神の世界から来た者③
「くるみ割り人形」のバレエを鑑賞した僕とエデルは、いつものように感想を伝え合った。
「話の筋はいまいち分からないところがあったが、出演者がみんな高い技術を持っていることは分かった」
エデルは言った。
「色んな衣装の踊り子が、色んな踊りを踊っていたな。最後はみんなが揃って大盛り上がりになって、とても楽しめたよ。もちろん音楽も素晴らしかった。これは、ヴァルハラでの宴会の参考になりそうだ」
「それは良かった」
エデルに喜んでもらえて、僕は心底嬉しかった。
「フィナーレは圧巻だったし、感動したよね。単純な音階で作られた旋律なのに、あんなに心を動かされるなんて、作曲者も演奏者もすごいなあ。それに、フルートやピッコロが活躍すると知人から聞いていたけど、本当に見事だった。僕もあんな風に華々しい音を出せるようになりたいな」
「うん。フルートが三本で息を合わせて旋律を奏でる場面もあったな。それから軽やかなソロもあった」
「そうなんだよ! あんなにきらきらした音を堂々と奏でられるなんて、憧れちゃうなあ。序曲なんかは、とても繊細な音作りの箇所もあったし……すごくすごく勉強になったよ。面白かった!」
あれこれと話しながら、僕たちは例のビアバー、〈戦士の休息所〉を訪ねて、お喋りに興じた。
これ以降、何らかの公演を見に行った後は、〈戦士の休息所〉を訪れるのがお決まりとなった。
イルゼのサロンにて、僕が無伴奏のフルート曲「天の岩戸」を演奏した後も、僕らは二人でそのビアバーで話し込んだ。僕の書いた日本的な音運びは、他の参加者のみならず、エデルにもとても興味深いものだったらしい。その日のエデルは、いつもより熱のこもった感想で僕を褒めてくれた。僕は天にも昇るような心地になった。
もちろんサロン音楽にばかり明け暮れてはいけない。レッスンではピンケル教授からモーツァルトに合格をもらい、ライネッケの練習が始まる。軍楽科の演習もたくさん入っている。それから作曲科の講義も。
慌ただしくしている内に季節は過ぎ、本格的な冬がやってきた。
僕はエデルの提案で、ウンター・デン・リンデンを進んだところにあるティーアガルテンという公園を訪れ、冬木立を眺めながら、道に積もった雪を踏みしめて歩いた。その後、町外れで開かれている
存分に散歩を楽しんだ僕たちは、またも〈戦士の休息所〉に寄った。ビールとヴルストとザワークラウトを注文し、暖炉に当たって冷え切った体を温める。
出されたビールをぐいぐいと飲み干したエデルは、上機嫌で僕に話しかけた。
「じきに
「うん。さっきのヴァイナハツマルクト……とても賑やかだったね」
「そこでだ。私から祥三郎に、贈り物を用意した」
「えっ? 贈り物? ごめん、僕の方はまだ何も」
「細かいことを気にするな」
エデルは鞄から出した小さな箱を、僕に渡してきた。僕は丁重に受け取り、中身を確認した。
入っていたのは、不思議な模様の金貨であった。
片面には林檎の絵柄、もう片面には葉っぱの絵柄、そしてどちらも何かの言葉がルーン文字で刻まれている。
「これは……」
「ツヴェルクに特注した、魔法の金貨だよ」
「ツヴェルク? ……魔法?」
僕が困惑してエデルを見上げると、エデルは親切に教えてくれた。
「この世には、神々の世界アスガルトや、人間の世界ミトガルトとは別に、色んな世界が存在する。小人の世界ニダヴェリルもその一つだ。そこには、ツヴェルクと呼ばれる、物作りが得意な種族の者が住んでいる」
「へえ」
「彼らは腕利きの職人だ。魔法の力が宿った物も作れる。その金貨もそうだ。金貨の持ち主が危機に陥ると、こっちの指輪が光る仕様になっている」
エデルは左手の甲を僕に示した。その薬指には、ぴかぴかと金色に輝く、繊細な彫刻が施された指輪が嵌っていた。
「へえ! ありがとう。でも、危機ってどんなこと?」
「命の危機だ」
「へっ?」
幸福でフワフワしていた僕の頭に、つららでも落ちて来たかのような衝撃が走った。
「命の!?」
「祥三郎、君は軍人なのだろう」
「え、あ、うん、一応」
「遠くない未来、祥三郎は戦場に出る──気がする」
「そ、そうなの……?」
「だから、君にはお守りとしてそれをやろう。戦場に持って行け。そうすれば私が加護を授けてやる」
「加護を……。それってどんな?」
「それは秘密だ」
「えー……そっか」
僕はその不思議な金貨を、ためつすがめつしてから、ジャケットの裏ポケットに仕舞い込んだ。
「ありがとう。大切にするよ。それで……」
僕は少しもじもじしながら、こう続けた。
「僕、ヴァイナハテンの前の日や当日も、エデルと一緒に過ごしていい? 大学は閉まっちゃうし、友達はみんな実家に帰って家族と暮らすから、僕だけ暇なんだ」
僕の申し出に、エデルは鷹揚に頷いた。
「もちろんだ。何なら私の家に来るか?」
「えっ? いいの?」
「構わない。──ヴァルハラには、アンドフリームニルという名の腕利きの調理人がいてね。あれに頼んで、美味いご馳走を用意してもらうとしよう」
「わあ……! それは楽しみだな。そしたらその日は、僕からも贈り物を用意しておくよ」
「ふふ、それは楽しみだ。期待しているよ」
そうして、ヴァイナハテンの前の日、僕は初めてエデルの家に上げてもらった。そこは路地裏にある小さく古びた家屋であったが、昔ながらの石造りの空間は暖かくて何とも趣があった。
めいっぱいの肉料理をご馳走になった僕は、エデルにささやかな贈り物をした。艶やかな半透明の蜜色をした琥珀のブローチ。丸く磨かれた琥珀の周りは、銀色の飾りで縁取られている。エデルの赤い髪と黒い服に似合う色を、一生懸命に探したのだ。
エデルは、ありがとう、と言って、さっそくそれを胸元に装着した。
「これで、私の装身具は二つになったな。祥三郎がくれたものと、祥三郎を守るためのもの。──私もこれを、大切にするよ」
そう言ってエデルはニッと笑った。僕もそれに、笑顔で応えた。
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