5-4 恋敵
男はしばらく喫茶店の外に立っていた。
その指にはおおきな銀の指環がみっつもよっつもはめてあって、つきのわるいライターを擦るたび鎖状のブレスレットが揺れてじゃらじゃら音が聞こえてきそうだった。
男を観察する侑の視線には子供らしい、かるいけれどもそれだけに切っ先の鋭い敵意がこめられていた。自然と早足になったためにお祖母ちゃんの先に立って歩く形になった。
侑の視線を男は不愉快に受け止めたが、さすがにちいさな子供をまともに叱り飛ばすのは沽券にかかわるとでもいうのか、侑をいないかのように扱い口と鼻からたっぷりの煙を吐いた。
なにも知らないお祖母ちゃんはただ店のまえで喫煙されるのは迷惑だということだけ注意しなければならなかった。
「ここでタバコ吸うんはやめてんか。うっとこのお客さんら嫌がるよってに」
男は学校の教師にも見せたことのないような蔑みの目でお祖母ちゃんを見おろした。
それからタバコの煙をそこらにまき散らして、青い看板をかるがる蹴って駅の方へ歩きだした。
看板の倒れる音がアーケードに響いた。
侑は恨みのいっぱい詰まった目で男の背中を睨んだが、お祖母ちゃんは
「ええから放っとき。あんなん相手しとったらキリないさかい」
と言いながら、倒れた看板をもとに戻した。
店のなかに入り、キッチンの横でぶどうの皮をむいているうちうしろの階段からとたとた足音が聞こえて、ふり向くと同時にアルバイトのお姉さんが扉のむこうから姿をあらわした。
今日もみず色のワンピースから着替えて、上下とも黒っぽい格好をしているが、溌剌としたかがやきは地味な服装でも隠しきれなかった。
「デートやってん」
と同僚のお姉さんに嬉々として報告するのを横で侑は気が遠くなる思いで聞いた。
裏切られたという思いが頭のなかでぐるぐる渦巻いたがそのじつ侑にはなにひとつ彼女から約束されたものなどなかったのだと、その夜なかなか寝つけないベッドのなかでうら悲しいためいきとともに気づいた。
お姉さんが好きな男と付き合うのはそれは仕方ないとして、ただ、相手があれではいけないと侑は思った。
いかにも低能で、思いやりも気づかいも感じさせず、じっさい年寄りや子供を威嚇した男が彼女に相応しいとはどうしても思えなかった。
では爽やかで非の打ちどころない男が相手だったら気分がすっきりしたのかという問いが侑の頭に浮かぶことはなかった。
夏休みがやってきて、侑は天神さんの境内で懸命に鳴くセミを捕ったり用水路でザリガニを捕まえたり合間に喫茶店で涼をとったり、学校のあるときよりかえって忙しくなった。
宿題を片づけているとアルバイトのお兄さんはアイスクリームを倍に増やしたソーダフロートを作ってくれたし、お祖母ちゃんはでたらめにフルーツを乗っけたかき氷を運んできてくれた。
お姉さんは短いスカートをはいてくることが多くなった。夏の暑さがそうさせるのか、それとも恋で有頂天になっているためなのかはわからないにしろ、ともかく侑は物置部屋の着替えに遭遇するのを注意して避けた。
「侑ちゃん、みっつほどバナナ
ひとりでレジに座って番していたとき、お祖母ちゃんが買い物かごを持ってきて言った。
ひときわ暑さの増した今日はパフェが好調で、おかげでパフェに乗せるバナナが切れてしまったのだった。買い物といえばたいていふたりで出かけるのが、今回ばかりは店があまりに忙しいのでお祖母ちゃんは店を離れられなかった。
店を出てすぐみっつ隣の
男は喫茶店のむかいの店のまえで、広告がべたべた貼られた柱にもたれてタバコをくゆらせていた。
お祖母ちゃんの店には迷惑のかからない場所なのだからこれは余計なお世話かもしれないと思いつつ、おそらく半分以上は男に対する敵意から侑は、男の方へとまっすぐ向かっていった。
「ここでタバコ吸ったらあかんねんで」
できる限り悪意を隠し、代わりに正義の仮面をかぶって言い放った侑を、男は胡散臭いものでも見るように目をすがめて見た。それから長い息で煙を吐いて、
「知っとるわ」
とめんどくさそうに言った。これ以上の会話はごめんだと、その顔ははっきり告げていた。
「ほんなら火ぃ消さなあかんやろ」
なおも食い下がる侑を男は不愉快な表情で見おろした。
がりがり頭をかいて煙を二回吐いたあと、火のついたままのタバコを侑の足もとに投げ捨てた。
ぎょっとして足をばたつかせた侑が吸い殻の火を消したあとまた男を見ると、すでに男は背を向け歩きだしていた。
夏の暑さが侑を異常な行動に駆ったのかもしれなかった。衝動的に男の背中に突進して、つぎの瞬間にはその足にタックルしていた。侑に足をつかまれ男はさいしょはふらついたもののすぐ体を立て直して、
「なんやねんおまえ」
と言うと、あごをかるくつまんで侑を振りはらった。
かるくしたつもりでも苛だちの積もり積もった男の腕力は小学生ぐらいなら吹っとばすに十分だった。
吹っとばされ転がっていった先に果物屋の棚があった。折から旬の桃の匂いが頭の上から降ってくるのと一緒に、
「ゴンタやなあ」
とあきれた声がためいきのようにとどいた。
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