約束

 前に、進む。進んでいいのか。私一人の中にしまっておけば、それで済むことじゃないのか。司くんの中に無理やりに私を押しこむこと、それはただ混乱を引き起こすだけに終わるのではないか。


「そんなこと、できません。司くんは会長が好きなんですよ」


「彼の気持ちなんか知ったことじゃないわ。あ、これ、前に環季にも言ったっけね? 告白するために好きになったんだ、それを全うしないでどうするの」


 現国の試験では常に彼女の上を行っていたはずなのに、私は白倉さんの言葉が理解できなかった。いや、個々の単語の意味はもちろん分かるのだが、その並び順が難関大学の英文問題よりもはるかに奇々怪々だ。


「そんな無茶苦茶な。それって、目的と手段が逆転していますよ」


「好きになることなんていつでもできる。告白するのは、今しかないんだよ」


 そうかも、そうだな、と思わせてしまうところが、この生徒会長の魔力だ。それは初めて彼女に出会った時から、常に変わらず私にその効力を発揮し続けている。


「い、今ですか。あの、卒業してからとかでも」


 白倉さんはわずかに視線をそらしたが、すぐにからりとした調子で私に微笑んだ。


「そうだね。まあ、あなたの場合はそれでもいいか。でも私は、卒業したら福岡を離れるからね。もう、あまり時間がないんだ」


 私は息をのんだ。


「え。じゃあ、会長の進路って」


「うん。私、東京帝大を受けようと思っているのよ」


「まさか、医学部ですか」


「どうかな、統一テストの出来次第だけれどね。でもとにかく、上京することに決めたんだ」


 なんという一日だろう。私の告白は宙に浮いたままその行き場を失い、目の前の彼女はそう遠くない未来にここから去るのだという。卒業まで、もう三か月もない。


「……そうですか。東京に憧れがあるんですね」


「馬鹿ね、そんなわけないじゃない。私はここが好きよ」


「それじゃあ、どうして会長は遠くに行ってしまうんですか。私は、会長と」


 私は彼女の袖をつかんで、友達の名前を呼んだ。


「莉子と、離れたくない」


 白倉さんが息をのむ音が聞こえた。


「駄目だよ、いまさらそんなこと言ったりして。受験の邪魔しないでよ、迷惑、なんだから」


 そっぽを向いた彼女の瞳が、小さく揺れているような気がした。


「そうですね、ごめんなさい」


 白倉さんのやることには、常に意味がある。彼女が地元の福岡を離れることにも、きっとそれなりの決断があったのだろう。今こそ私は、友達の気持ちを尊重してあげなければいけない。


 強くならねば、と私は思った。司くんの気持ちも、白倉さんの進路も、私が自分の都合で変えることなどできない。だが、自分自身だけは変えることが、変わることができる。かつての居心地はいいが暗く窮屈な時代は、とうに過ぎ去ってしまった。もう戻る場所なんてない、白倉さんの言った通りに、顔を上げて前に進むだけだ。そうじゃなければ、私が生徒会に参加した意味はどこにあるのか。


 私は鼻をすすると、握りこぶしを突き出して笑った。


「とりあえず全ては、二人とも合格してからの話ですからね。私はもちろん自信ありますが、会長は受験、大丈夫ですか」


 白倉さんは小さくうなずくと、自らもこぶしを握って、私のそれと軽く付き合わせた。彼女の骨の堅い感触が、私のくよくよした感情を吹き払っていく。


「ふん、学部さえ選り好みしなければ楽勝よ。もう今から、東京で暮らすための住居を物色してもいいくらい」


 白倉さんは腕を組んで不敵に笑うと、顔を近づけて私の瞳を覗き込んだ。


「それで環季、あなた大丈夫かな? 彼に告白する覚悟、出来た?」


「や、やっぱり、司くんに告白しないとだめですか。その、何かきっかけというか、後押しというか。会長が一緒についてきてくれるっていうのは、駄目ですよね」


 白倉さんはあきれたようにため息をついた。


「どこの世界に、恋がたきと一緒に告白する奴がいるのよ。それじゃあこうしよう。私が先に、自分の好きな人に告白する。そしたらその後で、環季も金澤くんに告白する。それでどう?」


「そんな」


「金澤くん、意外にあっさりオーケーしてくれるかもしれないわよ? すぐに乗り換えられるのはなんだかしゃくだけれど、それが環季なら許してあげる」


 私は苦笑しながら首を振った。


「本人が言ったように、司くんは不器用ですから。第一私は、軽い人は嫌いです。それよりも、会長こそどうなんですか。告白すれば、相手の人を奪い取れたりするんですか」


 私は、白倉さんの想い人の話に水を向けた。一体どんな人なんだろう。時間がないというのであれば、やはり福岡に住んでいるのだろうけれど。この一年間で白倉さんとはかなりの時間を共有してきたつもりだが、彼女は片思いしているような様子などおくびにも出さなかった。もっとも、私が人の心の機微に疎いと言われればそれまでなのだが。


 白倉さんは私に何の手掛かりも与えることなく、問題外というように片手を振って見せた。


「冗談でしょ、略奪なんて趣味じゃないわ。一方的に好きだーってまくしたててサヨナラするのよ。さっきも言ったでしょ、告るのが目的だって。大切なのは結果より行動だからね」


 実に彼女らしい。うまくいこうといかなかろうと、それこそ知ったこっちゃないということか。実行力の怪物だ。


「そうですか。じゃあ私たち二人とも、振られること確定ってわけですね」


 私と白倉さんは互いに顔を見合わせると、ほろ苦く笑った。


「そうよねえ。でもその時は、ポテトチップスでも食べながら失恋話で盛り上がろうか。そういうの、悪くないよね?」


「いいですね。私もいつか、会長と恋バナしてみたかったんです。でも会長は、ポテチよりもケーキのほうがお好きでしょう?」


 白倉さんはにんまりとうなずいた。私だけが知っている、彼女のもう一つの顔だ。


「よし、決まった。それじゃあ環季、私の報告を楽しみにしていてね」


「別に無理しなくてもいいですよ。会長が告らなければ、私も司くんに告らずに済みますから」


「それはないわね。ご存じの通り、私はやると言ったらやる女よ」


「はは。やっぱり会長は怖いなあ」


 そうして私たちは、受験の心配などそっちのけで、お互いの想い人への告白に戦々恐々とする日々を送ることになった。その結果がわかるのは、卒業して大学合格を手にしたときになるのだろうか。


 相変わらず重量のあるリュックを担いだ白倉さんは、思い出したように私を振り返った。


「あ、そうそう。クリスマスケーキ、金澤くんのところに持って行ってあげて。彼、もう少し教室に残って仕事するって言ってたわよ。年明けの二月には生徒会長の選挙があるし、立候補の準備もしなきゃって」


「え。気まずい」


「つまんないこと言ってないで、さっさと行きなさいよ。大丈夫、あなたが聞いてたってこと、向こうは知らないんだから。彼と話せるの、あと何回もないぞ」


 そう言って白倉さんは私の肩を軽く叩くと、冷蔵庫からショートケーキを取り出した。


「環季、私の分もらっていくよ。いつも本当にありがとう、親愛なる書記さん。それじゃあね、メリークリスマス」


 彼女は後ろ手にひらひらと右手を振ると、長い黒髪をひるがえして扉の向こうに消えた。


「メ、メリークリスマス」


 私は残された二人分のケーキをつかむと、二年生の教室へと駆けだした。

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