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ぼくらのクラブはがっつり時代遅れな体育会の気風がのこっていて、一年と二年はまるで下僕で三年生の命令には絶対服従、そして四年生は神のように君臨するのだった。
こんな理不尽納得いかねえって辞めてくやつもいたけど概ねぼくらは前世紀的な雰囲気を楽しんでもいた。
コンプライアンスなんてもののいらない楽園に、あのころのぼくらは安住していたのだと思う。うちの部じゃなかったらこれパワハラだぜってことも犯罪スレスレだよなあってこともてんこ盛りの日常茶飯事だった。そんな理不尽をげらげら笑いながら乗り越えてって今いい思い出にさえしてしまっているのは戦友とも思える同期がいたからだ。
とにかくクラブに体育会的秩序は廃れず健在だった。新入部員も一年経たないうちたいてい慣らされてしまった。となれば合宿のとき一年と二年が大部屋に詰め込まれて雑魚寝するぐらいはなんでもない。
ぼくらは満身創痍の体を抱えてちょっとでも隙があれば横になり休息をむさぼったものだ。たぶん合宿三日目か四日目あたりだったと思う。夕食とミーティングを終えたあといつもの通り蒲団にからだを投げ出してどうでもいい話で
こんなときはKの独壇場だ。適当にわらいを織り交ぜながら得意顔で北海道の冬の厳しさを語った。
「道なんか雪がつるっつるでさ。冬だと内地から来たやつはすぐ分かんだよ、歩いてっとじき滑るから。だいいち歩き方がちがう、分かるか? こうやってさ」
と寝たまんま足だけ上げて雪を踏むまねをした。分かるかって言われてもなにがどうちがうんだかぼくらにはちっとも分からなかった。Kはむきになってなんども足の動きを再現してみせるけどそのたびぼくらはやっぱり分かんねえってはやして、やたら陽気にわらいとばした。
合宿中の練習はふだんにも増して激しい。身体が熱をもってるうちは動けても、冷めてしまうと筋肉がいうことを聞かなくなるってことはしょっちゅうだった。
立ち上がろうとしたKはまず足が
こんなところもKらしくってぼくらは自分たちの体だっておなじぐらい傷んでいるのも吹っ飛ぶ気分でわらった。
おなじ部屋で寝ていた一年生たちが、二年生よりよほど全身ガタガタだってのにむりしてKを助け起こそうとするからKは右手をあげて後輩たちを制した。
「だーいじょうぶだって。自分でなんとかすっから」
そう言ったあとすぐ痛てててってさわぐからぼくらはまたげらげらわらった。そんで一年もつられてわらって、合宿中盤で疲れもピークのどんより曇り空だった大部屋はすっかり空気が換わって明るくなっていた。
けっきょくあのときだれもKを助け起こそうとしなかった。痛がってるのをただわらって見てるってのはふつうに考えたらひどい話だけど実のところこれはKがみんなに愛されていた証だってぼくらは知っている。ぼくらにしか通じないヘンな愛情表現かもしれない。部外者には分かってもらえないってんならそれでもべつにかまわない、でもそれでぼくらが考えを改めることもけっしてない。
Fはあとから揚がってきた天ぷらをすごい勢いで食べてぼくらに追いつくまでのあいだなんどもHにやめとけと言った。Hはブロンズの塑像みたいに頑固にかたまったまま動かなかった。どうしても翻意させることができないと見てとると最後にFは、
「じゃあおれがついてってやるよ」
と折れたのだった。
ちょうどみんなの食事も終わったところだった。食べおわるまでのあいだにぼくらは、だんだんとKの自死と折り合いをつけることができそうな気がしてきていた。
たしかにさっきまではぼくらはみんなそれぞれ胸に傷を負っていたはずだったのだ。自分でも気づかないほどちいさな傷口で、どこにあるのかはっきりしないけどとにかくじくじく痛むってみたいな、扱いにこまる傷だった。
それが天ぷらをつついているうち慰藉されたんだとしたらずいぶん安っぽい傷だぜなんて自嘲しようもんだけどむろんそんな簡単な話じゃなくてたぶんひとつにはここにいるやつみんな例外なくKを愛した仲間たちなんだってことが、ぼくらの若い自然治癒力を俄然活性化させたんだと思う。
長身のFと平均よりは背の低いHとが並んで歩く背中を見送ったあとぼくらは解散した。ふたりはその足でほんとうにKの勤めていた会社に乗り込んだ。
夜になってFからみんなに送られてきた報告によると、Kの上司だった部長と課長の二人が出てきて対応してくれたらしい。
このたびのことは痛恨の極みだ、前途ある若者がこのようなかたちで命を絶たれたのが残念でならない、その決断をさせてしまった責任が我々にもあるのだとすれば慙愧に堪えない、そんなことをなんども繰り返すあいだ課長はうなだれっぱなしだった。
当然参列するつもりでいたのですがご両親から鄭重にお断りされたために参列するわけにいかなかったのです――とこれは部長の弁で、しずかにゆっくり諭すような親身な口調でどうかご家族とお友だちの方々に私たちの弔意をよろしくお伝えください、とつづけたそうだ。
直後にHからも連絡が届いて、そこにはみじかく、
――うまく丸めこまれてしまった。すまん。
とだけ書いてあった。
そのときぼくはぼろい下宿でこたつに入ってインスタントの袋麺を啜っていた。あと三日のうちに残り二つのレポートを書き上げなければまた卒業できない状況に追い込まれていたけどどうしてもパソコンを開く気にならなかった。
まだずっとKのこと、それからHやみんなが今日話したことを思い出してはそのぬくもりのなかにこもりつづけていたのだった。失敗を告げるメッセージさえもがぼくの心をあっためた。
――謝ることなんてなにもないのに。
ぼくはこたつのなかで思った。インスタントの最後のスープを啜りながら。
――しかたないよ、海千山千の商社の幹部が出てきたんじゃかなわないって。
性急に詰め寄るHと、それをやすやすといなす大人たちの図が目に浮かんだ。
社会人として一年勤めて眩しいほどに大人になったと感じたHも、やっぱり世間のなかではまだまだひよっ子なんだと妙に納得した。
それは丸めこまれてしまった結果に対しての評価だったのか、それともKの会社に乗り込もうなんて発想がそもそもひよっ子だというのか、自分でもよくわからない。
こたつにまるまって首だけ出して、卒業後のことを頭に描いた。これから社会に出て生きていくんだってことを。まだ想像でしかない社会生活ってやつがそう生やさしいものじゃないと、ぼくは昨日よりはすこしだけ生々しく知っている。
そのことを教えてくれたKはもうこの世にいない。この世界は理不尽だ。
(第1話 おわり)
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