序章③

(……いつかは再会すると思っていたけど……こいつ、全然性格が直ってない)


 にがい過去を思い出して、ただいま十六歳の時頼ときよりは毒づいた。


 目の前の東宮は幼い頃となんら変わっていない。いや、それどころか性格の悪さに磨きがかかっているような気さえする。

これが巷では、“花宮はなみや”(花のように美しく、人々を引きつける魅力があるという意味らしい)として人気を呼んでいるかと思うと時頼は目眩を覚えた。

 時頼がそんなことを考えていると、ふと今まで喋っていた東宮が沈黙していることに気がついた。訝しげに顔をあげる。すると東宮は時頼の視線に気がついたのか、ふいと目をそらして少しふてたような表情で呟いた。


「別に減るものでもないし、かまわないじゃないか……名前なんて」


  そう言って溜息を小さくつくと、美しい顔を哀しそうにゆがめてうつむく。

いつもは時頼をからかってばかりの東宮が急に押し黙ったので、時頼は 慌てて取り繕おうとした。しかし、

「ああそうだ。時頼を呼びだした今日の理由なんだけどね」

 東宮の明るい声に時頼は面食らい、次の瞬間、やられたと思った。

 ……笑っていたのである。しかも意地悪くニヤニヤと。

「!!」

 一気に顔が熱くなる。

時頼は持っていた扇を東宮の顔面にたたき込んでやりたい衝動に駆られたが、すんでの所でぐっとこらえ、扇をきつく握りしめることで自制した。


 しかしどうにもおさまらない。


 幸い人払いをして周りには誰もいない。今日こそは文句の一つや二つも言ってやろうと口を開きかけたが、廊下からの衣ずれの音が来訪者を告げた。


「失礼しますよ兄上」

 凛とした夏の涼風のような美しく澄んだ声が部屋に響きわたる。

「おや、遅かったね。待っていたんだよ、宮」

 時頼は嫌な予感がしてゆっくりと後ろを振り返った。

「なんて顔をしているんだい藤原中将ふじわらのちゅうじょう、私は招かれざる客だったかな?」

 そう言って快活に笑うと、今上帝の第二子、従三位じゅさんみ 弾正尹宮享久だんじょういんのみやゆきひさ親王 は素早く時頼の隣に腰を下ろした。時頼はますます嫌な予感がして恐る恐る口を開いた。

「東宮……一体これはどういう……」

 東宮は弾正尹宮と顔を見合わせると笑いだし、扇で口元を隠すとなんでもない事のようにさらりと言葉を紡いだ。


「は?」


 時頼は一瞬何を聞いたのかがわからず、口を間抜けに開けたまま聞き返した。弾正尹宮は時頼のその答えが大いにウケたらしく隣で必死に笑いをこらえている。東宮は時頼のためにもう一度、先ほどと全く同じ事を繰り返した。

「だからね、東宮御所を抜け出して遊びに行く手伝いをしてほしいんだよ」

「なっ!! 何を馬鹿なッ」

 意外な、否、信じられない事を言われて(無理もない)時頼は手に持っていた扇を床に落として硬直した。弾正尹宮はこらえきれずに声を出して笑っている。

そんな二人をにこにこと見ながら、東宮はそれにまた付け足した。

「なぁに、バレやしないさ。現に今までも成功しているし、ねえ宮?」

「はい、しかし協力者が私だけというのはどうも大変でしてね、それで今回中将にお願いしているんですよ」


「――っつ!!」

 遠くない将来、この都を統治するであろう東宮と、国の風紀を守るはずの弾正台だんじょうだいのトップの何とも無責任きわまりない会話を目の当たりにし て、時頼は声を震わせて言った。

「ふざけないで下さいッお二人ともッ!! そんな事できる分けないでしょう!!」

 しかし時頼の素晴らしい職務への心がけも空しく、東宮はあっけらかんと言い放った。

「大丈夫だって、手伝ってくれたらそれなりのお礼はするからさ」

(どんなお礼だッ!!)

 心の中で思いっきり叫んだが、目の前にいるのは天下の東宮とその弟 宮である。言い返せるわけがない。

東宮の笑顔には、私は東宮だよ? と言う職権を乱用した台詞が堂々と書いてある。


( こいつ……俺が断れないのを分かっててやってるなっ)


 その天下の東宮を胸中でこいつ呼ばわりし、ひと睨みした後、時頼はひとまず言いたい事をぐっと飲み込んで渋々答えた。

「……わかりましたよ。やります、やればいいんでしょう!」

 時頼のその素直な返事に、二人の宮は満足そうに笑みを浮かべた。

時頼はその顔が癪に障って立ち上がると口早にしゃべる。

「お話はそれだけですか? それだけでしたら私は仕事がありますのでこれで……」

退出いたします、と続けようとした時、ふと東宮が思いだしたように付け加えた。

「ああ、そうだ。忘れるところだったよ。時頼、もう一つ頼まれて欲しい用事があるんだった」

 東宮が目で座りなさいと促したので、時頼はふてた顔のまま再び腰を下ろした。


「実はね、二、三日前に五日の節会の為のころもを選んでいたんだが、その 中に何とも見事な衣があってね、是非綺子内親王に贈りたいと考えたが 私は身分上軽々しくも歩き回れないし、内親王に失礼にならない者に届 けてもらおうと思ってね」

「綺子内親王様にですか?」


  時頼は思いがけない人物の登場に、さっきの怒りも忘れて東宮の話に聞き入っていた。

「ああ、幼き頃は時頼も一緒に遊んだりしたが、内親王が裳着もぎを済ませてからは一度も顔を合わせてはいないだろう? あれと時々顔を合わせると時頼の名も出てくるのでね。

内親王も気晴らしになるだろう、衣を届けるついでに昔話でもしてきてはどうかと思ってね。……たのめるかい?」

「は、はい。お受けいたします」


  思いがけない申し出に驚き、ほのかな喜びを感じていた時頼はあわてて承諾の意を返した。そして東宮と弾正尹宮に気づかれぬように袖の中でぎゅっと扇を握りしめた。


 ――綺姫にお会いできる――


 時頼は胸の鼓動が高まるのを感じていた。


「そ、それではこれで失礼します」


 急く心を必死になだめ、席を立ちかけた時頼を今度は弾正尹宮が止めた。


「藤原中将、例の計画は二日後ここで。忘れずに参内して下さいね」

「 楽しみにしてるよ、時頼」


  全く悪びれもせず手を振る東宮と弾正尹宮にさっきの怒りが一気に蘇る。

「御前、失礼っ!」

 半ば怒鳴りつけるようにして出ていった時頼を、二人の宮はさして驚く風でもなく相変わらず笑みを浮かべたまま見送った。


 そして時頼の足音が聞こえなくなった頃、弾正尹宮がおかしそうに東宮に話しかけた。

「全く……彼のくそ真面目さには頭の下がる思いですね、東宮?」

「 本当にね、あれは昔からそうなんだ。よく肩がこらないものだよ」

 そう言って肩をすぼめてみせる。

 そして今まで時頼の座っていた場所 をまぶしそうに見つめた。その顔は、時頼をからかっていた時の顔とは 明らかに違う穏やかな雰囲気を漂わせていた。そんな東宮を弾正尹宮は満足そうに見つめ、先の言葉に付け加えた。

「 まぁだから信頼もできるんですけどね。でも東宮」

「ん ?」

 東宮が弾正尹宮の方に視線を移すと、半ばあきれた表情で宮が自分の方をみていた。

「あれは甘すぎませんかね。あれは先ほど言っていたお礼ではないでしよう?」

「ああ、あれか」

 東宮は弾正尹宮が何について言っているのかを察すると、持っていた 扇でひらひらと仰ぎ、楽しそうに笑ってみせてから言葉を紡いだ。


「私はね、宮。皆が幸せになってくれればいいと思っているんだよ」


  東宮のその台詞に、弾正尹宮は内心やれやれと思いつつも、そうですねと頷いた。


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