序章④

 さて一方、東官の部屋を出た時頼ときよりは心の中で思いっきり悪態をついて


 (どうかしている! ったく、何が楽しみにしてるよ、だ! 東宮の自覚がぜんっぜんないんだからあの人はっ!)

  一通り文句をたれてから溜息をつく。時頼は世間では有能で通ってい る主上おかみの問題児たちを思い浮かべて頭を抱えた。


 (……弾正尹宮様も普段は落ち着いていて優秀でいらっしゃるのになぁ……東宮にはとことん甘いんだから……)


 そう、近頃の時頼の悩みの種はそこにある。

問題児が東宮だけであれば時頼にもやりようがあるが、困ったことに問題児は二人である。

 弾正尹宮だんじょういんのみや—―享久ゆきひさ親王は主上と桐壺きりつぼ更衣こうい橘大納言たちばなのだいなごんの娘との間にできた御子で東宮とは異母兄弟に当たる。平安というこのご時世、東宮争いや何やらで、同じ血を分けた兄弟といえども犬猿の仲ということも珍しくないが、享久親王の母は他の御子の母に比べて家柄も低く、身分も劣っていたので享久親王は幼いながらに 自分は東宮位につける器ではないと悟り、東宮である常春親王を兄として、そして未来の大切な主として慕い、常春親王もそんな弟を身分関係なかわいがったので、享久親王の東宮に対する信頼感と忠誠心は非常 に堅い物になってしまった。

 おかげで、職務ではその優秀な頭脳と気の利いた会話で人気を集めている弾正尹宮も、東宮のこととなると融通が利かない。たとえ白が正しく とも、東宮が黒だと言ってしまえばすぐさまそれに従う困った人である。


 そんな人物が東宮とになっている。


 そこからくる時頼の心痛は二倍にも三倍にもなるのだった。

 そして意地の悪いことに、東宮とその弟宮が御所を抜け出して遊び回っている知能的問題児だということを認識しているのは、悲しいかな時頼だけであった。


  (……あの人達と関わっていると碌な事がない……)


 今日何度目になるかわからない溜息を小さくつく。 綺子内親王に贈る衣を牛車ぎっしゃに積み込んでいるのをみて、時頼は不機嫌だった表情を一気にほころばせた。


(怪我の功名……ってやつかな)


 そう心で呟いて晴れた青い空を仰ぎ見る。顔に当たる日差しをほうの袖で遮り、時頼は幼い日々に思いをはせた。



 あれは、きらきらと光が煌めいていた五月。


 時頼はほぼ日課となってしまった“東宮探し”の為に、広い左大臣家の庭を走り回っていた。

「常春ーーっ! どこにいったんだよっっ! いい加減出てこいっ!」

 東宮の名を呼び捨てにすることを非常に渋っていた時頼だったがそこはまだ子供、東宮が自分の従兄に当たることもあって、東宮と顔を合わせてから一月もするとすっかりなじんでいた。

「もうっ! 今日という今日こそは見つけたらただじゃおかないんだからなっ」

 いつも勉強の最中に抜け出して時頼が見つけだすまでかくれんぼを続 ける東宮は、このときからすでに時頼の閻魔帳に入っていた。 走り回って乱れた息を整えて、よしっと気合いを入れる。そして東宮を 捜そうと再び足を踏み出したとき、ふいに茂みから何か聞こえた気がして時頼は立ち止まった。


 耳を澄ませてよく聞いていると、くすん、くすん、と小さな女の子の泣き声がする。時頼はひょいっと木の間をのぞき込んだ。


「あやひめ」


 そこには、幼い時頼が桜の君と称した綺子内親王がいた。


「どうしたの? どこか痛いの?」

 時頼はしゃがみ込んで内親王の顔をのぞき込む。内親王はその大きな瞳から大粒の涙をいくつもこぼしながら消え入りそうな声で答えた。

「ねこが……ねこがくす玉を木の上に持っていっちゃったの……」

  見上げると、確かに木の枝に美しい萌葱色もえぎいろのくす玉が引っかかっている。どうやら内親王のくす玉を盗んだ犯人はおくだけおいて逃げたらしい。猫の姿はもう見あたらなかった。内親王は木の枝に引っかかっているくす玉をみると、目に涙を一杯浮かべてうつむいてしまった。

時頼は内親王の瞳からこぼれる雫をなんとか止めたくて、めいいっぱい明るく言った。

「泣かないで、あやひめ。くす玉ならぼくがとってきてあげるから」

 そう言って木に足をかけてくす玉が引っかかっている木の枝まで行く。内親王は泣くのも忘れて木の上の時頼を見守った。

「ときより、危ないわ」

  不安そうな内親王を元気づけようと、あくまで明るく時頼は答えた。

「大丈夫だよ」

 しかし、いくら身軽な子供といえども、問題の枝はかなり細い。時頼が もう少しつ……と手を伸ばした瞬間、


 バキンッ!


 大きな音と共に、時頼の体は落下した。


「ときより!」

 内親王は真っ青になって落ちた時頼の側に駆け寄った。時頼は強く背中を打ち付けて一瞬息が詰まり、口をぱくぱくさせて次に激しくせき込む。

内親王は苦しそうな時頼をみると、再び見に涙をためてうつむきかけたが、時頼がそれを遮るかのように、いててと腰をさすりながら体を起こした。

「へへ、しっぱい、しっぱい。格好悪いね、ぼく。でもホラ!」

 そういって萌葱色のくす玉を差し出す。時頼は驚いている内親王に、にこっと快活な笑顔を向けた。


「あやひめは、笑ってる方がかわいいよ」


 そう言われた内親王はくす玉を受け取るとはにかんだように笑い、夏の庭に咲いた桜の花は、時頼の額に軽くふれていった。


「ありがとう。……時頼は格好いいよ」


 つぶやいて、内親王は時頼の顔も見ずに屋敷の中に駆けていった。

  一人残された時頼は、内親王のふれていった額にさわると呆然としばらくその場で佇んでいた。


 

 その後、そのまま屋敷にもどった時頼は、おいてけぼりを食らった常春親王に嫌と言うほど文句を言われるのだが、時頼の耳にはもう何も入ってこなかった。


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