ラジオ・ガールズ

「それじゃ会長、遠慮なくどうぞ。階段上がって二階の奥が私の部屋です」


「では、お言葉に甘えて。失礼します」


 白倉さんは几帳面に一礼すると、脱いだ靴をそろえて向きを変え、私の少し後ろをついてきた。おお、いかにも育ちの良さを感じさせる。


「ここです。何もないですけれど」


 入り口に立った白倉さんは、興奮したように頬を上気させて、きょろきょろと室内を観察している。なるほど、自分の部屋を見られるというのは、自分の生活をさらしているという事なのだな。どうりで恥ずかしいわけだ。


「うわあ、私の想像とは全然違う。汚部屋だなんてもちろん思っていなかったけれど、八尋さんの部屋って凄くきれいに片付いているじゃない。むしろ受験生の部屋としては、確かに何もない、と言っても言い過ぎじゃないわね。もっとこう、教科書とか参考書とかが、床を埋め尽くさんばかりに散乱していると思っていたのだけれど」


「いや、必要な分は出して机の上に積みますけれどね。使わない時は、ベッド下の収納なんかになおしておくんです。いらないものが目に入ると、雰囲気が壊れるというか」


「雰囲気? 八尋さん、フィーリングで勉強しているの?」


「私にとって勉強時間は、唯一のリラックスタイムでもありますから」


「へえ?」


 要領を得ない表情の白倉さんは、私の机の上に鎮座している卓上ラジオに目を留めた。それは当然だ、殺風景な私の部屋の中で、それだけが強烈な存在感を放っている。


「うわー、レトロでおしゃれ。でもラジオなんて珍しいね、英語講座を聴くために買ったの?」


「いえ。私の、隠れ家とでもいうか」


 隠れ家すなわちエルミタージュ、その名の通りに。興味津々な白倉さんの前で、私はラジオのダイヤルにそっと触れた。ひんやりとした硬質な感触が、指を通して伝わってくる。


「ラジオって不思議なんです。リスナーの人って、基本的に独りでラジオに耳を傾けていますよね。独りぼっち同士がひたいを寄せ合って、ひそひそ話をしたり、くすくす笑ったり、しんみりしたり」


 そして私も独り、暗い部屋でデスクスタンドに照らされて、さまざまに表情を変えながら。ちょっとホラーっぽいかも、と私は心の中で苦笑した。


「ラジオを聴いていると、すごく安心できるんです。独りだけれど、独りじゃないんだなあって。電波を介しているにもかかわらず、みんなとの距離がすごく近くて。パーソナリティーさんとも、他のリスナーさんとも」


 そこまで言って、私は我に返った。思わず力説してしまった。あきれられたかな、と恐る恐る顔を上げてみると、白倉さんの猫目は優しく垂れていた。


「……そうなんだ。八尋さんは、そうやってラジオで自分を支えてきたのね」


「そうせざるを得なかった、という面も多分にあるんですが」


 白倉さんはしばらく何も言わなかった。だが、私はその沈黙が不快ではなかった。彼女は一所懸命に私を理解しようとしてくれている。どうして白倉さんはこんなにも誠実なのだろう。生徒会長だから、誰にでもそんなに優しいの? って、何考えてるんだ私は。


 やがて彼女は一人うなずくと、明るく笑った。


「ラジオ、素敵ね。私も今度、聴いてみることにする」


 相手が白倉さん以外であれば、私はその言葉をただのリップサービスだと受け取って落胆したことだろう。だが私には、彼女が本当にラジオを聴いてくれるという予感があった。


「あの、ラジオを聴くには性格もありますから。合わないと思ったら、無理しなくてもいいんですよ?」


「了解、八尋さん。おすすめの番組とかあるのかしら?」


「CKBラジオ、『エルミタージュ』です! 今メモしますから」


 私は思いっきりの太鼓判を押して、番組名と周波数を書いたメモ帳をびっと破って白倉さんに手渡した。


「会長にはちょっと子供っぽい番組かもしれませんけれど、私たちくらいの高校生をターゲットにしている、イカした青春チャンネルなんですよ」


「……なんだか八尋さんのその表現が、ラジオと同じくらいレトロね」


 渡された紙を苦笑しながらリュックのポケットに入れた白倉さんが、何か言いたそうにこちらを見ていることに私は気付いた。そうだ、大事なことを忘れていた。


「ところで会長。ついでに寄ってみた、みたいなこと言ってましたけれど。本当は、私に何かお話があったんじゃないですか?」


 白倉さんは、ぱんと手を合わせてうなずいた。


「ようやく聞いてくれましたか、ご名答。用件の一つは、おわびかな」


「私、会長に謝られるようなことなんてありませんが」


「そんなことないでしょ。春休みに入ってからの二、三日、あまり眠れなかったんじゃない?」


 その通りだ。書記を引き受けてからというもの、ベッドにもぐりこんでは、これで良かったのかと自問自答する夜が続いていた。だがそれは私の問題であって、決して白倉さんのせいではない。それにその通過儀礼は、どのみち私には必要なものであったはずだ。


「当たっていますが、気にしないでください。多少の睡眠不足では、私は学年一位を譲ることはありませんから」


 私の冗談に、白倉さんはにやりと笑った。


「残念、私の姑息なライバル蹴落とし作戦は失敗したか。それじゃあ、二つ目の用件。まずは、あなたも制服に着替えてくれると嬉しいんだけれど。八尋さんの着替え、ここで見ててもいいかな?」


「もちろんだめですが。私も制服とは、どういう事でしょう」


「制服ですることは一つよ。あなたも生徒会の仕事に付き合ってくれない?」

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