第9話 坂道

 「今朝は10年ぶりの大雪となります。皆様、足元にお気をつけてお出かけください。」いつものおでこの綺麗なテレビのお天気キャスターが言っていた。

 どうりで寒い訳だ。小学校の頃、数年に一度積雪があって、泥だらけのかき氷状の固めた雪で雪合戦した覚えがある。この街で雪が積もることなど滅多にないから、少し嬉しい気分にもなる。

 窓からは一面真っ白な雪景色だ。いつものグレーの街並みも白く染まって綺麗に見える。

 マンションを出てから駅までの下り坂が雪で埋もれている。歩行者が嘘みたいにあちこちで転倒している。少し歩いては、街路樹や壁に捕まり、転倒しないように歩く。駅まで10分の道程が果てしなく遠い。

 街路樹に捕まる俺の右側に女性が、ツーっと滑って、後ろ向きに転倒する。「危ない!」慌てて右腕で身体を捕まえたが、支えきれず二人で尻餅をついた。「大丈夫?」「は、はい!ありがとうございます!」先に立って彼女に手を差し出す。

 白く細い手が冷たく濡れている。「すいません!」起こすとこっちが転けそうになった。

「それじゃ、凍傷になっちゃうよ!」両手の手袋を外して渡す。「いえ、でも…。」「駅までもうすぐだから、俺は大丈夫!」手袋を取って渡した彼女の手がすごく冷たい。

「ほら、遠慮しないで!暖かいよ!」にっこりと笑って、俺の右肩を交互に持ちながら手袋をはめた。まだまだ駅までかかりそうだ。並んで歩いて、彼女が転けそうになると、細い二の腕を掴んで支える。俺も何度か転けそうになりながら、30分ほどかかって何とか駅に着いた。

「あの、これ!ありがとうございました!」脱いだ手袋を受け取った。

  乗り換えをするまで、同じ電車だった。「明日も雪でしょうか?」細面に鼻筋の通った和風の顔立ちだ。切れ長の目が凛とした印象を与える。「雪みたいだね。長靴とか買っておいたほうが良いかもね。」「このブーツじゃ、また転けちゃいますよね。」「うん、俺もショートブーツだけど、裏ツルツルだから…。」


 翌朝、スーツ用の革靴はリュックに入れて、釣りと兼用に昨日買った紐付きの長靴で駅へ向かうことにした。タクシーも考えたが、まだ何度か雪が積もりそうな予報だったので、格好悪いけど、長靴通勤することにした。

 駅への下り坂の途中で昨日の彼女が居た。壁を伝いながら頑張って歩こうとしているが、前の人、更にその前の人と立ち往生している。

「おはようございます!長靴は?」「買いに行ったらどこも売り切れで…。」「あら?俺で良かったら…。」手を伸ばしてみた。少し躊躇していたが、強く握ってくれた。

「きゃあ!」滑って転けそうになる彼女を背中から支えた。「あっ、ありがとうございます!」「腕か肩に掴まったほうがいいかも?」「すいません!」彼女が両手で俺の右腕を持った。まだ不安定だが、何とか歩けそうだ。

「ありがとうございます!助かりました!」こんな可愛い女性と腕組んで歩けたのだから、こっちがお礼を言いたいところだ。

「昨日の帰り道とか大丈夫だった?」「二回も転んじゃいました。ハハハ…。」「お住いは近く?」「坂上がりきって、左へ少し入ったマンションです。」「青い色の?」「はい!」「俺ん家、その角の茶色いマンション。」「あっ、ご近所さんですね?」「帰り道も危ないから送りましょうか?」「えっ…。」暫く考えてから「じゃあ、御言葉に甘えて。あっ、でも連絡先とか…。」「LINUとかは?」


 彼女と連絡先を交換して、駅の改札口を出たところで待ち合わせることにした。


 彼女が先に待っていた。目が合うと、軽く会釈し合う。俺の左腕を持って坂を上がる。「ちょっと、寄ってもらっていいですか?」「あっ、俺も晩飯買わなきゃ。」二人で、スーパーに入る。「あっ、ごめんなさい!ずっと、掴まってたから…。」暫くしてから、彼女が慌てて腕を離した。

 二人別々のカートを押しながら買い物をする。俺はいつもの弁当と缶ビールを買ってレジに並ぶ。「追いついちゃった!」後ろに並んだ彼女のかごには野菜や鶏肉、缶ビールなどが入っている。

「いつも、お弁当なんですか?奥様は?」「いやー、去年離婚しちゃって…。今は毎日スーパーかコンビニです。」「大変ですね。」「もう、慣れたんで全然。今からお料理ですか?ご主人が羨ましい!ハハハ。」「そうなんですけど、実は私も一昨年に離婚して…。」「あっ、ごめん!」「いえいえ、お互い様ですから…。」


 マンションの前まで送り、朝の通勤は一緒に駅までの坂を下ることにした。白い天使からのプレゼントのように思えた。ただ残念なのは、明後日から暖かくなるという天気予報だった。

 朝、彼女からLINUが入って、坂の手前で合流する。彼女が持つ右腕が温かい。帰りもまた合流して、スーパーに寄った。

「二日間、どうもありがとうございました。」深々と頭を下げる彼女。「いえ、困った時はお互い様だから。全然、うん、気にしないで!」レジに並んでいると、カートで尻にノックされた。

「今日もお弁当ですか?昨日と同じ唐揚げ弁当?」「まあ、安いし美味いし!」「野菜食べなきゃダメですよー!」「まぁ、そうだけど。俺、料理とかさっぱりで…。」「ひょっとして、晩御飯不自由してません?」綺麗な瞳で覗き込むように俺を見上げている。

 「うーん…。不自由してます。」彼女が笑った。「じゃ、二日間助けて頂いたお礼に私が晩御飯作りましょうか?」「えっ?いいの?」「はい!」「でも、俺独り暮らしだし…。」「そういうことしそうな人に見えないし、何か問題でも?」「いえ、特に問題は御座いません。」

 

 レジからUターンして、弁当とカートを戻した。彼女の自宅へ向かいながら、左腕から伝わる彼女の体温を楽しんでいる。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る