大和撫子は諦めない②


 戦争が一時休止している間、兵たちは日課をこなす。今日の練習号からは、天沢さんの抜けた穴を埋めるため、新しく軍楽隊員が補充されることになっていた。

 練習号の始まる前に、僕はその新しい隊員と対面することとなった。


山取孝六やまとりこうろくと申します。階級は三等軍学手であります。フルート・ピッコロを担当しております。よろしくお願いします!」


 そう言いながら山取くんは、僕に対してガチガチに力のこもった敬礼をしていた。


「よろしくお願いします」

 僕は敬礼を返すと、彼の緊張を和らげるべく、軽く笑んだ。

「山取くんはいつこちらへ到着したのかな」

「一週間前にございます!」

「そうなんだ。慣れないこともあると思うけど、隊には山取くんの他にも三等軍学手や軍学生の人とかがいるし、肩の力を抜いて、気楽にしてくれていいからね」

「いえ、三笠の乗組員を拝命した以上、一心不乱に精進するつもりであります。誰にも引けを取るつもりはありません」

「そっかあ、それは頼もしいな」


 僕はそう言ったが、横で聞いていた駒留さんは険しい声でこう念押しした。


「山取くん。目下のところ我々の敵はロシア帝国だが、人生においては慢心することもまた敵だ。ゆめゆめ忘れるなよ」

「心得ております!」

「……ならばよろしい。後は練習号にて、改めて力を見極めさせてもらう」

「はっ!」


 僕と山取くんは、駒留さんに続いて練習部屋に向かい、楽器を準備した。ひとまず山取くんには、ピッコロを吹いてもらいたいと事前に言ってあった。


 山取くんは、みんなの前でも立派な挨拶をした。指定された位置につき、駒留さんの合図で音程を合わせる。

 この時点で僕は少し、おや、と気にかかることがあった。

 いざ合奏を始めると、その点は浮き彫りになっていった。


 単純に、我が強い。


 ピッコロは、数ある軍楽隊の楽器の中で最も高い音域を奏でる。ただでさえ高音域のフルートの、更に一オクターブ高い音域を出楽器だ。人の耳は高音域をより捉えやすいこともあって、奏者が一人だけであっても飛び抜けて音が目立つ。

 だからこそ、周囲との調和は必須事項であった。たった一人の違和が全体を台無しにしてしまう。それで怖じけて萎縮した音を立てるようではお話にならないが、みんなが作り上げた土台を蹴倒して暴走するのもいけない。


「山取くん」

 演奏中断の合図をした駒留さんが、静かに問う。

「君の音は悪目立ちしている。初めての合奏で不慣れなことも多いだろうが、音楽を生業なりわいとしている以上、行き過ぎた逸脱はよろしくない。周囲の音をよく聞いて、音色を調節していくように。いいな」


 山取くんは眉間に皺を寄せた。そして明らかにムッとした様子で、こんなことを言った。


「お言葉ですが、軍楽長殿。僕は正しく演奏しております。それで音色が合わないのであれば、誤っているのはみなさんの方ではないでしょうか」

「えっ!?」

 僕はびっくりして声を上げてしまった。


「は?」

「何だそりゃあ」

「信じられん」

「正気か?」

 隊員たちが騒ぎ出す。僕は慌てて山取くんを諭した。


「山取くん。分かっているとは思うけど、音楽には絶対の正解なんてものはないんだ。奏者が変わったり、時が経ったりすれば、また違ったものが生まれる。それを誤りとは呼ばない。重要なのは、その時々の息の合わせ方だ。場面によって柔軟に対応してくれないと、困ったことになってしまうよ」

「では、森元軍楽師殿は、僕の音が間違っていると仰りたいのですか」

「そうだね。その通りだよ」


 僕は真剣な顔で断言した。


「今この場においては、君の音は間違いだと言える。君一人で演奏する分には問題にならないと思うけれど、今はみんなと一緒だ。君一人がみんなの調和を乱すことは許されていない。……さっき、音楽に絶対の正解は無いと言ったけれど、絶対の間違いならば存在する。君のさっきの演奏には、明らかな間違いがあったよ」

「……」

「だからね、さっきよりも音色を控えめにしようか。音量はそこまで落とさなくていいから、高音域の音色をもう少し柔らかくできるかな。出だしのきつい印象がなくなるだけでも、だいぶ変わってくると思う」

「……」

「できそう?」

「……はい」


 山取くんは不服そうに返事をした。

 その後、山取くんのピッコロの音色は、微妙に変化した。技術面に大きな問題はなさそうだ。しかし根本的なところが変わったわけでもなさそうだった。

 僕は駒留さんから山取くんへの指導を命じられた。こうしてその日の練習号は終了した。


「けーっ! 何だよあの新人くんはよ!」

 藍さんは兵舎のベッドに座り、不機嫌そうに足を組んだ。

「華族様だからって我儘すぎじゃねえか!?」

「へえ、山取くん、華族なの?」

「軍学生の連中がそう言ってたぜ。なあ琳さん」

「……ああ、言っていた」

「でもよ、俺らは音楽で金もらってるんだぜ? 半端な音楽やってちゃあ、お天道様に顔向けできねえよ」


 陸軍にも海軍にも華族出身の者は存在するが、決して多くはない。様々な特権を持つ彼らには、わざわざ危険に身を投じる必要がないのだ。それでも軍人への道を歩むのは、主に没落し困窮した家系の人間であると聞く。

 華族としての誇りと、深刻な家庭事情と。

 山取くんなりに、苦労があるのかもしれない。


「まあ、部下の不出来は僕の不出来でもある。これから頑張って指導していくよ。まさかあんな基礎的なところから指導する羽目になるとは思わなかったけれど……」

「指導ってか、もはやおりの域だよな。物言いばっかり一丁前でさあ」

「……下手。雑音」

「あはは……。あれでも三等軍学手になれたのは、やっぱり華族だからなのかな」

「ぜってーそうだって。贔屓だよ、贔屓。偉そうにしやがって、本当なら三等軍学生くらいに蹴落としてやりてえくらいだぜ」

「……生意気。傲慢」

「まあ、否定はしないけど、うーん」


 僕は悩ましく思って首を捻った。


「配属は上が決めたことだからなあ。指導を任された以上、どう教えたら分かってもらえるかを考えないと。それに、僕たちとは三笠に乗ったら同室でしょ? 仲良くしないとね」


 藍さんはむむっと顔をしかめた。


「仕事だから我慢して協力するけどよー、向こうがちゃんと仕事をしてくれねえ場合はどうすりゃ良いんだ」

「その辺も含めて指導しろってことだと思う」

「……面倒臭い。厄介者」

「まあまあ、そう言わず」


 藍さんと琳さんをとりなした僕だが、肝心の指導法についてはさっぱり思いつかない。

 根気強く会話をすれば、意見を聞き入れてもらえるだろうか。そのためにはまず山取くんに心を開いてもらわなければならない。

 こちらもそのつもりで腹を割って話そう、と僕は決意した。

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