3品目【森の住人たちのおたからクッキー】
ジュエルレモンのレアチーズケーキを作った日から、それなりに日数がたった今日。いつも通り看板を外に出して、扉の前にかけている札をくるっとひっくり返そうとした時。不意に足元にコツン、と何かが当たった気がした。視線を下に向けてみれば、そこには何やらいっぱいに何かが詰め込まれている麻袋があった。そのさらに下には紙切れのようなものがあり、それを手に取ってみると、今どき見かけない古語がその紙切れの上で踊っている。これでも古語の知識はあるので、目を凝らして読み解くと、
『たくさんきのみをあつめたので これをつかって おいしいくっきーをつくってください おねがいします』
と、書かれてあったのがわかった。随分とたどたどしい文字だ。恐らく人の言葉がわかる種族に教えて貰いながら、慣れない筆で書いたのだろう。少し微笑ましくなる。麻袋を拾い上げ、中を確認すると、胡桃やアーモンドなどのナッツ類がみっしりと詰まっているのが見えた。
「確かに受け取りましたよ。で、今からクッキーを作りますが……誰か食べてくれる方はいらっしゃいませんかね?」
わざとらしく声を大きくして言ってみると、背後からがざがさと音がした後、小さい者が近づいてきた気配がした。改めて下を見ると、そこには自分が想定していたより、多くのお客様がいらっしゃったようだ。扉を大きく開けて動かないように固定する。
「いらっしゃいませ。リクエストされたからには、腕によりをかけさせて頂きましょう」
そう言うと、たった今いらっしゃったお客様方───リスやモモンガ、ウサギといった森の住人たちは、表情をパッと明るくさせて店の中へ飛び込んできた。
3品目【森の住人たちのおたからクッキー】
全員が入り切ったところで、固定していた扉をしめる。森の住人たちは目を輝かせて、思い思いの場所を陣取った。あちらこちらを物珍しそうに見ており、少しばかり話し声が聞こえてくる。どうもこのきのみ達は、彼らが協力しながら時間をかけてかき集めてきたものらしい。楽しみだね、そうだね、なんて声も聞こえてくる。
「さて。クッキーにも色々種類がありますが。どんなクッキーが御希望でしょう? ざくざく、しっとり、ぱりぱり、どんな音がお好みで?」
お客様方にそう声をかけると、少し静かになった後、皆一斉に喋り出す。大量の声が一気に脳に流れ込んできたので、待ったのポーズをするが、それでも声は止まっちゃくれない。その時、1羽の真っ白いフクロウがすっと片翼を器用に動かし、制する。すると不思議なことにぴたっと声が止まった。そしてこちらの方へ顔を向け、言葉をこちらに届けてくる。
『すまないね。これから君が作るクッキーが楽しみ過ぎて、皆興奮しているようだ』
「いえ、むしろこちらとしては嬉しい限りです。ここまで求められているとは思わなかったもので」
それに、と付け加える。
「楽しみなのは貴方もでしょう。
らしくもなくウィンクをしつつそう言うと、御方───
『あの雛鳥がこう大きくなるとはな。流石は
その名前が出てきた瞬間、多分、いや確実に酸っぱいものを口いっぱいに含んだような顔をした。まさかそれを言ってくる存在がまだ居たとは思わなかった。いや御方だからこそ、このジェードという存在をそれで呼ぶのだろうが。
正直大変に物凄く心外なのだが、自分ことジェードは、
次に魔法が使える。これだけ言うと、どういうこと? となるかもしれないが、まあそういう事だ。そもそもこの世界で何気なく使っている技術は、全て魔術と呼ばれるものである。これは人が長年にわたる研究によって、技や生活の杖として完成させてきたもの。目に見えない魔素と呼ばれている物質を、術によって魔素が本来持っている性質を様々な属性に変化させて、水や火などといったものとして現実に起こす。これが魔術。当然人によって術式も変わるし、程度も変わる。こちらは訓練によって、どんな人間でも会得することが可能なものだ。
では魔法は? これはこの世の奇蹟を用いて不可解な現象を起こすものとされている。されている、というと少し首をひねりそうになるが、無理もない。なぜならこの世界に魔法を使える人間、つまりは魔法使いが存在した記録が、現時点で残存しているひとつの書物の中のほんの1行程しかないからだ。しかもその記録さえ、又聞きのものと言うから尚更。ちなみにその1行の内容は、『魔法使いは存在した』、だけだ。馬鹿なんじゃないのか。
まあただ、記録が本当にそれしか残っていないというのも、正直理解はできる。何故かと言うと、自分がいい例だが、とにかく俗世に嫌気がさした。だからこそ並大抵の人間では入り込めないような場所で、こんな風に喫茶店を開いているわけだ。恐らくこれまで存在したであろう魔法使いたちも、魔法使いであるが故に姿を隠し、ひっそりと暮らしていたのではなかろうか。ひょっとすると、意外にも長生きで、まだ世界のどこかに生存している可能性もあるが、それはさておいて。
とまあこんな贈り物を授かって生まれたので、クリスタル大陸で高名だとされている神父に、大層な肩書きを赤子の頃に貰ってしまった。なので両親や周りの大人たちが、幼い頃からせっせと英才教育とやらをとにかく詰め込ませてきた訳だ。社交界も嫌だったが、英才教育も嫌で頻繁にこの森に逃げていたので、すっかり森の住人達とはほとんどが友人と呼べるような仲になってしまった。中でも御方───
「流石にその肩書きはもうやめてくださいって。今はただの喫茶店のマスターですよ」
『ホホ、失敬。と言うより、良くあの家から抜け出せたな? てっきりアレに骨を埋めるとばかり思っていたが』
「親が当主の座を明け渡しそうにしてたんで、その場で後継者権を放棄して、椅子に座りたがってたきょうだいに譲ってやっただけですよ……正直、当主の座はあいつのほうが向いてましたしね」
随分前から裏で相当な根回しをしてやったのだから感謝して欲しい。まあうちの店を出すための資金援助などは、その甲斐あって取り付けた訳だが。
ついついため息を漏らすと、御方はほほほと笑う。
『ま。あの家にいた頃より顔色も良くなっているし、いい結果ではないか。お前さんはその姿が良く似合う』
「褒め言葉として受け取っておきますよ」
『褒めとるんだ、素直に受け取らんか』
いつの間にやら肩に移動していた御方は、片翼でぺしりと顔をはたく。それなりに痛い。
「すいませんね、変に捻くれちゃったんで」
『フム。さて取り敢えずクッキーの話だが。お前さんの好きなものを作れば良いでは無いか? 皆ああだこうだと言っていたが、本心はそれだぞ』
いきなりの話題転換。御方はくるりと店の中を見回し、そうだな? と住人たちに声をかける。すると、不思議なくらいに声が一致し、はぁーい、と呑気な言葉が脳内に響く。御方がそう言うならそうだろうな。何せこの森の中の長老のような存在でもある。自分たちの長が是と言うならば、それにならって肯定するのだ。
『さあ、あとは頼むぞ。我々はゆっくり待つとしよう』
そう言って御方は窓辺に飛んでいくと、そのまま眠り始めた。これはどうやっても出来上がるまで起きないつもりだな。
お客様である住人たちに見守られながら、リクエストのクッキーを作るとしよう。
まずはお客様方が持ってこられたナッツ類の準備。胡桃は胡桃割り器で殻を割り、中の実をとる。アーモンドは殻を割って、皮をむいて仁と呼ばれる種子をとりだす。マカデミアナッツも同じく殻を割る。ピスタチオも殻を割って身を取り出すが、薄皮が付いているのでこれの処理をしていく。
まず鍋に水を入れ、それを沸騰させる。それにちょっかいを出てきそうな友人がいたので、逃げておけとジェスチャーをしておく。今調理してるんだから触れないんだ、察してくれ。それに素直に従ってくれたのを見届けると、あっという間に沸騰しているのがわかる。随分早いな? そこに薄皮がついたままのピスタチオを鍋に入れる。それを混ぜつつ、10秒単位で火を消してピスタチオをストレーナーに移し、大きな皿にそれらを並べる。広げ終わったらこっからが本番。この薄皮をひとつひとつ指で向いてやる作業に入る。結構な量があるので気が遠くなる作業になるだろう。なので、裏技を使う。使わせてもらう。そうでないといつクッキー作り終わるかわからんからな。
「こんな小さいことでとか言わんでください……よっ」
パチン、と指を鳴らしたと同時に、それまで付いていたピスタチオの薄皮は、綺麗に無くなっていた。目の前にあるのは準備万端のピスタチオ。ぶっちゃけ薄皮が付いていても食べられるが、クッキーに使うのであれば向いた方がいいだろう。
『なんで最初から使わなかったのー』
ギャラリーから野次が入る。勿論お客様である。
「作業を見てくれてる君らの為ですが」
そう返せば、そっかーとだけ。嘘だ。本音は魔法をそんなに使いたくないからだ。代償とかの問題もあるし、なにより疲れる。こんな時にまで魔法を使って疲労を溜め込みたくはない。今回のは皮をむく作業が思った以上に面倒くさそうだな、と判断したから使っただけだ。
さて作業に戻る。今度は取り出した胡桃やアーモンド、マカデミアナッツをローストしていく。彼らにとっては不要な工程だが、それは彼らが人間ではないから。自分はまだ人間なので、この処理をしなければ腹が大変なことになる。鉄板を用意し、それにぺらぺらのシートを載せ、その上に胡桃、アーモンド、マカデミアナッツを並べていく。予め火を入れて高温に余熱しておいた釜へ、鉄板ごと入れる。少し時間を置いて鉄板を取りだし、揺する。揺すったらまた釜の中へ戻す。これを繰り返して、大体
続いてクッキー生地を作っていく。高熱に耐えられるだけのボウルを用意し、
溶けたバターが入っているボウルに、
『そろそろー?』
小さなお客人達からそんな声が上がる。
「いいや、もう少しですよ」
ニュアンスが伝わったかどうかはわからない。お客人たちはまたそっかー、とだけ。本当に伝わってるかどうかわかんないなコレ。
とまあ、それは置いといてだ。ムラが無くなったら生地を成形し、焼く数だけ等分していく。のだが、今回はかなり多めに作るから、まあ適当に分けていこう。というより、自分にとっては手のひらサイズのものが、彼らにとってはかなり大きいものであるということには違いない。10、20だけ作ったとしても、充分すぎるだろう。
そうして作ったクッキーの種を、ペーパーを敷いた鉄板の上へ並べていく。見事に鉄板がクッキーの種でみっちり詰められた。うーん、なかなか壮観だ。最後に鉄板を予熱しておいた釜の中へ入れれば、あとは数十分待つだけだ。
「さ、皆さんお食事の準備をしてくださいね」
『はーい』
そう声をかけると、いい返事がくる。各所に散らばっていたお客人たちは、一斉にテーブルの上へと集まっていった。いつの間にやら
『そろそろかね』
「ええ。もう出来ますよ」
出来上がりを知らせる鈴の音が釜の方から鳴る。火の精霊にちょうどいい具合になったら、備え付けの鈴を鳴らすように頼んでおいたのだ。さて、最後の仕上げだ。
釜から慎重に鉄板を取りだし、予めキッチンの上に敷いておいたシートにそれを置く。こちらのシートは特別製で、水の精霊の
「さ、できましたよ。御要望の『ざくざくおたからクッキー』です」
瞬間、山盛りだったはずのクッキーは、恐ろしい勢いで消え去った。本当に一瞬にして消え去ったのだ。見回せばそこにはクッキーを口いっぱいに頬張るお客たち。そしていつの間にやら重たくなっていた左肩では───
『フム、これはこれは。美味だな』
ざくざくとクッキーを食べる
『さてと。こんなにも美味いものを頂いたのだ。礼としてお前にひとつ、教えてやろう』
『皇太子が皇帝の椅子に座った。心せよ』
その言葉で、体が強ばる。なんてことは無いただの言葉のはずだが、何故か凍りついたように動かない。
『おいしかったー』
『またつくってねー』
『こんどはもっともってくるねー』
次々に言葉が聞こえてきて、最後に響いた言葉は、やはり
『さて……これからお前がどんな選択をするのかはお前次第だが。くれぐれも、お前自身は曲げてくれるなよ』
そう聞こえたと思ったら、既にかの姿はなく。
残された自分は、そこで呆然とするしか無かった。
終
おひとり喫茶アルケミー サニ。 @Yanatowo_Katono
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