〈七〉 春風ーはるかぜー
春風
「時頼様……!」
小戸から漏れる日の光が顔に当たって暖かい。時頼はゆっくりと目を開け、声の主を見た。
「
意識がはっきりしない。なぜここに姫がおられるのだろう? 手が届くほどに近く。
時頼は
「東宮っ! 東宮は……つっ!」
急に体を起こした為に背中に激痛が走って時頼は顔をしかめた。
「時頼様! いけませんわ! ……ひどいお怪我で死ぬところでしたのよ?!」
そう言ってぷいっと顔を逸らす。
「姫?」
「……御東宮はご無事ですわ。時頼様が守って下さったおかげで、お怪我もかすり傷程度です。そのうちきっと帝からも直々にお言葉がありますわ」
顔を逸らしたまましばしの静寂が降りる。そこで初めて時頼は綺子内親王が自分の身を案じていてくれたことに気がついた。
内親王から、小さな呟きが漏れる。
「……男の方は……女の気持ちなんてどうでもいいんですわ。
殿方が命を懸けて飛び回っていらっしゃる中、私はここで無事を祈るしかありません……その間私がどんなに心配で不安かなんて……殿方は知りもしないでしょうね。
時頼様は昔から東宮のことがお好きでしたもの、私のことなんか……」
「姫の方が好きです!」
綺子内親王の言葉を聞いて、時頼はいつしか叫んでいた。
「 あ……」
次の瞬間、言った内容を自覚して顔を赤らめる。
……これではただの馬鹿だ。
子供の恋愛ではあるまいし、もう少しましな返答の仕方はなかったものか。
物言いがストレートすぎる余裕の無い自分の告白に、時頼はますます顔を赤らめた。 内親王は愛らしい目をより大きくして驚いている。時頼はあまりの恥ずかしさに俯いた。
(……馬鹿だ、俺は……前置きも無しに何言って。きっと姫は呆れ……)
ふと、視界に入っている衣が濡れているのに気がつき時頼は顔を上げ、 動きを止めた。
……泣いていたのである。
綺子内親王はその大きな瞳から、朝露のような美しい雫をいくつも零し、
「ひ、姫……申し訳ありません……いきなり変なことを……」
自分の言葉に驚いて泣かせてしまったと思った時頼は慌ててその涙を止めようとした。
その涙をぬぐおうと手を伸ばす。
その時、内親王が消えそうなくらい小さな声で言葉を紡いだ。
「……嬉しい……」
そのまままた泣き出す。
時頼はやり場のない手をそっと内親王の肩に回して引き寄せた。
しばしの静寂。
ふいに、哀しい道をたどるしかなっかたあの青年と女性のことを思い出す。
彼らは、あの炎の中で行き着くところに行けたのだろうか。その魂は一瞬でも一つになれたのだろうか。時頼には、わからない。
それでも。
彼らを包んだ炎が罪人を滅する炎でなく、来世は幸せな生を生きる為 の送り火であれと、外から漏れる光をまぶしそうに見つめて時頼は願った。
そして、若菜がくれた最後の言葉をかみしめる。
時頼は、綺子内親王を抱く腕の力を少し強くすると、独り言のように呟いた。
「いつか……きっと……」
内親王は、時頼と顔を見合わせると花のように微笑んだ。
「はい!」
今から来るは長い冬。 それでも、必ず春はやってくる。その時まで、今はまだこのままで。
目を閉じて、そっと貴方の手を取れば、春風の吹く頃に……きっと幸せはやってくる。
❖おしまい❖
2001.5.28 了
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