〈五〉 火宅ーかたくー

火宅

「う、ぐっ……」

 この時ほど自分の反射神経に感謝したことはない、と時頼は思った。

「時頼!」

「だ、大丈夫……大丈夫ですよ」

 大丈夫と言いつつ、左肩から背中にかけて激しい痛みが走る。時頼は顔をしかめた。

東宮が焼けたはりの下敷きになる直前、時頼は間一髪で東宮をその場から突き飛ばして難を逃れた。しかし、東宮は無事だったものの、彼を助けた時頼本人は直撃は免れたが無事ではすまなかった。

  背中のものすごい痛みに、時頼は小さくうめく。

しかしいつまでもここにいるわけにはいかない。炎はさっきより勢いを増している。 痛みをこらえ、時頼がぐっと顔を上げると、珍しく神妙な面もちの東宮の表情とぶつかった。

「……すまない」

 怪我をしたのは時頼の方。

 しかしその表情は時頼より遙かに苦渋に満ちていた。

時頼はその時初めて、東宮という地位につき、ほとんど自分というものをもつ事ができず、自分の守りたい物も守れない、東宮の孤独のような物を感じ取ったような気がした。

 この謝罪は、時頼を本当に思っている証拠。

 時頼は素直でない東宮が見せた本心に一つ笑うと、すぐに立ち上がって東宮の手を引いた。

「何しんみりしてるんですか、らしくないですよ。行きましょう」

 東宮は時頼のセリフに驚いた顔をすると、彼の手に引かれるままに立ち上がって呟いた。

「中将は……いや、時頼は本当にお人好しだな」

 それを聞いて時頼はさっきの言葉に付け加えた。

「アンタと心中するのは願い下げなだけです」

 二人は顔を見合わせるとお互いに笑った。



「さて、しかしどうやって脱出するかね。君は手負い、周りは炎と来てる。いよいよまずい状況だが?」

 朱の色が、ごうごうと音を立てて燃えさかる。後退はできない。しかし前進もできなかった。道は、無い。

(……体当たりすれば前の壁は破れるかもしれない)

 しかし、すでに炎に包まれている壁にその身をぶつければ、確実に死の道を歩むことになるだろう。さっき東宮にああは言ったものの、時頼は死を覚悟した。


 迷っている暇はない。


「……下がっていて下さい東宮」

 時頼の意図を読んだ東宮は彼を止めようとしたが、時頼の決意の表情を見て唇をかみしめた。

(……私は……結局何もできぬ!)

 『東宮』という立場に守られ、自分で何かを守ることすら許されない己の身分に腹が立つ。結局自分はそうやって大切なものをこうやって失うのだ。


 そうしている間にも時頼が体制を整え、燃えさかる壁にその身を投じようとした。 しかし次の瞬間、壁が音を立てて崩れ、そこから見知った人物が現れた。

「御東宮……お早く、こちらです」

 ほうには火が移り、彼はすでに紅い色に包まれていた。しかし、その声はどこまでも静かで……

「冴嗣殿……」

  時頼は現れた人物に呆然と呟いた。



*****  *****



「ここをまっすぐいけば外に出られます、お早く」

 そう言って立ちつくしている二人をせかす。しかし冴嗣を見て驚愕に動こうとしない二人を、冴嗣は悲しげに笑った。

「愚かな父をお許し下さい……。許されることはないとは思いますが……そしてこの愚かな私も。一瞬でも自分達の幸せだけを願って父達に手を貸してしまったことがすべての間違いだったのです」

  そう言った冴嗣の後ろに現れた人物を見て、時頼は再び驚きの声を上げた。

「若菜?!」

「……行って下さい、若君。手遅れにならぬうちに」


 二人は、はかなく微笑んで。


 そのしっかりと繋がれた手を見て、時頼はようやく全てが一本に繋がった。あの夜の冴嗣の笑みの意味も、手紙の送り主が誰かも。


「おはやく」

「さあ」


 促されるまま東宮とともに足を進める。ここにいては死を待つだけだ、 立ち止まっている暇など無い。しかし時頼は数歩進んだところで彼らをかえり見た。


 すでに彼らの体は炎に包まれて、しかし痛みも恐怖も無いかのように二 人は佇んでいた。


 彼らを包むは紅蓮ぐれんの炎。そは地獄の業火か天への送り火か。


 冴嗣は時頼と目が合うとあの夜のように微笑んだ。


「……私は、貴方になりたかった。私に貴方のような勇気が少しでもあれば、違う人生を送れたのかもしれない……今となっては、後の祭りでしか ありませんが……」


 ガラガラと木材が落ち、冴嗣達との間を分断する。

時頼は東宮と目配せをすると冴嗣の開いた退路に向かって走り出した。 かすかに、若菜の声が聞こえる。それは、時頼と綺子内親王の幸せを願う言葉のように聞こえた。


 煙が目にしみた。


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