〈四〉 業火ーごうかー

業火①


 風の強い日だった。


 冷たい風が吹き、木の葉をからからと鳴らす。一気に冬が来たようだと格子を下ろしながら小世さよがぼやいた。

 忙しそうに格子戸こうしどを下ろして回る女房にょうぼう達を見ながら時頼ときよりは風の音を聞いていた。

(まるで泣き叫んでる見たいな音だ)

 何の根拠もなくそんなことを思ってみる。

ここに弾正尹宮だんじょういんのみやがいたならば、どうして君はもう少しおもむきのある表現ができないんだと呆れそうだったが、この時の時頼にはそんな表現しか思い浮かばなかった。

あながちこの表現がはずれていなかったと思うのもまだ先の話で、時頼は自分を呼んでいる声に気がつかなかった。

「時頼様」

 時頼ははっと我に返ると呼ばれた方を振り返った。

「あ、ああ若菜。すまない、少しぼーっとしていて……何だい?」

 笑顔をつくって答えると、若菜は文が届いておりますと文箱を差し出す。

 誰から? と尋ねると、若菜は首を傾げて、さあ、でも高貴なお方からの文なので必ず届けてくれと使いの者に渡されましたわと返事を返し た。

 綺姫あやひめか? と文箱を開けると中には品の良さそうな薄紙に短く、


『春の庵の裏庭にて待つ 弥生の片翼』


 と書かれていた。

 時頼は、はて? と首を傾げたがすぐにああ、と頷くと牛車を回すように若菜に告げた。


 ……もし、時頼がもう少し有能でなければ、手紙の意味をすぐに理解しなければ、若菜の手がかすかに震えていたことに気がついたならば、事態 は少し変わっていたのかもしれない。


 しかし、牛車はすでに走り出していた。



*****  *****



 東宮御所の裏門からその身をすべり込ませ、目的地に着いた時頼は自分を呼びだした人物を待っていた。

 たぶん手紙の意味は間違っていない。


 まず『春の庵』。

春とはそのまま東宮のことを指す。東宮の庵だと言っているのだから東宮御所に他ならない。裏庭はそのまま御所の裏庭を指し、『弥生の片翼』は言い換えると『春の片翼』、つまり東宮の片翼だと言っている。もちろん東宮に羽など無い、人間の翼に当たる物、それはこの物をつかむ腕だろう。自分のことを東宮の片腕だと自負している人物は時頼の知る限り一人しかいない。

「遅いな……」

 あんな暗号めいた文で呼び出すのだから穏やかな話は聞けまい。時頼は緊張した面もちで弾正尹宮が来るのを待った。

しかしいくら待っても宮が来る気配はない。

時頼が文の解釈を謝ったか? と思い始めた頃、ふと視線を落とした石の下に小さな文が挟まっているのに気がついた。

時頼は屈んでそれを取り、小さく畳まれた文を丁寧に開くと、また短く、


うぐいすが呼んでいる』


とだけ書かれていた。


 時頼は溜息を小さくつくと踵を返して東宮の部屋に向かった。

その時、かすかに相変わらず吹いている風に乗って妙な臭いが流れてきて、時頼は何だ? と顔をしかめたが、東宮を待たせてはと足早にその場を去った。

 これが罠だと気がつくのはこの直後だった。


右近中将うこんのちゅうじょう 藤原時頼様参られました」

「中将?」

 控えていた女房達は時頼が入ってくるといつものように部屋から出ていった。

「お呼びでしょうか、東宮」

  時頼のセリフに東宮は怪訝な顔をする。

「私は中将を呼んだ覚えはないが」

「……え?」

 弾正尹宮と東宮が呼び出したものと思っていた時頼は弾かれたように顔を上げた。


「東官がお呼びになったのでは……? ではあの文は一体……」

「文?」


 はっと二人が顔を合わせる。


「やられたかもしれないな」

 厳しい顔で扇を閉じる。

「ええ、……でも一体何を……」

 最後まで言わぬ間に時頼はさっき感じた妙な臭いのことを思い出す。

(……あの臭い……油――!)

 時頼は立ち上がると部屋の外に出た。


 女房はおろか従者の人っ子一人いない。その疑問を表情だけで読みとった東宮は彼の横に立って続けた。

「当たり前だ、中将が来たときは皆に下がるように言ってある。

 ……そこまで読んでいたらしいな」

 その秀麗な眉を寄せる。

時頼は東の対の方向を見つめながら背中に嫌な汗がつたっていくのを感 じていた。

「東宮……これは本当にまずいかもしれませんよ」

 東の対から黒い煙が上がっている。木の焼ける臭いが鼻につく。 朝から吹いていた強い風にあおられ、紅の炎はあっという間に東宮御所を飲み込もうとしていた。


 


「なんだって?!」

 弾正台で仕事をしていた弾正尹宮は自分の耳を疑った。

「東宮御所の中心から火が上がり、すでに東の対は焼けてしまったようで……! 東宮様の安否は未だ確認されていません!」

 宮は最後まで聞かずに部屋を飛び出した。御所の方向の空は紅に染まっている。

(まさか……こんな……)


  こんな行動に出るとは。


 宮は目の前が真っ暗になりそうなのを堪えながら、頭の中では必死に 打開策を練っていた。

しかし、まずは東宮の安否の確認だ。すぐに牛車を走らせようと門に向かう途中、呆然と御所を見つめ、立ちつくしている男がいた。

「……こんな……このようなことを……!」

 それは、本当に小さな呟きであったが弾正尹宮には嫌に不自然に響いた。

左近中将さこんのちゅうじょう……?」

 冴嗣さえつぐは自分を見つめる弾正尹宮に気がつくと、青ざめた顔をさらにこわばらせて足早にその場を去っていった。


 空が、血色に泣いていた。


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