武蔵小杉

亀屋モナカ

1

僕は自分で思う以上に夜の街の灯りとか、人の何気ない会話とか、電車の中とか、歩きなれない新しい靴とか、そういうものが好きらしかった。

僕はその日、武蔵小杉で乗り換えた。

向かった先は初めて行く所だった。都会らしい、何かが空気に触れて腐った匂いと勢いのあるビル風は僕を歓迎しているとは思えなかった。

友人の紹介で、その日会った女の子はあまり知的ではなくて、読んだ本の話をすると難しそうとか適当な相槌とか乾いた笑い声とかで流されてしまった。

女の子とは映画を観た。大きなスクリーンのある所で、ソフトドリンクとポップコーンを1人ずつ頼んで観やすそうな席をとって観た。

「感動した。」

女の子は映画が終わってからそう言っていた。

映画では、主人公が学校でいじめにあっている場面があった。

同級生が主人公のことをよくからかっていた。変な頭とか先生に媚びてるとか。主人公の髪型は言うほど変じゃない。これは制作陣側の失態だと僕は思った。

けれど同級生は主人公の家庭が複雑なものだと知ると、哀れに感じたのかころりと態度を変えた。嘘ではなさそうな雰囲気だった。主人公が大人になって店を出すと、その同級生は花輪を送っていた。

そうだ。僕はこういうのが嫌なんだ。

まるでチェックリストみたいだ。

この子は母親が居なくて可哀想、チェック

この子は病気で可哀想、チェック

貧乏な家に生まれて可哀想、チェック

頑張っているのに報われていなくて可哀想、チェック

それでいて同級生にいじめられて可哀想、チェック

暗くなった帰り道、雪か雨で濡れた歩道は車のライトに照らされテラテラと光っていた。


僕はその次の日、巣鴨に寄った。友人が喫茶店でバイトを始めたので来てほしいとのことだった。

その友人はひとつ年下のボーイッシュな女の子だった。

今年の秋参加した展示会で、僕の絵を気に入ってくれて原画を1枚買って行ってくれたのが知り合ったきっかけだった。

「ガトーショコラが美味しいよ。」

「ではそれもお願い。ボロネーゼの後に欲しい。」

「食後ね、わかった。」

彼女の声は体温の低い感じがして、僕は好きだった。

コーヒーを飲みながらボロネーゼを平らげ、その後にガトーショコラが追ってきた。

それを少しずつ口に入れながら、僕はスケッチブックに鉛筆を走らせていた。短い髪を靡かせる彼女の姿を複製した。

「また来るよ。」

「ありがとう、気をつけて。」

「うん。」

僕は自分の顔の表面が緩んでいるのに気づいていた。僕は僕のそういうところが嫌いだ。


結局人は主観でしか何かを感じ取ることができない。

客観的に、といいながらそれは主観の中の客観というカテゴライズに過ぎなくてどうしたって自我の中から抜け出せない。

やはり人は印象でしか相手を見ることができない。

友人に紹介されたあの子はつまらない子だった、でもカフェのあの子はいい子だと思う。

友人に紹介された子は、文字を読むのが困難だった、とかいう事情を知ったら僕は目を合わせられないだろう。

つまらないとか思ってしまって後ろめたくなるだろう。

そうだ、そういうのが嫌だ。

僕はそういうのが嫌なんだ。

カフェのあの子には本当は恋人がいて、僕を遊びだとも思っていなかったらどうだろう。

気を悪くして、でもやっぱりあの綺麗な黒い髪の毛を褒め尽くすことはできるんだろう。

カフェから帰って家に着くと、整えられたベッドに倒れた。

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武蔵小杉 亀屋モナカ @kameyamonaka

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