第七話「イモムシの助言と彼女の回想 1」

「あんにゃろう……電話ぐらいかけてこいやっ!」


 小夜はスマートフォンの画面に映る、如月の番号を睨みつけた。場所は彼女のマンションから程近い並木通り。小夜は夕飯の食材を求め、商店街を目指していた。

 今日は日曜日だから商店街は混雑しているだろうなあ……。彼女はそんなことを考えながら、新緑の並木通りを歩いて行く。

 

先日の一件――血塗れの彼の手と表情を失くした暗い瞳。あの・・以外の男がどうなろうが、関係ないって思ってたのに……何故かあの時は心が揺れた。まあ、状況が状況だったから仕方ないけど、柄にもなくマジ泣きしてしまった。


 そして挙句の果てには彼に抱き着いて ”泊まっていって” なんておねだりする始末。ほんと、あの時はどうかしてたわ。流石に一昨日は恥かしくて学校に行く気にもならなかった。なんか最近、情緒不安定だなあ……。小夜はそう思いながら、スマートフォンをジーンズのポケットに滑り込ませた。


 早苗からのLINEによると、一昨日は何やら鈴木にボコボコにされたらしい。恐らく彼の目的は鈴木を退学に追い込むことだ。だからわざと奴をあおったに違いない。


 ほんとやることなすこと、めちゃくちゃなんだから……。小夜は苦笑いを浮かべながら溜め息を漏した。そしてゆっくりと歩きながら、彼女は如月とすれ違ったあの雨の日のことを思い起こした。


 男は30代を境に徐々に性欲が落ちてゆく……どうやら、例外もあるらしい。なんせ今日のオヤジときたら、自分の娘よりも若いガキを相手に、一晩で4回もイッたんだから。ほんと50過ぎでよくやるわ……。


 日曜日の午前3時――小夜はそんなことを思いながら、ラブホテルのジャグジーに浸かっていた。

 ああ、気持ちいい……。シャンパンとワインに加え徹夜で遊び続けた体に、心地のよい温もりが急激な眠気を誘ってくる。そういえば、昨日はモロに見られたなあ。よりによって同じクラスの男子とは……ほんと、ついてない。


 ジャグジーの縁に首を預けると、小夜は静かに溜め息を漏らした。確か如月っていったっけ。いつも一人だし何か地味な子だったなあ……。小夜は彼の顔を思い浮かべた。


 同じクラスになって3ヶ月が経つ。でも彼とは一言も会話を交わしたことはなかった。それどころか、どんな声かすらも知らない。やっぱり見た目と同じで地味な声なのだろうか? 小夜はそう思いつつ瞼を静かに閉じた。


 まあ別にいいや。それは明日になれば分ることだし。それよりも今ヤバのはこの眠気だった。ああ、これは限界だわ。瞼重すぎっ、もうどうでもいいや……。


 気付くと、小夜はスクランブル交差点の真ん中で一人佇んでいた。行き交う人々はそんな彼女を無視して、足早に通り過ぎて行く。白黒テレビのように色を失った街と人々――。

 

 そんな灰色の世界で一人だけ、色を失っていない人物がいる。小夜は宝物でも見つけたように、小走りで彼のもとへと駈けてゆく。だが彼女は途中でぴたりと歩みを止めた。なぜなら彼の隣には一人の女性が寄り添っていたからだ。幸せそうに微笑む二人。小夜は冷めた目で彼らを見つめていた。


「ねえ、声かけないの?」


 足元に目を向けると、イモムシが見上げていた。


「ええ」 


「どうして? 好きなんでしょ」


「あんたバカ? 隣に女がいるの、見えないわけ?」


「そんなの奪えばいいじゃん。得意だろ?」


「……それが出来たら苦労しないわよ」


「ああっ、自信ないんだ。この弱虫っ!」


イモムシ・・・・にいわれたくないわよ」


「キミがそんなんだから、周りは迷惑をするんだよ。あの・・の代用品にされる人たちのことも少しは考えなよ」


「うるさい……」


「自分が幸せじゃないからって、他人を不幸にしていいの?」


「うるさい……」


「周りの人たちはキミの玩具じゃないんだよ」


「うるさいっ!」


 小夜はイモムシを踏みつぶした。途端になぜか不安を覚えた小夜は先程の彼を探し始めた。すると遠くで微笑みながら彼女に手を振る姿が見えた。小夜も微笑みながら彼に応える。だが次の瞬間、彼は小夜に背を向け女性と二人でどこか遠くへと消えていった。


 お願い、待って……そう呟いた途端、急に息苦しさが襲ってきた。ああ、苦しい……。


「――ちゃんっ!」


 誰か助けて……。


「ちょ、ちょっと、小夜ちゃんっ!」


 北田優香の声で目が覚めた。彼女が起こしてくれなければ、数分後には溺死していたことだろう。ラブホテルのジャグジーで女子校生が溺死。しかも体内からはアルコールが検出。優等生の三島小夜がなぜ? うちのバカ教師たちはさぞかし驚くだろうな……。そんなことを考えながら小夜はシャワーの冷水を頭からかぶった。


 数分後、浴室を出る頃には完全にしらふに戻っていた。洋服に着替えながらキングサイズのベットに目を向けると、脂肪のかたまりのような中年男がいびきをかいて寝ていた。


 常連客――大病院の医院長。今日のお相手は新入りの優香だ。昨日めでたくデビューを飾った彼女は昼に一人、そして翌日この豚で二人目となる客をとった。


 優香は昔から友達もいなく、いつも一人ぼっちだった。そんな彼女に初めて出来た友人が小夜だった。優香は美しく頭の良い小夜に心酔していた。だから彼女にとって小夜の言葉は絶対だった。 ”ウリをして” と、いわれれば二つ返事でそうするくらいに。


「大丈夫だった?」


 小夜はソファーで俯いている優香に声をかけた。


「う、うん……小夜ちゃんがいてくれたから」


「でも次からは一人なんだよ。大丈夫?」


 小夜は静かに優香の隣に腰を下ろすと、優しく彼女を抱き寄せた。


「……大丈夫」


 優香は瞼を閉じて涙を堪えるように頷いた。

 ほんと、素直ばかな子……。優香の柔らかい髪を撫でながら、小夜は心の中で呟いた。目の前のベッドでは、相変わらず脂肪のかたまりがいびきとも唸り声ともつかない、騒音をまき散らしている。


 年甲斐もなく随分と頑張ったからだろう。どうやら優香のアレは相当に良かったらしい。しかもこの童顔な顔立ちだ、これから一層出番が増えることだろう。小夜は心の中で微笑みながら、むせび泣く彼女の唇をそっと塞いだ。


 アフターケアも仕事の内……だけどその仕事も今日で終わりだ。小夜はそう思いながら窓の外のネオンを見つめた。




 翌日は普段より早く起きて、学校へと向かった。いつも一番乗りの如月とサシで話す必要があるからだ。それにしても何で彼はいつも一番乗りなんだろう? クラスメイトの子が、以前そういっていたことを小夜は思い出していた。


 教室に着くと案の定、まだ如月は訪れていなかった。それもそのはず、時計の針は7時20分を指している。小夜は自身の席に腰を下ろすと、どうやって彼の口を塞ごうかな、と頬杖をつきながら考え始めた。


 色仕掛け? 泣き落とし? それとも逆ギレで脅す? どれを選んだところで、おとなしそうな彼のことだ、すぐに口をつぐむことだろう。


 それより問題は鈴木だ。なんか最近 ”ヤラせろ” 感が如実に強くなってきてる。飽きたからそろそろ切ろうかな……。小夜がそんなことを考えていると教室のドアが静かに開いた。


 おっと、お出でなすった。さあ、楽しませてよ、如月君っ! 小夜はそう心の中で呟くと、彼に微笑みを向けて「おはよう」と声をかけた。






 

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