第13話
縛りを振りほどいて①
脳震盪を起こした影響でしばらくこんこんと眠っていたらしい僕は、三笠の爆発沈没事故の被害状況を、後になってから聞かされた。
三笠は完全に沈没したらしい。それに巻き込まれて、多くの人が亡くなったそうだ。軍楽隊は特に犠牲者を多く出した。僕の大切な仲間が、何人も何人も死んでしまった。
こんな形で尊い命が喪われたのは、本当にやるせなく、嘆かわしく、無念なことだ。僕はひっそりと涙した。
事故の原因は、まだ解明されていない。今後、海底に沈んだ三笠を引き揚げてから、調査が行われるそうだ。
海軍は、生き残った軍楽隊員を掻き集めて、犠牲者たちのために追悼の式典を開いた。僕たちは悲痛な思いに乗せて、重たく物悲しい葬送行進曲を奏でた。
今回の爆沈事故での犠牲者は、事故死でなく殉死という扱いになるそうだ。
そうすることによって、遺族は少し救われた気持ちになるのかもしれない。だが、死んだ人にはもう永遠に会えない。それが変わることはない。
結局僕は、軍人にはとことん向いていないのだろう。考え方というものが全然しっくり来ない。ちっとも肌に合わない。
御国のために死ぬのを誇りとする考えが、僕にはどうも、人を死地に送り込むやましさから目を逸らすための方便だとしか思えないのだ。事故死だろうが殉死だろうが、死は死だ。
そんなことは、軍人たちの士気を高めるための音楽を仕事としていた僕に、言えたことではないのだけれど。
でもほら、人の心を豊かにするのも、音楽の魅力の一つだし、僕はやっぱり人が生きるための音楽をやりたかった。
それが僕の生きる希望でもあるから。
何はともあれ、目標を達成する時が来た。好きな場所で、好きな人と、好きなことをやるという目標を。
僕とエデルは、何度も話し合った。
主に、日本とドイツ、どちらで暮らすべきかについて。
まあ、結論は最初から決まっていたようなものだけれど。
駆け落ちという形を取る以上、森元家や高蝶家の手の届かない場所まで逃げる必要がある。それを思うと、約束通りベルリンに戻った方が良い。
それに僕とて、ドイツで西洋音楽を続けていくという夢の実現を、強く願っていた。その目標をよすがに、過酷な戦いを乗り越えてきたのだし、晴子さんとの縁談も勇気を出して断ったのだ。
今はただ、ベルリンに戻りたい。僕の第二の故郷に。
それからこれも大事なことだが、エデルは掟を破って事故現場に駆けつけたために、案の定ヴォータンのお怒りを買ったらしい。もうじき、半神ではなく単なる普通の人間にされてしまうそうだ。
僕のためにエデルの人生が大幅に狂わされてしまった。それを聞いた時は、申し訳なさのあまり、僕はまともにエデルの顔を見ることができなかった。
「やっぱり罰が下るんだ……僕のせいで……。本当にごめん……」
「祥三郎が責任を感じる必要はどこにもないぞ」
エデルの態度は、至極さっぱりしたものだった。
「神性を捨ててでも祥三郎を助けに行くというのは、私自身が望んで決めたことだ。むしろ、私が謝りたい。私が咄嗟に決断できなかったせいで、助けられなかった人たちが大勢いる」
「そんな……。そりゃあ亡くなった人は気の毒だけど、それは全然、エデルのせいなんかじゃないよ」
「どうだかな」
飄々とした態度で言ってはいるが、エデルが神性を捨てる決断をするのに、並々ならぬ胆力が必要だったのは本当だろう。他ならぬ僕が、愛するエデルに、重大かつ取り返しのつかない決断をさせてしまったのだ。
心に重石が乗せられたようで、ひどく苦しかった。エデルをぎゅっと抱きしめて、うんと撫でてやりたい気分だった。
数日間をかけて、僕とエデルは諸々の話し合いを済ませた。二人とも納得のいく結論が出たところで、エデルは、瞬間移動の力もそろそろ奪われるだろう、というようなことを言った。
「今ならまだ移動の自由がきく。私は一足先にベルリンに帰らせてもらうよ。あちらで祥三郎の到着を待つことにする」
「……分かった。気をつけて」
「うむ。ありがとう」
そう言ってエデルは一瞬にして姿を消した。
僕の方はというと、日本に大した未練は無かった。
海軍軍楽隊には、頼りになる軍楽長の駒留さんが生き残っているし、フルート奏者には期待の新星である山取くんだっている。僕が抜けた所で、後顧の憂いは無い。
日本を出ることで職を失ってしまうという問題もあるが、とんでもなくお金に困るというようなことも無さそうだった。
手紙を出してイルゼにお伺いを立てたところ、彼女は二つ返事で僕への援助を引き受けてくれた。
それに、エデルには元から、ベルリンで百年暮らしても困らないくらいの資金が定期的に与えられていた。ヴォータンはエデルから神性を奪い、寿命も人並みにしてしまう代わりに、慈悲として生活費を全部まとめて下賜してくれたらしい。今エデルは潤沢な財産を所有している。
つまり、ドイツで二人で暮らすのに、僕たちにさほど不自由はないということだ。
僕はさっさとベルリンに引っ越すことにして、準備を始めた。渡航費もエデルが出してくれることになったので、僕はありがたくそれを使って船旅の手配をした。
実家に帰ってそそくさと荷物をまとめていると、女中のお咲さんがさりげなく手伝ってくれた。あまり長居すると父や兄の機嫌を損ねるので、これはありがたかった。
荷物が出来上がり、お咲さんは満足気な様子だったが、少し寂しそうでもあった。
「いってらっしゃいませ、祥三郎様」
「うん。今までありがとう、お咲さん」
立派な門構えの家を出て、汽車で舞鶴港まで出る。
「オーイ! 祥ちゃん!」
大荷物を抱え、船が来るのを待っていると、思いがけなくも聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「えっ!? 藍さん? 琳さんも?」
黒い軍服姿の藍さんと、欠けた手に包帯を巻いた琳さんは、港の人混みの中でもとりわけ目立って見えた。僕は慌てて二人の元に駆け寄った。
「わざわざここまで来てくれたの?」
「おう。休暇を使ってな。ありがたく思えよ」
「それはもう、本当にありがとう。琳さん、もう動いても大丈夫なの?」
「……問題ない」
「そっか、それは良かった……本当に良かった……」
僕は二人に近づき、それぞれの肩を叩いた。
「今まで仲良くしてくれてありがとう。向こうに着いたら手紙を送るから、返事をくれると嬉しいな」
「やるに決まってんだろ! 琳さんの手紙は俺が代筆してやってもいいぜ」
「……いや、俺が書く」
「おいおい琳さんや。俺の親切を断っちまうつもりかよ。……でもな祥ちゃん。琳さんは今じゃ随分と器用に左手を使うんだぜ。さっき蕎麦屋で見せてもらった。大したもんだ」
「へぇ」
「……トロンボーンも、左手も、……何事も、練習あるのみ」
「そっかあ。琳さんはすごいな……。本当に気丈夫だよ」
話し込んでいるうちに、ポウポウと汽笛が鳴ったので、僕は急いで荷物を抱え直した。
「じゃあ、僕は行くよ。二人とも元気でね」
「おう。祥ちゃんも元気でやれよ!」
「……たまには、帰ってこい」
「うん。そうだね。その時は必ず連絡するよ」
僕は二人に手を振って、船に乗り込んだ。
かつて激戦が繰り広げられた日本海に、船が煙を上げて乗り出していく。僕たちの平穏な暮らしへと向かって、一路、進んでいく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます