第2話 阿形の少女たちのスケッチ

2-1 あや


「みっともないかっこしないでよ、こっちが恥ずかしいから」

 朝から恵奈えなが言うのを聞いてあやは、あーあまた始まったよとうんざりしたのだった。恵奈はクラスで女王のように振る舞っていたからすぐに名を覚えた。きれいな顔をしていて、中学から私立に通っているぐらいだから家もそれなりのおうちなんだろうしこの先選択をおおきく誤らなければわるくない人生を歩めるんだろう。

 綾はといえば高校からの編入組で、べつに親が金持ちとか庶民だとかどうでもいいけどやっぱり中学から内部進学してきた子たちがすでにグループ形成してるのを見ると、すこしばかり引け目を感じもするのだった。そんなの気にせず混じり合う子だってもちろんいる。内部進学組にも編入組にも。

 綾も入学からひと月たらずのあいだにぼちぼちクラスに溶けこんでいってたんだけれどそれでも苦手な子というのはある。つまりはこの恵奈って子なんかが最たるもので、彼女はひとに偉そぶらないと生きていけない性質なのか、なにかっていうとひとの言動にケチつけあげくに頭わるいねだとか運動できないとか顔がぶさいくスタイルわるい、そんなこんなでひとを見下す態度をかくさないのでできればお近づきになりたくない部類の女なのだった。


 恵奈の声かけた先にいたのはメガネの子で、たしかうららという名だ。綾とはとくに接点がなかったけれど、恵奈がからむのはたいていこの子だから自然と名前も覚えてしまった。

「きょうはちゃんと顔洗ってきたァ?」とたかい声を上げたのはいつも恵奈といっしょにいる子で、彼女は席にすわったまま意地のわるい顔して笑っている。

 べつの子が教卓のとこまで出てきて、麗のうつむいている顔を「どれどれ」とのぞきこんだ。

「あんだけ洗いなって恵奈が教えてあげたのに。洗ってないんじゃない? あんたさあ、きたないからわかんないのよね」

「……リボンちゃんと結べてない」

 と不機嫌な声で恵奈が言うと、

「ほんとだー」

 とまたべつの、おさげ髪した子がきゃははと明るい嬌声あげてリボンを引きちぎるみたいに麗の首から取りあげた。

「かえしてよ」

 むきになって言う麗の声は高校生らしからぬ子供っぽさで、もちろんいじめっ子たちが聞くわけなかった。


 教室のはんぶんを占める内部進学組の子たちはいつものことって調子で気にせず始業前の準備をつづけていた。編入組の子たちはちょっとびっくりしていたけれど、新しいクラスでまだ距離感がつかめないこともあって様子見で動けないでいた。あるいは早々に傍観者を決めこんでいたのかも。綾がそうであったように。

 だから一人の子が立って教卓へ向かったとき、どうするつもりだろうってみんな興味津々に彼女の背中を目で追った。

「ひとがどんなかっこしてようがおまえに関係ないじゃん」

 麗のすぐよこに立って彼女は言った。背の高い子だった。

「はァ?」

「かえしてやんなよ」

 そう言ったときにはもうリボンをおさげの子の手から奪いかえしていた。

「なんなの? あんたこそ関係ねーよ」

 おさげの子はずいぶん背が低くって、見あげる形になったから強がってみせてもなんだか分がわるい。

「うちらの話に割りこまないでくれるかな。なに? 正義の味方?」

 ウケるぅ、と笑おうとしたおさげの子を見おろし醒めた声で、

「ちがうよ。おまえがうっとおしいだけ」

 声を張り上げるわけでもないのにその声は教室じゅうに徹った。みんなは知らないふりして一限のノートをひろげてたりしたけど当然耳は彼らの方へぴんと立てていたからみんな彼女の言葉を聞いた。えんぴつの音が止まり、雑談をよそおっていた子たちもいっしゅん息をのんで次どんな反撃が放たれるのかを待った。

 でもおさげの子は言葉を返せなかった。あまりに直截な敵意の言葉と、じっと目の奥をのぞくようなに射ぬかれて、かたまってしまったのだ。

 仲間であるはずの恵奈がうしろから肩をたたいたのにさえ彼女はびくっとふるえた。

「行こ」

 恵奈は仲間の子たちをうながし長い髪を揺らして教室を出て行った。張りつめていた空気がやっとゆるんで教室のなかにはまた春の朝のざわめきが戻った。


 出ていく子たちを、麗と長身の子がならんで見送った。長身の子はいつきという名だと、その日のうちに綾は覚えた。いつきは教室の扉の方を向いたまま「はい、これ」とリボンを麗にわたして、その顔をたしかめもしないで自分の机へもどった。

 麗は呆然とつっ立っていたけど始業のベルが鳴るとあわてて席についた。わたされたリボンはそのまま鞄へ入れてしまった。自分でリボンを結ぶことができずに、毎朝母親につけてもらっていると綾が知ったのはずいぶんあとのことだ。


 綾はショックだった。だがなににショックを受けたのかはちゃんとわかっていなかった。

 いじめなんかべつにめずらしくもなく中学のときにもふつうにあった。入れ替わり立ち替わりいじめる相手を変えて、ときにはいじめていた子がいじめられたり、いじめられていた子がいじめる側に立っていたり。心底くだらないと嫌っていたけどそれを止めはしなかった。止めるなんてとてもできなかった。いじめられていた子が味方を求める目をたくみに避けて、綾は目のまえのみにくい人間模様から逃げることで中学時代をぶじに乗り切った。

 それをわるいと思ったことはなかった。たぶん一度も。

 どうせ自分にできることなんてなにもないし。もしわたしが出てってあの子をかばったとしてよ、それでどうなるわけ? いじめられる子がふたりに増えるってだけでしょどーせ。

 いじめられるのがこわい? それもある。でもそれ以上に、道化になるのがこわい。いじめっ子たちの憎悪よりも、無数の傍観者たちの失笑の目線に耐えられそうになかった。


 綾が怖れていたものを、あの子はかるがる跳び越えてった。傍観者は綾だった。果たして傍観者である綾は失笑したか。いな

 教卓にのこされたふたりはみなの注目を浴びていた。彼女たちは道化だったろうか。否。

 自分の態度は誠実だったろうか。否。

 否。否。

 ほんとは綾はあの背の高い子のようになりたかった。


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