2-3 うらら
小学校では低学年のあいだよくからかわれた。麗の間の抜けた言動は周囲の笑いを誘ったし、それをわざわざさらし者にして笑う子もなかにはいた。
とはいえ子供たちの無自覚な残酷は鋭利ではあっても重たさには欠けていたから、麗の鈍重な感性も幸いし、麗はさして傷つくことなくうららかに成長していった。
学年が上がるにつれ麗は自分がどうやら周りとすこしちがうらしいと気づいたが、そのころには比較的気のいい友人たちに恵まれ、麗も生来すなおな性格でひとに憎まれるということがなかったからあんまりひどい目にあわされずに済んだ。
Y中学へ入れようと最初に考えたのは麗の母だった。いまはまだいいけれど中学になれば思春期の子たちの支配する残酷な世界でこの子は生き抜くことができないだろうと案じたのだ。その点私立の、お嬢さん学校として知られるY校ならば悪質ないじめもなかろうと父も賛成した。
さいわい麗は先生の言いつけをそのまま守って勉強に取り組んでいたおかげで、ふだんの言動から想像されるほど成績の方はわるくなかった。
父は世間によくいる普通のサラリーマンだし、母も働いているもののふたりの子を出産後しばらく仕事から離れていたおかげで並よりは低い給料で、夫婦併せてまあなんとかやりくりしているという状態だったが娘のためを思えばすこしばかりむりして私立中学へやることに迷いはなかった。
両親の願いどおりY校に集う子たちは、なかには多少悪いのが混じるといってもかわいいもので、麗の中学生活は順調にはじまった。
中学の終わりごろになって麗に変化があらわれた。
自我が目覚めてきたとでもいうのだろうか、それまでなんでもにこにこ受け入れていたのが、
級友たちはとまどった。愛玩動物みたいな感覚でかわいがっていた子がとつぜん反抗期に入ったかのような態度をとるようになったから。
親であればそんな変化でさえも成長の証とよろこんだかもしれない。それもひとより成長の遅かった麗であればこそ感慨もひとしおだろう――が、しょせん他人である級友たちに同様のあたたかな包容力を求めるのはおそらく正当ではない。彼らとて不安も焦りもたっぷりの思春期のただなかにいるのだ。
作用があれば反作用が起こる道理で、麗の癇癪にきつい言葉で応じる子が出てくるのはむりもなかった。きつくあたるうち次第にエスカレートもしてくるものだ。ネガティブな衝動をコントロールするには少女たちはじゅうぶん大人になってはいなかった。
かくして麗の幸福で平穏な日々は終わりを告げた。
いままでやさしくしてくれていた子たちが態度を豹変させてつらく当たってくるのが悲しかった。
いじわるな口調で責められたり非難されたりするのがなぜなのか、まるで理解できなかった。
そのたび麗は抗うのだが彼女の反応はたいてい
そんなのがずっとつづくかと思われたとき、いつきがあらわれいじめっ子たちを追っぱらってくれたのだ。
根が単純な麗はいっぱつでこの子が好きになってしまった。しっぽを振って近づくといつきは撥ねつけはしないけどたいして相手しないで、麗が子供っぽく癇癪おこしても文句いっても平気な顔でスルーした。
まわりから見ると麗の一人相撲みたいな関係に、ふしぎと彼女自身は満足していた。どんな心の変化か麗の癇癪はすこしずつおさまっていった。
こうして麗の反抗期は終わった。半年ほどの、ごく短い反抗期が。
またにこにこするばかりの、すなおな麗が戻ってきたのを多くの級友たちは歓迎した。だが見た目はおなじでも中身は反抗期前の麗とおなじではない。
自己主張することもわがままな感情を表に出すことも衝突することもいじめられることも、孤立することもふたたび周囲に受け入れられることも、すべてが彼女の成長の糧となったのだろう。それが多少の傷を伴うものだったにしても。
いじめで人生を狂わせられる子供たちのニュースをしばしば目にする現代日本でこれはかなり幸運な部類に属するのだと思う。
彼女は思春期の危機を乗り越え大学もぶじに
高校を卒業したあといつきとは会っていない。
ただいつきに「自転車に乗るのはやめといた方がいい。おまえはケガしかねないから」と言われたのを覚えていて、自転車にはずっと乗っていない。
中学や高校のころ受けた忠告の多くはいつまでも麗の胸にのこって、それらにすなおに従うことは彼女が人生を安全に歩むのに相当貢献しているようだ。
いつきのほかには
「髪は毎朝ちゃんと
「座るとき足を開かない」
「子供っぽいデザインの服はやめなよ」
「おなじ服を二日つづけて着ない」
そんな言葉を、彼女のきれいな顔と、つややかな長い髪といっしょにいまでもときどき思い出す。
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