粘菌宇宙

根倉獺

粘菌宇宙

 粘菌というのを知っているだろうか。

 別にここで聞きたいのは、なんたら生物のなんたら菌みたいな話じゃない。

 SNSなんかで話題になったりする、教科書の本文じゃなくてコラムで紹介されるようなマメ知識の話。

 迷路にこの生き物を置くと、最短距離を示す。正確には入り口と出口に餌を置くと、最初は迷路全体にこの菌は広がるのだけど、最終的には一本の道だけを残して他の部分は衰退して、迷路の最適解を残すらしい。

 理屈は兎も角として、自らの与り知らぬ動きで正解を示すというソレに対して、私はこの話を振った友人に、「まるでこっくりさんみたいだ」と感想を述べた。すると彼女は非常に嫌そうな顔を浮かべた。

「そういう非科学的なものと一緒にしてほしくないな。これはとても科学的な話で、そういう幼稚な遊びとは無関係なんだけど」

 教室の固い椅子の片側の足だけを浮かして揺すりながら、赤里さんはぼやいていた。

「ごめんごめん」

 私が謝ると、彼女はぶすくれた顔のままそっぽを向いた。長くサラサラな髪が、動きに合わせて流れ落ちる。

 放課後、赤里さんは自分のクラスでもないのに、この教室へとやってくる。人づきあいの上手くない彼女の事だから、クラスや部活に馴染めていなのであろうことは何となく察しが付く。どんなに気を損ねようが、彼女は結局、時間が空くと私の元へやってくる。私以外の友好関係が築けていない証拠だった。

 嬉しいような複雑なような感情に苦笑いしながら、私はふと思いついた疑問を口にしてみた。

「宇宙ってさ無限に広がってるんでしょ。宇宙空間が粘菌で、縮小していってるとしたら、最適解以外の空間は消えちゃうのかな」

「はぁ? 別に粘菌はそういう概念的なものじゃなくて、生物なんだけど……。でも、別に消えたら消えたでいいんじゃない。弱肉強食ってことで。自然淘汰よ自然淘汰」

 どこか呆れた顔で、なげやりに赤里さんは答えていた。

 非常に非情な答えに、力ない笑いが私から漏れた。どこか鼻につく回答は彼女が周囲に馴染めない理由を嫌と言うほど感じさせる。

流石に矯正させないと、という老婆心から何度か部活や習い事なんかも進めてみたが、どうにも彼女は飽きっぽく続けられない性格の様だ。

群れの中で、上手くやれない個体は自然と淘汰される。汚れを見つけたらふき取ってしまうように、人間関係でも不必要なものは排除されてしまう。

最適な人間関係には、彼女は不要なものなのかもしれない。

そんなことを私が考えていると知れば、彼女は傷つくだろうな。微かに胸が痛み、思考を中断する。あまり多く考えたいことじゃなかった。

それに、群れでは汚れだったとしても、大きな目で見れば、個性として活かすことができることを私は知っている。一側面だけで判断できるほど、この世界の人間は完成されていない。いつか赤里さんにも気を許せる友人ができるはずだ。

黙って考え込んでいると、いつの間にか彼女はじとっとこちらを見ていた。彼女にしてみれば大きなお世話な考えを振り払い、慌てて私は元の話題へと戻った。

「そ、そうだね。でも、自然淘汰って別に非効率的なものが消えていくわけじゃないでしょ? どんなに強くても恐竜が滅んだみたいに、急激な環境変化に適正できなくちゃ滅亡していく……って、前に言ってなかったっけ? 仮に非効率的なものが消えていくとしたら、誰かが決めたから消えていくんじゃないのかな」

「……屁理屈を」

 形のいい眉を細める赤里さんは不機嫌そうなまま、椅子の足を地面につけた。苦虫をかみつぶしたような顔は、以前に話した内容で揚げ足を取られたことに対する苛立ちからだろうか。

 なんとなくいつも蘊蓄ばかり聞かされる身としては、やり返しが出来たようで気分が良かった。私は上機嫌のまま目を細めて、からかい気味に彼女へ問いかけをした。

「ねぇねぇ、誰かが決めるとしたら、この世界は残ると思う?」

 ぴたり、と彼女は動きを止めて、先程までと変わって熟考し始めた。

 やっと彼女が口を開いた時、その仕草はどこか不安げだった。

「……残らないでしょ」

 意外な言葉に面食う。まさかそんな言葉が彼女から出るとは思わなかった。

「どうして?」

 純粋に疑問をぶつけると、彼女は普段通りに戻って不遜な態度で吐き捨てた。

「あんたみたいな化け物がいるような外れ値の世界だからよ」

 宇宙の泥の中、私は、ぱちりと瞬きをした。教室にできた境目からは、目玉の一つしか覗けない。私の目に走る血管が脈打つのを、気味が悪そうに赤里さんは睨みつけていた。

――もう少し、この世界みちは残しておこう。

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