5-3 商店街


 学校が終わると今日も家には寄らず、ランドセルを背負ったまま天神さんの鳥居をくぐってアーケードへと向かった。

 夏休みもまぢかの小学生たちは、どいつもこいつも頭のなかには想像を絶する夏の冒険への期待が決壊寸前まであふれかえっていた。

 ゆうもやはり小学三年生であるからには夏休みに夢を見もするのだが、彼が他と違って独特なのは、彼の今年の夏の冒険はアーケードの下で展開されるだろうということだった。


 侑とならんであるく人たちは子供たちも青年もおばさんも威勢よく肌を出して、暑さに文句を垂れながらそれぞれいくぶんなり夏に浮かれているかのようだ。

 そんな群れから侑はすぐに逸れて、祖父母の経営する喫茶店の扉を開けた。

 なかに入ると今日はすぐ右側のレジの椅子にランドセルを抛り投げた。

 三十年ものの木の椅子のうえに置かれたクッションの縁はけばけばになった毛糸のほころびだらけだ。

 侑は奥のキッチンへ向かい、ドリンクディスペンサーから勝手に水をグラスに注いだ。

「なんや、言うてくれたら持ってったんのに」

 と黒いエプロンのお兄さんが言うのに、

「ええねん、忙しゅう働いてんのにそんなんわるいわ」

 と答えたついでにアルバイトのお兄さんお姉さんを見まわした。あの着替えのお姉さんはそのなかにいなかった。


 そのままグラスを持って入口よこのレジに戻り、木の椅子のうえにちょこんと座った。

 店のレジに座ることができるのはお祖母ばあちゃんとお母さんと、侑のほかには限られた古参のアルバイトたちだけだ。

 水をひとくち飲んだところでお客さんがレジの前に立った。財布からお金を取り出しながら侑を見下ろすその目は、なんで子供がこんなところにいるんだと訝っているようだ。

 お釣りを計算してわたすとお客さんが大丈夫かという顔でお釣りを受け取り、金額を確かめた。初めてのお客だなと侑は思った。ここに通う客なら侑の会計にも慣れているはずだから。


 お祖母ちゃんがコーヒーをふたつ持ってやってくるまでに三人のお客さんの会計を済ませた。そのうち一人は常連のお客さんで、互いに顔を見知っているから

「いっつもおおきに」

 とかるい調子であいさつし、お客さんの方も

「今日もがんばりや」

 とやっぱりかるい調子で応えて帰っていった。

 侑のためのコーヒーはほとんどミルクで、お祖母ちゃんが用意してくれるすべての飲食物と同様に甘味たっぷりだった。コーヒーといえばこんなものだと刷りこまれた侑がブラックコーヒーを認める日がくるのはずいぶん先になるはずだ。


「買いもん行こか」

 店内に客がまばらになると、お祖母ちゃんが立ち上がって言った。

 侑はうなずいて、買い物かごを持ってお祖母ちゃんのあとにつづいた。

 腰の曲がったお祖母ちゃんと小学生の侑がならんで歩くと歩調がちょうどいい。ふたりで商店街の買い物に出かけるのはいつもの習慣だ。

 両親共働きだったのでむかしから昼のあいだ侑は祖父母の店にあずけられていた。厨房に立つお祖父ちゃんは一日じゅう忙しいので、侑の世話をやいてくれるのはもっぱらお祖母ちゃんの方だ。


 アーケードの下に列なる店を順々にお祖母ちゃんは訪ねて、雑談したりついでに買い物したりした。お祖母ちゃんがおしゃべりしているあいだ侑は、店先の商品をとって遊んでみたり店の奥の方を覗いてみたり、たまにお菓子をもらって食べたりするのが楽しみで、退屈することはなかった。

 たいていの店の人は侑にやさしかったが、みっつ隣の果物屋のおばあさんはいつも無愛想だった。

 お祖母ちゃんはここでいちごを二皿買って、ついでにバナナとぶどうも頼んだ。果物くだもん屋さん――と侑もお祖母ちゃんも呼んでいた――はなにも言わずにふたつの袋に入れて突き出した。

 いつもこんなつっけんどんなのが恐ろしく感じられて、たいていの年寄りとは相性のよい侑にはめずらしく、彼女のことはちょっと苦手だ。

 お祖母ちゃんもあまり得意ではないのか、この店で話がはずむことはまずない。


 手持ち無沙汰でいるうちくせが出て、皿に乗っている桃を取りあげようとつい手を伸ばすと、

「そこ触ったらあかん」

 ぴしゃっと言われて指を引っこめた。

 それからこわごわ果物くだもん屋さんの目を見あげた。

「生もんやさかいな、触ったとこから傷んでまうやろ」

 目だけが真剣で、いつもこのひとの顔の表情はよくわからない。わからないからなおさらこわいと感じるのだった。


 すぐ先にはうちの喫茶店の看板が見えていた。店の名の下に青いペプシのロゴが入った看板はなんとはなしに海を侑に思い起こさせるのだが、真夏のいまはなおさら海のリゾートに相応しく思えるのだった。

 看板の先にはアーケードの入口が太陽に容赦なく責めたてられ白くかがやいていた。人の群れのむこうに天神さんの鳥居が陽炎にかすんでいた。

 たいていは駅へと向かう人の群れのなかにはアーケードのなかに入ってくる人もときどきあって、そんななかに男女がぴったり体をくっつけこちらへ歩いてくるのが侑の目にとまった。

 赤錆の浮き出た鉄のレールさえひん曲がるほどの猛暑もふたりにはなんでもないっていうかのようにぺったり体をくっつけていたのが、喫茶店の青い看板のまえまで来るといまさら人目をはばかるのかさっと離れた。それでも肩にまわした手を男が離さないでいると、女はなごり惜しげに男の手を撫でた。


 女が喫茶店のなかに消えたとき、どうして人の群れのなかからかれらのことが目についたのか、侑にその謎が解けた。女が身に着けていたのはあのみず色のワンピースだったのだ。

 からんころんと扉のうえの鈴の鳴る音が侑の耳までとどいた。


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