終章 グラデュエーション

合格発表の午後

 三月の第二週目。卒業式からちょうど一週間が過ぎた今日は、国立大学の合格発表の日だった。九州帝大からの合格通知は午前中には自宅に届いていたし、それはネットでもダブルチェックで確認できた。自立への第一歩、新しい航海。だが私は、始まりの予感よりも終わりの余韻よいんの方がずっと強い自分に戸惑っていた。

 こんなことではいけないと、私は顔を洗い、これが最後の機会になるであろう制服に袖を通す。午後も遅くなってから、私は先生たちに合格報告と謝意を伝えるために、放課後の時間に合わせてぶらぶらと学校へと歩いて行った。

 先日行われた卒業式はそれなりに感慨深くはあったものの、受験の合否がわからなかったその時点では、皆どこか落ち着かない雰囲気であったのは否めなかった。白倉さんとも写真を取り合ったりはしたが、私たちは二人とも、当たり障りのない会話と挨拶をして別れた。合格発表の今日が本当の卒業式だと、お互いにわかっていたから。




「先生、本当にありがとうございました。それでは失礼します」


 頭を下げて職員室の扉を閉めた私は、上げた視線の先で、廊下の向こうから早足で歩いて来る男子生徒に気付いた。


「あ」


「よう。九州帝大、受かったんだってな。まあ、うち学校の学年首席が地方の国立大なんか落ちるわけないんだが」


 細面の精悍な顔立ち、学生服の襟元を崩した着こなし。スケボーがなくても、ただの立ち姿ですら実に決まっている。長身でスタイルがいいって、男女問わず本当にお得だわ。


「朝倉くん! お久しぶりです」


 彼の公園でのスケボー練習に対して白倉さんが指導を行ったあの日以降、私が朝倉くんと直接話す機会はなかった。だがその後、学校に再度苦情が来なかったことを考えれば、彼は白倉さんとの約束を律儀に守っていたに違いない。朝倉くんと出会ってからもう一年がたとうとしているのか、と感慨にふける私を、彼は不満げに見た。


「久しぶりとは、まったくご挨拶だぜ。俺はお前のこと、時々目の先で追っかけてたんだがな。俺の熱い視線、背中に感じなかった?」


「なるほど。どうりでたまに寒気を感じると思ったら、朝倉くんだったのですか。来年の校則に、ストーカー禁止の項目を追加する必要がありそうですね。司くんに進言しておこうっと」


 照れ隠しの私の嫌味は、朝倉くんには全くのご褒美のようだった。何を企んでいるのか、彼はにやにやと嬉しそうにしている。


「へえ、手厳しいな。でもそういうことなら、九州帝大の校則にもそれがあることを確認しておいた方がいいと思うぜ」


「はて、どういう意味ですか」


「ちぇっ、なんだよ。俺も合格したんだよ、九州帝大に」


「え、本当?」


「ああ、お前と違って工学部だがな。医学部も、最初の一年間は俺たちとキャンパスが一緒のはずだろ。これでまたお前のこと、追っかけられるってわけだ」


 私は朝倉くんの手を握ると、うるんだ目で長身の彼を見上げた。彼が赤くなるのを承知の上での、あざとさ満点のいたずらだ。男の子にこんなジョークを飛ばせるようになるなんて、この一年で私も成長したなあ。


「おめでとうございます! ごめんなさい、チェックしてなくて。そうか、朝倉くん、頑張ったんですね」


 案の定、彼は慌てて私の手を離したが、やがてわずかに落胆したように肩をすくめた。


「まあ、無理もないさ。俺みたいな雑魚のことまで把握しているなんてのは、あの悪魔みたいな生徒会長くらいなものだろうからな」


 私はふふんと笑うと、朝倉くんの胸をつついてみせた。


「ううん。私、知ってますよ。RAIKIさんとチームを組んで、ボードの西日本選手権に出場するんですよね? 五月に岡山で開催されるやつ。入賞、楽しみにしていますからね」


 つい先日、彼の行動を追跡していた白倉さんから聞いた情報を、私は受け売りで言った。彼女はただ助けるだけではない、その後のフォローも万全なのだ。その私の言葉は、朝倉くんにはかなりの効果をもたらしたらしい。君の照れる顔も、結構イケてるわよ。


「へ、へえ。お堅い書記さんもご存じだったとは、嬉しい誤算ってやつだぜ。誤算ついでだ、入賞とかケチ臭いこと言わずに、優勝でもゲットしてやるかな」


 私は人差し指を立てて、ちっちと横に振った。


「卒業したんだから、もう書記じゃありませんよ。だから、八尋って呼び捨てにすることを許してあげます。大学でも仲良くしてくださいね、朝倉くん」


 彼はぎこちなく背筋を伸ばすと、差し出された私の右手を硬直した顔で握った。


「こちらこそだ、八尋、さん」


「ぷっ。似合わなあい」

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