大和撫子は諦めない③


 さて、僕は晴子さんの問題を未だにずるずると引きずっていた。


 晴子さんは、教えてもいないのに、僕が非番の日を狙ってわざわざ鎮守府まで訪ねてくる。珍しい訪問に、兵たちは何だ何だと毎度わらわら集まってきて大騒ぎだ。そのまま追い返すわけにもいかず、僕は渋々外へと出かける。


「晴子さん、僕は困ると言っていますのに」

「あらいよ……どげんしたら困りもはんか?」

「僕のことを諦めて、帰ってくだされば……」

「そいでは私が困ります。祥三郎様のお父上もお困りになるでしょう」

「んんんんん」

「……どうしますか?」

「……い、行きます……」

「あいがとさげもす。私、今日は大通りの反物屋を見とうございもす。先日、意外にもハイカラな柄のものを見かけもした」


 晴子さんは本当に嬉しそうに、通りの方へと歩き始める。僕は複雑な思いを抱えながら隣を歩く。

 反物屋で、晴子さんは珍しくはしゃいでいる様子だった。


「祥三郎様、ご覧になりたもんせ。丈夫で上等な布に大きな梅の模様です。着物にするにはちっと派手やろうか……じゃっどん、こうやって帯に巻けばよかね。ああでも、そいならこん菫色のでもよかかも……。祥三郎様はどげん思います?」

「僕は、その、女子の着物にはとんと疎くて。男兄弟でしたし」

「ええんですよ。今日は祥三郎様のお気に召した方を買いとうございもす。さあ、どちらがお好きですか?」


 蘇芳すおう色に梅の模様の布か、菫色と白の市松模様の布か、僕は決断を迫られた。考えあぐねた僕が直感で梅の方を選ぶと、晴子さんは意気揚々と一反を丸々買い上げた。


「嬉しゅうて買いすぎてしまいました。こいで同じ帯をいくつも作れます」

「そうですね……」

「次にお会いする時までに、宿で繕って参ります。お見送りの時もこいを巻いて行きますね。ああ、じゃっどん、こん布に合う着物を他に持って来たやろうか……」

 晴子さんが大きな荷物を抱えて少しよろめく。

「ああ、危ないですよ。持ち運ぶのは僕がやりましょう」

 そう申し出ると、晴子さんは寂しそうに笑った。

「ふふ……祥三郎様はほんのこて優しくていらっしゃる。困ると仰りながら、こうして親切にして下さるのですね」

「仕方がないではありませんか……」

 僕は晴子さんから巻き布を受け取った。

他人様ひとさまに邪険に接するこつは、僕のしょうに合いません。どげんしたら邪険にできるのかも分かりません。だから困っているのです」

「まあ、私は他人ではありもはん。許嫁ですよ。将来のお嫁さんです」

「んんん……」

「少し休みましょうか。こん前の茶屋に寄ってお話でもしましょう」

「……そう、ですね」


 結局、非番の日は毎回、晴子さんに振り回されて終わる。


 不思議なもので、接する時間が長いほど、嫌だとか困ったとかいう負の感情が薄れていく。晴子さんは基本的に気の良い人だから、一緒にいると和まされたり、楽しくなったりしてしまうのだ。二人での外出は気晴らしにも最適だった。

 自分の胸に葛藤が生じてしまうのを、僕は必死で叩きのめそうとしていた。


 一方、仕事のある日はというと、山取くんに振り回される。

 次の日の練習号から、僕は一対一で山取くんを指導することになった。


「まずは僕の音に合わせる練習をしようか。ピッコロは制御がより難しいから、まずはフルートでやってみて、できたらピッコロに応用してみてね」

「はい」

「僕の合図に合わせてアーを」


 山取くんと僕の音が、ぶつかり合う。僕はつい癖で山取くんの音色に合わせそうになったが、ここは山取くんの方に合わせてもらわなければならない。あえて自分の音を貫き通す。


「……はい、ありがとう。あまり合わなかったね」

「音程なら、森元さんに合わせましたよ」

「うん、それは分かった。でも音色がかなり違うものだったかな」

「……」

「君の音はまだ刺々しい。今はただの音合わせだから、そんなに自己主張する必要はないんだ。僕に寄り添う音色にしてくれると嬉しい」

「具体的には?」

「えっ?」

「具体的にはどうすれば、音色とやらが合うのです?」


 僕の頭の中に大きな疑問符が浮かんだ。


「どうすればって、山取くんが音の出し方を制御するんだけど……何が分からないんだろう」

「どういった力加減で、どういった形の息を出せば、森元さんに寄り添えますか? 具体的に言ってくださらなければ分かりませんよ」

「そうだなあ、この前も言った通り、出だしの音がきついから、そこだけでも変わると良いかも」

「抽象的ですね」

「そうかな?」

「はい」

「そう思うのは山取くんの勉強不足だね」


 僕の言葉に、山取くんはいかにも心外といった表情になった。


「勉強不足? 僕が?」

「うん。フルート奏者たるもの、自分で筋肉や呼吸を制御して、自在に音色を操れるようになって、ようやく半人前といったところだよ。想像した通りの音が出せない、聞いた通りの音が出せない、想像さえできないし、聞くこともできていない……というのは、君にフルートおよび音楽の訓練が足りていないからだ」

「……」


 山取くんは押し黙った。


「とは言え、時間はあまりない」

 僕は穏やかに続ける。

 三笠の修理ももうじき終わって、ロシアの艦隊ももうじきやってくる。僕たちが出航の時を演出する時は、刻一刻と近付いている。


「短時間で君を立派なフルート奏者にするのが僕の任務だ。だから僕が知っているコツを教えるね。本当なら自分で試行錯誤して感覚を掴むのが一番良いんだけど、そうも言っていられないから。──息の速さを抑えられる?」


 山取くんは怪訝な顔をした。


「速さを? しかし、ある程度の速さがなければ音は出ません」

「その通りだよ。君はいささか速くし過ぎだから、ある程度にまで抑えて欲しい。そこの微調整が可能になるまで、一緒に鍛錬しよう」

「……」

「さあ、もう一度やるよ」


 僕と山取くんは楽器を構え直した。

 このようにして日々、僕は山取くんを鍛え続けた。


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