久里様
こんにちは。ご無沙汰しております。
侑の視点で拝読しました。ノスタルジー。昭和レトロが上品に漂う作品になぜか胸がジンとなりました。
小学生の男子特有の性の目覚めと善悪を見極める未熟さが見事に書かれていて、感銘を受けました。正義感を持ち、行動に表していく侑の心の変化がたった5話で丁寧に書かれてる所、何度も頷きました。やはり久里様作品好きだなぁって思いました。
果物屋さんのおばあちゃんの孤独と侑の祖母の温かみの対比。
リアルですね。実話のようです。
昭和。戦争によって人生に大きな影響を与えた事でしょう。
深く考えさせられました。ありがとうございます♪
6話。次はどんな物語なのか、楽しみです♪
作者からの返信
応援ありがとうございます!
ご無沙汰しておりますが、シナリオのお仕事の方が順調なしるしかなと思っています。
ノスタルジーと昭和レトロを感じていただけましたでしょうか。
「未熟」という言葉がぴったりの、淡い性と恋の目覚めに幼い正義感、おばあさんたちとの交流、、頷いていただいて、好きだと仰っていただいて、うれしいです。
昭和後期は秋の夕べのような懐かしいあたたかさがある一方で、戦争の影を引きずった方たちのたくさんいた時代でもあるんですよね。
第6話は現代が舞台です。こちらもお楽しみいただければ幸いです。
ワンピースで浮かれていたら、ガツンと衝撃を受けました。
思い出しました。この連作には、人生の不条理や、やりきれない想いが詰まっているのですね。
果物屋さんは、巻き込まれた立場なのに、どうして店をたたむしかなかったのか。
お姉さんは、なぜあの男の人と付き合ったのか。
人生はきれいごとだけではすまされない。
おじいさんおばさんの葬儀の様子に、生きるために精一杯もがいた人生が、垣間見える様な気がしました。
味わい深い一篇でした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
意識しているわけではないのですが、この短編集ではどうも甘酸っぱいだけで終わらないですね・・・。
生きるために精一杯もがく人生、まさにそういう人たちを描ければと思っています。
果物屋さん、お姉さん、お祖父ちゃんお祖母ちゃんに侑自身も、、それぞれ単純化できない人生をうちに抱えているってことを感じていただければ、作者としてはうれしいです。
久里 琳様 おはようございます。拙作をいつも応援ありがとうございます。
第五章はあの頃嗅いでいた“昭和”の匂い(臭い?)がことのほか鼻の奥に甦り、懐かしい思いをしました。景色にしろ人々の繋がりにしろ。
侑はきっと少年から“男”へのきざはしを登り始めたんでしょう。この痛みを伴う思い出をステップにしていい男に育つに違いありません。なんだか今後が見たくなります。
久里さんの文体は大好きで、いつも悔しい思いをしています(どっちやねん)。大変参考になります。第六章も楽しみにお待ちしております。
それでは。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
昭和の残り香が漂うアーケード、お楽しみいただけましたら幸いです。
こんな痛みや挫折をなんども通り過ぎて少年は男に育っていくんでしょうね。侑もいい男に育ってほしいと思います。
短篇はいろいろチャレンジするいい機会だと考えています。文章修行も心がけていますので、文体に注目していただけるのはうれしいです。
引き続き、よろしくお願いします。
久里 琳さま
こんにちは。
子供と大人の狭間で揺れていた侑くん、果物屋のおばあさんの、心配しているとはまるで感じ取れない声と視線とに、一気に大人のほうへ針が振れた感じですね。子供って、徐々に大人になっていくのではなく、何かのきっかけで一足飛びに変わってしまうのでしょうね。
とはいえ、やっていることはどう見ても子供。果物を投げつけて相手が止まるわけはなく、むしろ激昂させるだけなんですよね (^^;) 頬骨が折れた程度で済んでよかったです。いや、それでも怖いけど。
商店街の顔役であり、おそらく牽引者でもあったお祖父さん、お祖母さんが亡くなったことで、アーケード街も昭和から続いた歴史にいったん幕を下ろしたのかな、そんなことを思わされました。たくさんのお花に入りきれない弔問客がいたということは、商店街がなくなることはなく、新たな歴史を刻み始めているのでしょうね。それが心を温かにしてくれます。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
何かのきっかけで一足飛びに大人になる、、そんなところがありますよね。侑のなかで何かがたしかに変わったんだと思います。
こういう時の成長はたぶんまだらで、おそろしく子供っぽいのと妙に大人びたのが共存しているような気がします。果物を投げつけるのは、まんま子供が駄々をこねる姿ですね(^^;)
祖父母の死は、アーケードの歴史の一区切りになったのかもしれませんね。そこからまた新たな歴史が始まるというのも、その通りなのだと思います。きっと侑にとっても一区切りだったんじゃないかな、と。
時代設定がいつなんだろうなと気になってましたが、
戦地に行って帰らなかった旦那さんを悼む果物屋さん、が普通に営業していた時代だったのですね。
あの頃(=ウン十年前)はまだ明治生まれの祖父が普通に呼吸してたし、防空壕も残っていれば、そこらの空き地にとんでもなくエッチな雑誌が捨てられてて、ドヤ街ってこんな感じ!?なカオスな駅前アーケード街があったりして。
2024年に侑くん世代の若い人たちは、この時代を振り返ってどう思うのかなぁ、懐かしく思い出す部分があればいいけど、と思います。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
昭和と平成の境目ぐらいの頃のお話でした。たぶんその前後からこんなカオスな商店街がぼちぼち消えはじめていたような気がします。そういえばそこらにこっそり雑誌が捨てられていましたね(^^)
少年の頃には輝いていた時代も、いずれはレトロな昔話になってしまうんですよね。それでも当人にとっては輝きを失っていないんだろうなと(願望も込めて)思います。
淡い初恋のような甘酸っぱい感情から一転、少年らしい単純な正義感が剥き出しになるところがリアルだなと思いました。そして年月が経ってからやっと見えてくるものがあって。(葬式って故人の人間関係が浮き彫りになる機会なのかも。そう考えると興味深いです。)
ノスタルジックな商店街とうだるような夏の風景が印象的で、そこにいるような感覚でした。今回もとても面白かったです。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
少年らしい単純な正義感が剥き出しに、、、なにが正しいとかそんなのではないお話を書きたい…という思いにぴったりのお言葉で、うれしいです。
葬式で浮き彫りになるというお言葉も納得です。小林秀雄が「人間は死んではじめて完成する」と言っていたのを思い出しました。
ノスタルジーと夏、お楽しみいただけましたならうれしいです。
子供の視点で見た大人の世界と、成長して自分もその中に入ってから見た大人の世界、視界や思考がクリアで幅広くなった感覚を追体験しました。
周辺の人間関係の複雑さを知らずに無邪気でいられた子供時代は、幸せだったのかもしれませんね。
果物屋さんのおばあちゃんのことは、確実に侑くんが主因であり、ずっと心にしこりとして残り続けるんだろうなと思いました。
このお話も、素晴らしくリアリティのあるエピソードでした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
子供の視点では見えないものがある、ということが幼年時代の幸せを守っているのかもしれませんね。
逆に子供の視点だからこそ見えるものもあって、そんなものを描くことで物語の世界観を広げられたらいいなあ、と今思いました。
果物屋さんの件はずっと気にかかっていて、「しこり」という言葉がぴったりですね。
リアリティがあるとのお言葉、うれしいです。
このラストの流れはびっくりでした。知らないだけで誰の身にも人生が等しく流れているんですよね。
とても印象的な短編でした。
作者からの返信
応援ありがとうございます!
子供から見えた世界と、大人になってから見えてくる世界とはどこか違うんですよね。誰の身にもその人なりの人生が流れているということに気づくからかもしれませんね。