彼女は口説き上手

 白倉さんのその一言で、私は頭の中が真っ白になってしまった。


 生徒会役員。その頂点にいるのはもちろん、今私の目の前にいる生徒会長、白倉莉子その人である。

 わが校では、生徒の全員投票による選挙で選出されるのは生徒会長のみであり、生徒会執行部を構成するその他の役職、具体的には副会長や書記、会計などは、すべて生徒会長からの指名制となっている。

 四月から新たな執行体制に移行するにあたって、生徒会長である彼女が終業式を終えた今の時点で来期の役員を集めていること自体は、別に不思議ではない。


 問題は、どうして私などを書記に勧誘しようとしているのか、だ。


「あの、会長。一つ質問、いいですか?」


「なんなりと、八尋さん」


「率直にうかがいます。会長は、私のことをどう思っていますか?」


 なぜか白倉さんは、顔を赤らめながら窓の外へと視線をそらした。


「え。そ、そりゃあ、可愛いかなって。そのショートボブの髪型、超似合ってるし。たれ目っていうのも、私にとっては非常に高ポイント」


 ……意味不明。何を勘違いしているのだ、この生徒会長は。すきのない人物だというのは私の一人合点で、ひょっとしたらポンコツ要素を多分に含んでいるのかもしれない。いや、待て。あらゆる組織を相手取ってきた百戦錬磨の会長のことだ、私を油断させて懐柔かいじゅうする作戦だという可能性もある。軽々に警戒を緩めるわけにはいかない。


「いえ、私の聞きたいのはそんなことじゃなくて。私の評判というか、イメージというか」


 白倉さんははっと我に返ると、ばつが悪そうに頭をかきながら、照れた笑いを浮かべた。


「ああ、そういうことね。あくまでも個人的な想像と周囲から収集した情報に基づくものだけれど。真面目で、物静かで、何より頭脳明晰めいせき


 うん、やはり白倉さんは優しい。だが。


「会長、そんなに気を使わなくてもいいですよ。根暗でコミュ障のガリ勉、でしょ? そんな私が、よりによって生徒会役員だなんて」


 私自身は別段その評価に不満はないが、やはり物事には適材適所というものがある。自分の欠点はやや過剰なくらいにアピールしておかないと、彼女に迷惑をかけ失望させることになる。

 私のそのやんわりとした拒絶に、白倉さんは微笑みながら反論した。


「根暗でコミュ障、って。八尋さん、これだけ私とお話しできてるじゃない。自己評価、低すぎない?」


 そうなのだ。この場に限って、白倉さんに限って、私はこんなにもおしゃべりができている。自分自身でも驚くほどに。しかしこれは、私に隠されたコミュニケーションスキルがあるわけでは無論ない。白倉さんのほうに、私の心を開かせる何かがあるのだ。ほっとするというか、身をゆだねてもいいというか。

 そんな彼女の暖かさに後ろ髪をひかれつつ、私はなおも抵抗を試みた。


「とにかく私は、対外的に何かを交渉するような役には向いていないと思うんですけれど」


「あら、書記なんだから。そういう面倒なことは私や副会長がやるから、八尋さんは議事録をとったり、これまでの資料をまとめたりしてくれれば、それでいいんだけれど」


 なるほど、そう言われればそうだ。誰かとつの突き合わせて丁々ちょうちょう発止はっしと議論を戦わせるような場面は、書記という役職にはそうそう訪れないに違いない。

 と、そこまで考えて私はかぶりを振った。いけない、危うく引き受けそうになるところだった。まったくこの生徒会長は、自分のペースに乗せるのが実に巧みだ。


「あのですね、白倉さん。書記なんて大した仕事じゃないとおっしゃられるのであれば、だれでも務まるはずでしょう? それがどうして私なんですか?」


 私は会長を思わず名前で呼んでしまった。そのこと自体が、すでに私が彼女に引き込まれている何よりの証左になってしまっているのだが。そして呼ばれたほうの白倉さんは不敵に笑った。美少女の含み笑いは、なかなかに迫力がある。


「それはね、八尋さん。私は、今期の生徒会を最強の布陣にしたいと思っているからよ」


「最強……」


「ほら。やっぱり書記って、勉強ができる人がふさわしいってイメージがあるじゃない? 私より成績がいい人って、この学校ではあなたしかいないから」


 なんと。成績で私をチョイスしたのか、この御仁は。


「でも白倉さんって、私と成績ほとんど変わらない」


 彼女はちっちと人差し指を振って、私の言葉をさえぎった。


「駄目よ、情報には正確じゃないと。今日配られた期末テストの成績、あなたが一番で私が二番。高二の五回の定期テストで、結局私はあなたに二勝三敗だったわ。すなわち、あなたが年間成績ではナンバーワン」


 驚いた、そんなことまで彼女は私をチェックしていたのか。私にとってはテストの順位など、いささかの価値もないどころか迷惑な代物だ。これは決して謙遜けんそんなどではなく、実際に先程、このことが原因で諸永さんに実害をこうむったばかりだ。


「じゃあ、今日という日に私を書記に誘ったというのは」


「そう、成績が出るのを待っていたのよ。白黒付いた方があなたを勧誘しやすいと思ってね。やっぱりあなたは、書記になるにふさわしい頭脳の持ち主よ」


 口実だ、と私は直感した。勉強しか取り柄のない私がテスト順位に執着するならともかく、万能超人の白倉さんがそんなものに一喜一憂するとは思えない。しかしそれならば、彼女が私を勧誘する理由がなおさらわからない。なぜに、ここまで私を推すのだ。


「お言葉を返す様で申し訳ないんですが。さっきも言いましたけれど、書記の仕事に成績は必ずしも必要条件ではないのでは?」


「いやいや。自慢するわけじゃないけれど、学年成績のナンバーワンとナンバーツーが同じ生徒会執行部に在籍しているとなれば、他の委員会や部活、あるいは先生たちににらみを利かせるには十分よ。これって、かなり有利なことだと思うけれど」


 校内の他の団体にそんなプレッシャーを与えることに、何らかの利益があるとは到底思えないのだが。何と戦っているのだ、この人は。


「でも、白倉さん。私たちって今年、受験ですよね? 新高三のあなたが生徒会長にもう一度立候補した時、正直私、あなたの正気を疑いました。いや、私だけじゃなくて、同じ学年の誰もがそう思っているに違いないはずです。そこのところはどうなんですか?」


 白倉さんは、私の内心を見透かしたように笑った。


「それも八尋さんを誘った理由の一つよ。私と、あなた。ぶっちゃけ、生徒会の役員の一つや二つ仕事が増えたところで、どこの大学だろうと合格間違いなしじゃない。今この教室には誰もいないから、こんな嫌味に聞こえること、堂々と言っちゃうけれどね」


 それについてはおそらく、私たち二人の間では暗黙の了解、既定路線だ。私は自分の未来については大いに不安を持っているが、こと受験に対しての不安は全くない。ただし、それは逆の場合よりもむしろ不幸であるように思われるのも事実だが。学歴が必ずしも幸せを保証するものではないというのは、どのようなレベルであっても常に当てはまる。


「それで、八尋さん。そろそろ返事をいただいてもいいかしら」


 白倉さんは私の手を取ると、両の手のひらで包み込んだ。久しく感じたことのなかった他人のぬくもりに、自分の頬がかあっと熱くなるのがわかる。


「書記になって、私と一緒に働いてくれる?」

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