グラデュエーション
「さて。番組の最後を飾るいつものこのコーナー、『恋の試し書き』の時間となりました。卒業シーズン到来ということでしょうか、いつもより沢山のメールをいただいております」
「クリスマス、バレンタイン、そして卒業。恋の節目の時期ですね」
「でね、みやじー。今夜は一通、紹介したいメールがあるんだよね」
「そうなんです。僕たちいつも本番前に番組の打ち合わせをしているんですが、その中でこれはぜひ採り上げたい、と意見が一致しまして。それでは石田さん、説明お願いします」
「了解。去年の三月と七月だったかな、『放課後ガール』さんという高三の女の子からのメールを、二度にわたって番組内で紹介させてもらったのですが」
がさがさと紙を広げる音が小さく聞こえた後で、石田さんが話を続ける。
「彼女からの相談をかいつまんで説明しますと。ずっと気になっていた人を同じサークルに誘ったらオーケーをもらって、そこで親しくなりいよいよ告白しようとしたら、その人はすでに自分の友達を好きになってしまっていた、というお悩みだったわけです」
「その時確か石田さんは、時間が解決するのでは、と答えていましたっけ」
「そうそう。そしてそれから半年以上過ぎたつい先日、その『放課後ガール』さんから再び報告のメールが届いてね。今回の卒業で、彼女の中でもどうやら一区切りついたらしくて」
「……一区切り、ですか。実は僕、メールの内容まではまだ教えてもらっていないんですよね。石田さん、それではよろしくお願いします」
石田さんは小さく咳ばらいをすると、メールの紹介に入った。
「じゃあ改めて、ラジオネーム『放課後ガール』さんからのメールです。石田さん、みやじーさん、こんばんは」
「こんばんは」
「以前二度も悩みを相談させていただいた『放課後ガール』です、その節はありがとうございました。その上でほかの投稿者さんたちを差し置いて大変申し訳なく、まことに厚かましいお願いで恐縮なのですが、今回の三度目のメールだけはどうしてもラジオの中で読んでいただきたいのです。私の好きな人がこの番組のリスナーで、私がエルミタージュを聴き始めたのも、その人に勧められたからなのです。だからもしこのメールが読まれるようなことがあれば、私の好きな人にも私の気持ちが伝わると思うのです」
へえ、と隣でみやじーが驚きの声を上げる。
「私はすでに高校を卒業していて、このメールは大学の合格発表の前日に作成しています。明日学校で、私は自分の好きな人に別れを告げようと思います。メールの中で今まで相手のことを、好きな人、と言葉を濁してきた私は少し卑怯でした。私は高校に入学した時から、彼女に一目ぼれしていました」
みやじーがぽつりとつぶやく。
「『放課後ガール』さんが好きな人って、女の子、だったんですね」
「そうだね。では続きを」
石田さんは淡々とメールを読み続ける。
彼女が私の友達、正確には後輩の男の子なのですが、彼を好きだと知ったときは大変なショックでした。時間が解決する、とのアドバイスを石田さんに頂いてから、私なりに考えた結果、私は彼女を応援することに決めました。彼女と両思いになれなかったことは残念でしたが、同時に、彼女が誰かを好きだと思えるようになったことが嬉しかったのです。矛盾しているようですが、私の本心です。
そして私は自分の気持ちを整理するために、いったん福岡を離れようと、東京の大学を志望することにしました。もし大学に合格していたら、このメールが読まれている頃には、もう私は福岡にはいません。彼女の前でだけは弱気になってしまう私は、どうしても面と向かって気持ちを伝えることが出来ませんでした。だから、ちょっとした行動と、石田さんにこのメールを読んでもらうことで、告白の代りにしたいと思います。
臆病な会長でごめんなさい、私の書記さん。また逢う日まで、これからもずっと愛してるよ。
スタジオに、少しの沈黙が流れた。
「石田さん。これって、失恋、なんですかね」
「細かい事情は分からないけれど、少なくとも、恋を失ってはいないよね。一方通行でも相手のことを想っている限り、それは常にそばにあるんだから。また逢う日まで、っていう彼女の気持ちが、相手の女の子に伝わればいいなと願うばかりだね」
がさがさと再び紙をたたむ音が、イヤホン越しに遠い潮騒のように聞こえてくる。
「振り返ってみると、『放課後ガール』さんの恋のいきさつを、この一年間で図らずも紹介してきたことになりますね」
「以前紹介した二度のメールもかなりの反響があったし、恋をすれば誰もが彼女と同じような悩みを抱えてしまうと思うんだよね。今回彼女が出した結論、リスナーの皆さんはどんな感想をお持ちになったでしょうか。このコーナーでは恋のお悩みメール、どしどしお待ちしております」
「待ってまーす」
「それでは本日のラスト。グラスゴー出身、メリッサ・ディーンの二〇〇九年のヒット曲、クロス・ザ・ライン・イフ・ユー・アドミット。それではまた明日」
「また明日、おやすみなさい」
アコースティックギターの残響がイヤホンから消え、続くチャイムが零時を告げると同時に、私はラジオのスイッチに手を触れた。オレンジ色に発光していたディスプレイが瞬時に闇と同化して、暗い部屋に静寂が下りる。
隣の部屋の陸に聞こえてしまう、そう思っても、私は嗚咽をこらえることが出来なかった。ベッドの上に仰向けになり、両手で目を覆っても、あふれる涙は指の隙間から絶えることなくこぼれていく。やはり私は馬鹿だ。好きになることに夢中になりすぎて、愛されていることに気付かなかったなんて。
私は私の為だけに生徒会長をやっている、と白倉さんが語ったのは、全くの真実だった。生徒会長という偶像を背負って公人となることを選んだ彼女の、たった一つの我がまま。私を書記に誘ったこと。私と話す機会を作るために。私と友達になるために。私と恋人になるために。なんて回りくどいやり方。
そしてやはり生徒会に誘った司くんを私が好きになったのは、白倉さんにとって大変な誤算だったに違いない。それでも彼女は、変わらぬ友情を司くんに注いでくれた。そして、まったく気づかないうちに彼女を振ってしまっていた私に対しても。
どこかで、何かのタイミングが変わっていたら。そんな仮定は全く意味がない。私から司くんへ、司くんから白倉さんへ、そして白倉さんから私へ。そんな私たち三人の間での交わることのない一方通行を恨むのは、見当違いというものだろう。それは同時に、私たちの危うい均衡を保ってくれてもいたのだから。しかしそのようなバランスの在り方など、もはや私にはどうでもよかった。
私は手の甲で、頬の涙をぐいと拭った。欲張りだと笑われてもいい、不道徳だと
そして私以外の彼ら二人は、自分たちの恋を告白という形で全うしたのだ。最後になってはしまったが、私が自身の恋にけじめをつけることで、私たちの生徒会活動はようやくその幕を閉じることができる。
私は枕元に放り出してあった携帯を手に取ると、司くんと最初で最後のデートをしたあの日の夜以来、使われることのなかったアドレスを呼び出した。通信欄に入力すべき文面は、すでに白倉さんがラジオで教えてくれていた。
臆病な書記でごめんなさい、私の副会長さん。また逢う日まで、これからもずっと大好きだよ。
少し考えて追伸を付け足した私は、目を閉じて携帯の電源を落とした。
――返信不要です。
《了
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