第10話 バレンタインデー
今日は、バレンタインデーか。毎年、何となく憂鬱な気分になる一日だ。世の中の何割位が僕と同じかどうかはわからないが、僕は義理チョコしか貰ったことがない。
彼女が居たことはある。一回だけだけど春から付き合い始めて年明けに別れたから、バレンタインデーには居なかった。
学校帰りにいつものレンタルショップのアルバイトに入る。シフトも都合を聞いてくれるし、旧作ならスタッフは無料でレンタル出来るというメリットもあって、もう二年になる。今はスタッフリーダーという、身に余るポジションで仕事をさせて貰っている。
今日は、バレンタインデーというのもあってカップルの来店客が多い。ネットで観るのもいいけど、二人で好みのディスクを一緒に手にとって選ぶのが、楽しいんだよなぁ。
返却されたディスクを棚に戻しながら、羨ましくカップルを見ている。
一つ隣の列で先月からバイトに入った西田由依がアタフタしている。客に頼まれたディスクを探しているようだが、中々見つからないようだ。「トム・クルーズ主演でペネロペ・クルスが出てて…。サスペンスなのかな?実は冷凍睡眠中とかの、原版っていうか、ハリウッドじゃないヤツ。」かなり困惑しているようだ。ヘルプに向かうか…。
「お客様、ハリウッド版はバニラ・スカイですね?」「そうそう、ハリウッドがリメイクで…。」「えーっと、原版はスペインで、オープン・ユア・アイズという映画では?」棚から取って客に手渡す。
「あー、これだよー!これ!ありがとう!」足早にセルフレンタル機へと向かって行った。
「戸狩リーダーありがとうございます!」ホッとした顔で由依が僕を見つめている。「リーダーは恥ずかしいからやめてね。」「あっ、はい!リーダー!」プッ、思わず吹き出してしまった。西田由依が丸い眼鏡の奥の丸い大きな目を更に丸くして見ている。
「何か、おかしかったですかぁ?」「いや、何でもないから、気にしないで!」「はい!リーダー!」プッ、また吹き出してしまった。
「もぅ、何かおかしいですかぁ?」ちょっと拗ねた感じになっている。小動物を思わせるくりくりとした大きな目と小柄さが可愛らしい。
このまま朝まで二人きりだ。何回くらいリーダーと呼ばれて僕は笑うのだろう。
深夜0時を回り、客が途切れた。「西田さんって深夜シフト希望なの?」「今日は深夜シフト希望が誰もいないから、入ってくれって店長が…。」「そうだよね~。深夜は男しかいないから。もし、眠くなったらバックヤードで仮眠取ってね。」「えっ、でも勤務中ですし!」「全然大丈夫!多分、今夜は暇暇だから。」
深夜1時、西田由依の欠伸が止まらない。「こっちは、大丈夫だから休んで来て。」遠慮がちな彼女をバックヤードへと押し込んだ。
去年に続いて今年のバレンタインデーも深夜シフトか、一度はシフト替わってとお願いする立場になってみたいもんだ。
深夜3時、「きゃぁー!」という声が聴こえた。ゴキブリでも出たかと思って、殺虫剤を持ってバックヤードへと向かった。左頬だけ赤くした彼女が居た。「リーダー、ご、ごめんなさい!ずっと寝てたみたいで…。」プッ、またツボに入った。慌てふためきながら、訝しげに僕を見つめている。
「もう、何がおかしいんですかぁ?」
「ごめん、ごめん!リーダーはやめてって言ったのに、何回も言うから…ハーッヒッヒ。」
「すいません!リーダー!」
これには彼女も気付いて、二人で笑った。
「だって、お昼のリーダーの人って、皆リーダー付けて呼べって!」「タカとコウだろ!あいつら威張りたいだけだから…。俺のほうがずっと先輩だから言っておくよ!」
「あの、と、戸狩さんで、いいですか?」「はい!」「ちょっと、コンビニに行って来ても?」「ああ、どうぞ!ついでにブラックのコーヒーもお願い。店の自販機のヤツ、不味いから。」
「はい!どうぞ!」「あっ、お金、いくら?」「さっき、助けてくれたお礼と、寝過ぎた分です!」
「戸狩さん、彼女いないんですかぁ?」「居たら、今日深夜シフトに入ってないよ。多分ね。」「じゃ、ちょっと待っててください。」
彼女は小走りでバックヤードに消えた。
「じゃーん!」「えっ、何?俺に?」「はい!」青い包み紙包まれたチョコのようだ。
「俺にいいの?」「はい!」大きなリスのような瞳が揺れている。
「ありがとう!でも、これって?」「私も誰かにあげたかったから…。あっ、深い意味は無いですよ!さっき、コンビニで買ってきたのだし…。」
「ところで、西田さんって高校生?深夜シフトだから、大学生?」「えっ?26ですけど…。」「はい?」童顔に大きなリスのような目、丸い眼鏡に長いストレートの黒髪。身長は150cm位だろうか、細くて小柄だ。
「えーっ?うっそぉ?」「ほら、ちゃんと26歳です。もう、やだー!」やはり童顔な免許証の写真の下に誕生日がある。
「この前もスーパーでビール買ったら、身分証見せてって言われたり、もう最悪ですぅ。」「あっ、でもすごく可愛いし、老けて見られるよりずっといいんじゃないですか?」慌てて敬語で言い直した。
「私みたいなロリキャラって、変な人しか寄って来ないから、イメチェンしたいんだけど、友達が皆そのままでいいって言うから。」
「僕もそのままでいいと思いますよ!ほんと!」「ほんとにそう思う?」「もちろん!西田さんすごく可愛いし!」「でも、デートしたいとか思わないでしょ?」「いえ、すごくしたい!」「えっ?」彼女が大きな瞳を更に開いて見つめている。
「まだ、返却確認のがあるんで、レジお願いします!」照れ臭くなって、急ぎではない別の作業に向かった。流れとはいえ、初対面の年上の女性にあんなこと言うなんて、自分でもびっくりだ。チョコ貰って浮かれているのかな。
作業は10分ほどで終わり、レジへと戻った。「あの。」「は、はい!」「毎月、何本位みるんですか?映画とか。」「えっ?えーっと、20本は観てるかな。あんまりテレビとか好きじゃないんで…。」「どんなのが、好きなんですか?」「うーん、戦争物とホラー以外は何でも。」「旧作は無料で借りられるんですよね?」「スタッフ用サイトに感想とか書かないといけないけど、タダですよ。」「何かオススメのを選んで貰えますか?」
二人でDVDのコーナーへと向かう。「恋愛物とか?」「分野別に一本ずつとか?」「これなんかどうですか?」彼女の好みを聞きながら、あれこれと彼女にケースを手渡す。
新作コーナーで立ち止まった。今、一番気になるディスクのケースを手に取る。「あ〜、これ新作だけど、観たいなぁ!」「あっ、私もそれ観たいですぅ!スタッフもいいんですか?」「正規料金払えば大丈夫ですよ!お先にどうぞ!」空きが一本しかないディスクを渡す。「いえ、そんな…。戸狩さんからで!」「やっぱ、レディファーストで!」「いえいえ、バレンタインデーですから…。」
「ぷっ、アハハハ。」何だか可笑しくて二人で笑った。「えーっと、名案があります!」彼女が右手を挙げた。「はい、西田さん!」「最近、駅前に出来たネットカフェのシアター室で観るのは如何でしょうか?」「えっ、シアター室ってあるんですか?」「はい!150インチの画面で観れますよ!」「へー、スゴいですね!でも、高いんじゃ?」「それがですね、早朝割引で、一室二人で3時間千円です!フリードリンク付き。」スマホの画面をこちらに向けた。
「じゃ、行きますか?」「マックで朝御飯買って行きましょ!」
朝7時の早番スタッフと交代して、マックで朝御飯を買ってネカフェへと向かった。映画談義に花を咲かせながら並んで歩く。何だか久しぶりのデートみたいで楽しい。
「うわっ、中あったかいね!」「外、寒かったですから…。」幸い、三室しかないシアター室は空いていた。個室になっていて、二人で座るにはちょっと狭いリクライニング出来るラブソファーとテーブル、大画面テレビが置いてある。いつも、ノートパソコンで観ているから、迫力が桁違いだ。
「ねっ、すっごいでしょ?」「いつも、パソコンで観てるから、楽しそう!」「えっ、パソコンで観てるんですか?」「はい!テレビ観ないし、受信料とかもったいないし!」「私ん家75インチですけど…。」「えーっ?良いなぁー!」「今度、一緒に観ます?」「それは、是非!」
上着を脱いで西田さんと並んでソファーに座った。僕が大きいのもあって、ほぼぴったりのスペースだ。「狭くない?」「全然大丈夫です。」あれ、この人こんなに綺麗だったっけ?眼鏡越しにある大きなドングリのような目に見とれてしまう。
「ほら、始まりますよ!」予告編を観ながら、朝食を食べる。肩と肘が触れる度にドキドキする。
「西田さんのほうが年上なんだし、タメ口で話していいですよ!」「えっ、だって戸狩リーダーはバイト先の先輩だから。」「あっ、またリーダーって言ったぁ!」「アハハハ、ごめんなさい!」
お互いにタメ口で話すルールになった。彼女と僕の二つ目のルールだ。
今、二人で観ているのは、ホテルを舞台にしたサスペンススリラーだ。部屋が暖かいのと夜勤明けでひたすら眠い。濃いめのコーヒーで無理矢理目をこじ開けて観ている。
左肩に重みを感じた。甘い香りがなだれ込む。欠伸を連発していた西田さんが眠ってしまったようだ。や、ヤバい…。可愛い。普段は、日勤なのに慣れない夜勤で疲れたのだろう。このまま、寝かせておこう。
「戸狩さん!戸狩さん!起きて!」西田さんに肩を叩かれている。「早く出ないと延長で四千円かかっちゃう!」「えっ、四千円?」
僕らは慌ててレジへと走った。三時間を五分ほどオーバーしていたが、店員さんが「次回は気を付けて。」とサービスしてくれた。
「どうしよう?観れなかったね。」「私ん家で観る?」「えっ、いいの?」「何か、このまま返すのも…。」「そうだね。じゃ、お言葉に甘えて…。」
Short Love Story 〜Winter〜 神虎 @yoshirogoripon
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