熱の病

木春

熱の病

 初めはちょっとした喉の痛みからだった。その時は大したことはないと思ってそのままにしてしまったのだけれど、三日後には咳まで出始めてしまった。――取り敢えずゆっくり休むことが肝要ね。最近は忙しすぎてゆっくり休めなかったし。と思って仕事の量を少し減らし、夫にはこちらに来ないように伝えさせてまた何日かを過ごしたのだけれど、それでも治らない。あぁ、これは本格的な風邪かなとやっと思って宮で働く医師に薬を煎じてもらったものの、時すでに遅く、遂に熱が出始めてしまった。


「何もやることが無くて、寝たきり……というのは、こう、胸にのしかかるものがあるわね……」


 それからと言うもの、いつも何かしら動き回っている私にはとてつもなく退屈で窮屈な日々を過ごしている。かと言って動き回れるほどの体力があるわけでもなく、自室に押し込められて飼い殺し状態のまま悶々とただ時を過ごす毎日。時々風に乗って聞こえてくる声明に頭の中が回りそうになるけれど、多分それって風邪に効いてるってことよね。そういうことにしておくわ。


 こう言う時ってとにかく眠れたら何ともないのだけれど、あいにく寝過ぎてもう眠気が来ないのよね。それに一人はやっぱり寂しいし。沈んでいた気持ちがもっと沈んだような気がして覆の中に潜り込み目を閉じた。

 そのままうつらうつらと少し船を漕いでいたら何やら外で異変が起きている事に気がついた。耳を澄ますと騒がしい音が聞こえてくる。ドタバタ床を踏み鳴らす音。引き止めようとする声。足音が止まって「今は安静になさっておられなくてはなりませんので」とか、「もうこれ以上会えないのはわたしの身が持たない」とか、一頻り言い合った後にまた足音が、今度は振動を伴って私の方へ近付いて来る。もしかしたらと予想が何となくついたが、次の瞬間には『私はこれにどう反応すればいいのか』という難題が頭の中をぐるぐる回り始めた。


「媛!安宿媛あすかべひめ!大丈夫かい?!」


 考える暇も与えずに聞こえて来たのはやっぱり予想通り夫の声だった。迷い無く寝台の方まで来て隣に立膝をし、私の片方の手を両手で握って縋り付く。


「…あっ…ごめん大きな声は響くよねごめんね」


 ハッとして目が合うなり謝ってくる彼は、一番新しい記憶の中の彼より少し不健康そうだった。目の下にクマが出来ている。それにまた少し痩せたかしら?最後に会った日からそんなに経っていないはずなのに。と思いそこで私もハッとした。そうだった。私が倒れるとこの人も倒れるんだった。と今更ながら思い出し、ますます早めのうちから治しておくんだったと反省、内省する。


「もう、私より具合が悪そうになって、どうするの?」


「僕は大丈夫だよ…!でも、でも、君が心配で」


 きっとまた、夜も眠れず食べ物も喉を通らなかったと言い出すのだろう。普通の天皇おおきみならばある種の誇張表現としてそれを言うのだが、この人は違う。本気で眠れず食べれずの状態になるのだ。付き合いが誰よりも長い私はそれはもう嫌という程知っている。あぁ尚更本当に自分の体力を過信しすぎたことに後悔が増していく。そういえば夫の御祖母様おばあさま、先の太上天皇にも――貴方はあれにとっては相当大事な人物であるようだから注意するように、と言われていたような。うぅ…ごめんなさい。そんな気持ちがそのまま私の顔に出ていたのか、当の夫はますます心配そうな顔をして私の手をより強く握りしめる。


「初めに聞いた時の話じゃ少し体調が悪くなっただけって、少ししたらまた元気な君にすぐ会えるかなって思っていたんだけれど、いつまで経っても君に会えないし、問い詰めたら熱も酷くてずっと寝たままだったって、それで不安で、見舞いに行かなくちゃと思って行こうとしても、君の優秀な女官たちに邪魔されてなかなか会えないし、取り敢えずその時は薬だけ預けて引き上げたけれど、不安で、心配だったんだよ!」


 早口で捲し立てる彼は本当に切羽詰まった表情で何処か危うかった。こうなった時の彼はどんどんと自分を追い詰めていってしまう癖があるから怖い。握られている手に力を入れて落ち着かせようとするもののあまり力が入らず、彼に私の思いが届いているか不安だ。


「それで貴方まで眠れなくなってたら仕方が無いじゃない」


「ぐぅ…」


「それに、私の風邪が感染るかもしれないでしょう?だから早くお戻りになって?」


 周知の通り、彼は私より圧倒的に身体が弱い。それにこんな状態じゃ、すぐにでも彼が寝込んでしまうわ。そう思って少し突き放したような言い方をしてしまった。――言い方、まずかったかしら?なんてちょっぴり思っていたら、彼は急に吃ったようにもじもじし出して、少しの思案の後に言葉を紡いだ。


「君は、僕が来ても嬉しくないのかい?」


「え?」


「僕も覚えがあるから。こう言う時に独りでいるのって寂しくて、不安で、辛いと思うんだ。それに君は僕がそういう時、いつも傍にいてくれたし。それが僕にとっては救いだったし……。君は………僕よりも強いからそうでも無いのかな。邪魔だったかな……」


 よく見たら、彼、泣き出しそうになってるわ。もうほんっとどうしようもないんだから。ゆっくり起き上がって彼の頬に手をやって眦を優しく撫でた。


「………私、貴方の大后おおきさきですもの。誰よりも大君と、国のことを第一にいつも考えておりますわ」


「うん」


「でもここだけの話。正直な話。貴方が私の所に来てくれて、私のことを想い案じてくれて、これ以上幸せな事なんて無いわ」


「…うん…!」


「だから、その、別に、嫌って訳じゃ、無いのよ?」


「って事は、嬉しい?」


「っ!……嬉しいわよ!そりゃ!」


 恥ずかしすぎて頭のてっぺんから湯気が出そう。あれ?私また熱が上がってきたんじゃ…?と思いながら目線を外す私を他所に、彼は「そうだよね!そうだよね〜!」とさっきまでの落ち込んだ表情は何処へやら、涙目の癖して満面の笑みを浮かべて私に抱きついた。恥ずかしいやら熱いやら風邪やらなんやらで早く離れてと抵抗しても全く敵わない。結局抱擁されたまま私は寝落ちてしまった。




 あれ?それで結局何の話をしていたんでしたっけ?まぁとりあえず、その後夫がどうしてもと私の看病をしてくれて、そのお陰で風邪もすぐ治って、夫もまた元気を取り戻して良かったって話なんですけれど……。やっぱりあの人、私に惚れすぎよね!え?私も惚れすぎだって?それは、否定できないわね!






「はい、口を開ける!ちょっと苦いけど我慢してね!」


「うぅ、なんかちょっと恥ずかしい……」


「恥ずかしくないよ!」


「はい、もう、飲みますから!はい!あ〜」


「ははは、なんかこれちょっと癖になりそうだな……」


「ならなくていいわよ!もう。私、二度と風邪なんてひかない!」


「たまになら、いいよ?」


「ひかない!」

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熱の病 木春 @tsubakinohana12

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