2-5 おりえ
じっと目の奥を見つめられて
「おまえがうっとおしいだけ」
その言葉が織衣の正常な思考力を根こそぎ奪ったのだ。なまの心臓を短刀でぐさりと刺された気がした。
じつはこの編入組の子のことはまえから気になってはいて、名前もいつきとすでに知っていた。なぜかというと、ちょくちょく彼女と目が合ったからだ。
ふと視線を感じてそちらを向くと、いつきがこっちを見ている。ふつうだったら気色わるぅで済ませるとこだが相手のいつきはすらっと長身で一種独特の雰囲気があったからそんなのに見つめられるのは満更でもなくて、ときには織衣はにこっと笑顔をかえしたりもしたものだ。
するといつきは無愛想にすぐ目をそらした。
なんだあんにゃろう、こっちが
それがこの仕打ちだ。たださえ痛烈なひと言が、なまじ変な親しみを感じていた子からだったために何倍にもふかく織衣の胸を突き刺した。
おかげでいつきの視線がトラウマになってしまった。ふとした拍子にいつきに見られているような感覚におそわれふり返ってしまうのだ。そして実際いつきと目が合うことはやっぱりあって、これは気のせいではないと思った。
なんだってあいつまたわたしを見てるんだ?
いまや織衣は、いつきと目が合うのをはっきりと怖れていた。あのときの醒めきった
恵奈は織衣のあこがれだった。
人工的なまやかしの楽園みたいな学校で、ただひとり恵奈だけは
クラスの子たちは表面は仲よくやっているようでいて陰では互いに非難したり足引っぱったり、お嬢さんなんて言われていても一皮むけばそんなもんだ。織衣はやだなあと思っていながら自身も悪口やらデマやら振りまいて、甘美な高揚に身をまかせていたりもするのだった。
恵奈は陰口は言わないひとだった。そのぶんひとをまっすぐ罵倒するから泣かされる子も多かったけれど。
あの事件以来、恵奈の権威がいくぶん落ちたなかにあっても織衣は変わらず彼女のうしろをついていった。
自分たちから離れていった麗に関しては織衣も彼女なりの言い分がある。
たしかに当たりはきつかったかもしれないし、いじめと言われればそうかもしれない。でもさいしょに裏切ったのはあの子なのだ。
恵奈は麗をとくに目をかけ面倒みてやっていて、それは織衣が嫉妬するほどだった。そりゃ麗はなにするにも頼りなくって、ひとより目と手をかけてやらなきゃというのは理解できるしそこでしっかり面倒見るのが恵奈のいいところだと思うから、織衣は胸が疼くのを押し殺してがまんしていた。
なのに麗は恵奈の言いつけに逆らった。距離をとろうとさえした。あんなに恵奈によくされていたのに。
だからこれはしつけなのだ。麗が自分の過ちに気づいてふたたび正しい行動をとれるように。しつけはどうやら失敗してしまったようだが、これで恵奈もすっかり麗をあきらめるならかえってすっきりしていいと織衣は思った。
ただいつきのことだけが重荷としてのこった。
いちどは決着させようと正面から切りこんだことがある。秋の終わりのことで、窓のそとでは木枯らしが猛威をふるっていた。
「織衣」
と恵奈の声がして、織衣はぱっと顔を上げた。そしたら恵奈のうしろにはいつきがいて、いつものように目があったのだ。恵奈とおなじ視界にいつきがいることに、せっかく浮きたった織衣の心は瞬時に冷まされた。
溜まっていたものが冷気でぜんぶ一気に破裂してしまったのだろう。織衣はまっすぐいつきの真ん前まで進んで挑戦的に言った。
「なんでいつもわたしを見るわけ? めいわくだから見ないでくれる?」
我ながらいやな態度だとは思った。それでけんかを買うってんならやってやろうじゃねえかと破局も辞さない覚悟でいつきを見あげた。恵奈の見てるまえだから強気でなきゃいけなかった。
いつきは感情の読めない表情でしばらく黙って織衣を見おろしていた。黙りこまれると織衣は内心たじろいでしまう。
「なにか言ったら?」
それでも勝ち気な姿勢を崩さず言うけど、心臓は人知れずおおきく波うっている。窓のそとでは枯れ葉が舞っている。じつは怯懦にふるえているってことがばれないよう呼吸をとめて、はやくなにか言ってと織衣は祈った。
「……見ちゃいない」
歯切れのわるい声でぼそっといつきは言った。織衣はその場にくずおれたい気分だった。だがそのまえにいつきが背を向け去って行った。逃げるような背中を茫然として見送った織衣は、そのときいつきがなにを思っていたか知ることはついになかった。
(第2話 おわり)
※ 念のため申し添えておきます。
いじめを容認・擁護する意図はまったくありません。
また、「いじめられる側も悪いのだ」というような言説には完全に反対します。
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