦に振る。

 翌日から彼女が私で人形遊びをすると言った通り、毎日のように、千古さまの手で彼女好みに着飾られてしまう日々を私は過ごすことになった。

 千古さまのお部屋には、いつでも遊びに来てと言われていたが、日々を過ごす内に、空気を読めないとよく言われる私でさえ、彼女に声を掛けられないときがあった。

 月の奇麗な宵になると、なにを思ってか。千古さまが侍女すらも追い払って泣いているのだ。

 なんども声を掛けようとして、踵を返す意気地のなさを私は繰り返していたが、千古さまの背をみるたび、自分の存在が彼女の重しとなっているのかもしれないと思い始めていた。

 この邸に来た当初、千古さまは愛人の存在など気にしないと言っていたが、やはり、うわさを聞くだけなら耐えられるが、日々、妾を目にするのはお嫌だろう。

 私は内緒でくりやからお酒とさかずきを拝借すると月夜、千古さまに声をかけた。

「千古さま。せっかくですから、お月見をしませんか?」

 私の言葉に千古さまは着物の袖で目元を拭うと、口元をほころばす。

「悪い子ね。これ、殿が隠していたとっておきのお酒じゃない」

 私は素知らぬ振りで千古さまに杯を渡すと、お酒を注いでいく。千古さまは軽く、杯に口づけると勢いよく、呑みほしてしまった。真っ赤な舌で唇をぬぐった艶めかしい姿に、見てはいけないものを見た気がしてしまい、私は千古さまから顔を背けたくなったが、気持ちを奮い立たせると、彼女に問いかけた。

「千古さま。私、邸を出た方がいいですか?」

「あら、どうして?」

「えっと、勘違いならすいません。私のことが邪魔でお泣きになっているんじゃ」

「まぁ! もしも、あなたが嫌だと思うのなら、殿に言って、すぐに邸から追い出しているわ」

「……でしたら」

「満子。左大臣家の娘であった私が、お父様の道具として使われなかったことを、不思議には思わなかった?」

 千古さまの言葉に私は首を振った。

「いえ。千古さまと和清さまのお話は有名でしたから」

 どうして、千古さまが帝に望まれながらも、妃にならなかったのかは、私のような末端貴族でも噂話として知っていた。

 夕霧と雲居の雁の間柄ように、和清さまと千古さまのおふたりは幼馴染だ。左大臣家の二の姫である千古さまの方が、一の姫のお姉さまよりも美しいからと、左大臣さまも当初、千古さまを帝の妃としようとしていたらしいが、和清さまの手により、千古さまは帝の妃となる資格を失い、醜聞になる前に和清さまが妻とした。

 そんな話を知っていたのだと私が口にすれば、千古さまは微笑む。

「満子。私の共犯者になる勇気はある?」

「は、はい?」

 千古さまの『私たちは本当の夫婦の関係にないのよ』

その言葉に私は思わず、手から杯を落としてしまう。千古さまは仕方がない子というように、手布で濡れてしまった着物をおさえる。

「殿は、私を幻のような存在にしたいのよ。いずれ、消えてしまうような。私が亡くなってこそ、和清さまの望みは叶うわ」

「そんなの」

「だからこそ、彼はいずれいなくなる私の代わりを探して垣間見かいまみ、彷徨っているの。満子を連れて来たのは、戯れに私が『こういう女の子が欲しかった』と告げた理想通りの子を連れてきてくれたから。きっと私が寂しく思わないよう、殿なりに気を遣ったのね」

 千古さまの言葉で和清さまが愛妻家の癖して、どうして色好みの真似ごとをしているのかが、千古さまの言葉通りなら、一層、不思議に思う。千古さまがはかなく散る姿を待っている為だなんて。

「そ、そんなの千古さまが可哀想ではないですか」

「殿は届かない月をそっとしておきたいのよ」

 かぐや姫のように消えてしまっても、誰かの心に自分は残っているのだろうかと思うと、つい寂しくなり、月をひとり眺めていたのだと千古さまは話す。

 私はふと思いついて、すでに空になっていた千古さまの杯にお酒を注ぐと、夜空にある月が浮かんでいるかを確かめる。杯の中に月が浮いていることに、私は千古さまの高価な着物を破らないように、引っ張った。

「千古さま、千古さま。そっと、杯の中をみてください。私がとったお月さまです」

「満子が?」

「千古さまは和清さまたちに『かぐや姫』と呼ばれていたんですよね? そんな高貴な姫に私からのささやかな贈り物です」

 いつの間にか、千古さまは何杯も杯を呑み、酔っ払っていたのかもしれない。微かに目元を紅く染めている。

「満子が私の為にお月さまをとってきてくれたのだから……あなたとずっと一緒にいられるかしら?」

「千古さまのためなら、何度でも月をとってきます!」

 そう胸を張った私に千古さまは、かぐや姫が実在したら、こんな風にほほ笑むかもしれないという笑みで、私を魅了させると浮かんだ月を飲み干した。

 お酒が回ってしまったのか。私の肩に眠たそうに、もたれかかってくる千古さまに私は尋ねてみる。

「千古さま。お月さまのお味はいかがでしたか?」

「今まで食してきたなかで一番、美味しいと思ったわ。きっと、満子のおかげね」

 千古さまが夜空を見ながらも手を伸ばしたことで怖くなった私は、咄嗟に彼女の手を握りしめる。

「可惜夜ね」

「可惜夜、ですか?」

「今まで夜が怖かったの。目を瞑ってしまえば、二度と目覚めない気がして。こんなにも夜は美しかったのね」

 幼子のようにくすくすと笑いながらも、千古さまは夢の世界へと導かれてしまう。

 ひとりよりもふたり、願掛けをすれば効果があるかもしれないと、私も杯にお酒を注ぎ、空に浮かぶお月さまを飲みこんだ。

 かぐや姫がいずれ、月に帰ってしまわないように、願いをこめて。

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かぐや姫に月を捧げる 小椿清夏 @sayuki_f

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