最終回 兄と妹
想いをいざ口に出してみると、長年の罪悪感や嫌悪感みたいな物が一緒に吐き出されたような気になり、心が少し軽くなるのを感じた。
兄妹だから許されるはずがない、と何度もすずを遠ざけて、でも離れられなくて、俺の身勝手な行動できっと傷付けてばかりだっただろう。
それなのに、あの小さな子供だった少女が、今は俺を好きだと言っている。
俺を諦めたくないと、俺と恋がしたいと言っている。
自ら最低な道を歩んだり、誤った方向へ進んでしまった俺をただひたすらに望む少女にしてやれることは、もしかしたら兄でいることではないのかもしれない。
「……俺と一緒にいると、苦労するぞ」
抱きついたまま俺を見上げるすずに、俺は現実が甘くないことを伝えるため口を開いた。
血は繋がらなくとも兄妹である俺達には、きっと多くの試練が立ちはだかる。
家族の理解、世間の見る目、そして社会人と未成年という壁……それらはきっとすずを苦しめ、何度も傷付けるだろう。
たとえ俺がすずの成人を待つと言ったとしても、俺達にどんな未来が待っているかは分からない。
その間にすずの想いは、同年代の他の男に移り変わっているかもしれない。
もしそうなったら、俺はきちんと受け入れるよ。すずを愛するただの兄に、いつだって戻ってやる。
そう伝えると、すずは眉間に皺を寄せ明らかに怒った顔をしている。
俺なりに考えて発した言葉だったが、何か気に入らなかっただろうか。
「ハル……私のことバカにしてるの?」と不機嫌な声で聞かれ、そんなことはないと言おうとするとすずがすぐに言葉を続けた。
「私、待てるよ。何年だって待てる。お母さんとお父さんも、どんなに否定されても説得する。ハルに告白するって決めた時点で、私の中には闘う覚悟が出来てる!」
俺を見つめるその目は、俺を越えて遥か遠くを見ていた。
まるで、どんなに辛くとも、どんなに悲しくとも、俺の隣に立ち続けたいと言っているかのようだ。
「覚悟が出来てないのは、ハルだけだよ」
俺が昔愛した、母親を亡くして心を閉ざしたあの小さな子供はーーもう何処にもいなかった。
「…………覚悟……決めるよ」
自然と口をついて出た言葉は、きっと俺がずっと望んでいたことだ。言いたくて堪らなくて、だけど許されるはずがないと諦めていた言葉。
俺の頼りない宣言を聞き、すずはまた涙を溢れさせた。
気付くと俺は、昔より明らかに背の伸びたその細い体を強く抱き締め、心の中で願っていた。
神様……叶うなら、どうかーー
俺達兄妹の罪を、許してくれ。
*
その場で暫く抱き合い、時間が経ち帰宅すると母が見た事もない程の剣幕で俺達を叱った。
というのも、俺もすずも家族に一切連絡をせず数時間も外出したままだったからだ。
特にすずは高校生だ、大変な事件に巻き込まれることだってあるかもしれない。
「心配するでしょ!!」と言う母の怒りは最もで、俺もすずも「すみません……」と謝り、玄関で正座になって母の説教を聞いていた。
何故いるのか知らないが家の中にいた航太が母を宥め、説教が終わると「また俺に恩が出来たな?」と俺の耳元で囁いた。
この男は子供の頃から言う事が変わらないのは何故なんだ、成長しないのか。
「航太くん、ありがと!」とすずも何故か航太に感謝の言葉を伝えるから、そんな事で礼なんか言わなくていい、と教えると航太はまたギャーギャーと騒いでいた。
その後、俺とすずはまた普段通り過ごし始めた。
すずが高校生の間はただの兄として妹を溺愛し、頻繁に会いに来ては頭を撫でたり昔のように手を繋いだりするだけで、恋人のようなことは一切しないと約束した。
思春期のすずは「少しもダメ……?」と何だか可愛く聞いてきたが、長年の想いを拗らせた男の脆い理性について真剣に語ると何とか納得してくれた。
あの海の日からも少し経ち、たまたま仕事帰りに大智に遭遇すると何か勘づいたのか、
「や〜い!ロリコン〜!」
とクソガキらしいことを言ってきて、さすが負け犬は言う事が違うな、と返してやると悔しそうな顔をして去っていった。
去り際、こちらを向いて
「……すずが不幸になるかどうかは、あんた次第だからな」
と妙に確信めいたことを言った大智はただのクソガキではない気がしたが、きっと気のせいだろう。
8月6日、今年もすずの誕生日がやって来た。
有給を取って会いに行くと、俺を見つけたすずがいつものように勢いよく俺の胸に飛び込み
「ハル!」
と名前を呼ぶ。
嬉しそうに笑うすずの横髪には、昔俺が渡した赤いリボンの髪留めが付いている。
高校生が付けるような物ではないはずなのに、それでも当たり前のようにそこに居場所を持つ髪留めは、きっと俺のクマのキーホルダーと同じような物なんだろう。
「誕生日おめでとう、すず」
心を込めて微笑むと、すずは悪戯っぽく笑って言った。
「私の名前『すずめ』だよ!」
その今更な訂正に「呼びやすいからいいんだよ」と返し、俺は用意した小包を差し出す。
中身は、大人になった俺が選んだ少し高価な髪飾り。昔の俺が贈ったセンスのない髪留めよりは明らかにマシだ。
嬉しそうに受け取ったすずは開封し中身を確認すると、すぐにそれを髪に付け「似合う?」と問いかけてくる。
俺が「世界一似合う」と最早お決まりのクサイ台詞を吐くと、目の前の少女は頬を染め、泣きそうな顔をして微笑んだ。
すずの声は、ちゃんと聞こえている。
『幸せだ』と伝える声が。
雀の声 鈴木 @suzuki1207
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