第12話
深夜に起きた大惨事①
どんっ、という激しい音と振動が艦全体を襲った。夢の中にいた僕は、まだ戦争が終わっていなかったかなと考えを巡らせ、次いで三笠がロシアの艦隊から集中砲火を食らっていると錯覚し、大慌てで目を開けた。
鉄か何かが溶けているかのような異臭がする。カンカンカンという警鐘が、寝ぼけた僕の脳内に容赦なく突き刺さる。
「火事だ! 総員退避せよ!」
そうだった。僕たちはもう、ロシア相手に勝ったのだった。これは攻撃ではなく、火事。火事……それは、おおごとじゃないか!
日本海海戦で激しい炎に巻かれながら沈没していったロシアの戦艦の様子が脳裏をよぎり、僕は戦慄して飛び起きた。今度こそはっきりと目が覚めた。
室内はもう大騒動になっていた。わあわあと、みんなが釣床から飛び起きて右往左往している。
火の出所が分からないが、消火活動でなく退避の命令が出ているということは、寝室から比較的近い箇所なのだろうと予測がつく。
逃げ惑う人々の合間を縫って僕がやっとこさ釣床から降りると、どかんどかんと立て続けに爆音が轟いた。
「ひゃあ!」
僕はすっ転びそうになって、人にぶつかってしまった。
「ご、ごめん」
しかしぶつかった相手も恐慌状態に陥っており、僕のことなど気にもかけていないようだった。
まずいぞ、と僕は焦って逃げ道を探した。狭くて混んでいて身動きがしづらい。それに、こんなに爆発を起こすとは尋常ではない。蒸気機関のどこかがやられたのか、弾薬庫にでも引火したのか……とにかく、ここにいてはたちまち巻き込まれてしまうだろう。
せっかく戦争から生還したのに、こんなくだらない理由で死んで、エデルとの約束を守れなくなってしまうなど……エデルと共に歩む未来が儚くも消えてしまうなど、あまりにもひどい話ではないか。そんなのは真っ平御免だ。絶対にここから逃げ出してみせなければ。
とはいえ、深夜の火災での避難を想定した訓練は日頃行われていない。敵の攻撃による炎上を想定した訓練は幾度もなされたのだが、果たしてこの状況でみんなが無事に生き延びられるかどうか。
訓練との一番の違いは、寝室に張り巡らされた釣床であった。何せ小さな寝室に数多の釣床が所狭しと引っ掛けられているから、その合間を通り抜けるのも一苦労だし、混雑のあまりまだ釣床から降りられずに困っている人もいる。
「おい、手伝ってくれ!」
突如として寝巻きの後ろ襟を捕まれた僕は、飛び上がった。
「うわっ! 藍さん!」
「山ちゃんが降りられねえ。場所を空けろ!」
「わ、分かった!」
僕は手を広げて後ずさりすることで他の人を押しのけて、山取くんが釣床から降りるための場所を空けた。
「すみません。恩に着ます」
山取くんが何とか床に降り、強張った表情で僕たちに言う。
「礼を言うのは助かってからにしろ! 廊下に出るぞ!」
藍さんが人の流れの中に突入した。他の兵をぐいぐいと押しのける勢いで猛進していく。僕たちも縋り付くような格好で必死についていった。
辛うじて廊下への出口まで辿り着いたが、廊下は他の部屋から逃げてきた人々で大混雑していた。そして右手側から火が迫ってきていた。おどろおどろしい橙色の炎が、天井を舐めるようにして進んでくるのが見える。僕はすっかり狼狽えて、気が動転してしまった。
「うぉわあぁ!」
「落ち着け祥ちゃん!」
「あ、あ、あっちに火が来てる! うわあ!」
「分かったから落ち着けって。まだ間に合うかもしれねえだろ!」
「でも、でも、このままじゃ」
当然、みんなの逃げる速度より、火の燃え広がる速度の方が速い。火に炙られて喚く人や、煙を吸って倒れる人などが続出している。普段の三笠からは考えられない、まさに地獄と見紛う有り様である。
僕たちは寝巻きの袖で口と鼻とを覆いながら、廊下に体を捩じ込んだ。嫌な焦げ臭さと、喚き声と、足音と、迫り来る火と、もくもくと充満する灰色の煙と、火傷しそうなほど熱い空気と、──それらを背負って、列はのろのろと進んでいる。
僕の中では絶望感と焦燥感ばかりが募った。ドンッと近くで小規模な爆発音が起き、僕は咄嗟に頭を抱えた。
「ひえぇーっ!」
「森元さん、大丈夫ですか」
「う、うん、ちょっとびっくりした、だけ……」
後ろを行く後輩に気遣われて情けないような気もしたが、怖いものは怖い。こればかりはどうしようもない。
「怯むな! あとちょっとで甲板まで出られる!」
藍さんが激励して、小窓の外を指さす。
「見ろ、外には救助用の
「わ、分かった……!」
返事をした瞬間、一際激しい爆発音が間近で鳴り響き、衝撃で艦がガクンと傾いた──そう認識した頃には、僕は宙に身を投げ出されていた。
頭が壁に強く打ち付けられて、ぐわんぐわんとめまいがしたかと思うと、またも艦が大きく傾き、今度は前のめりに倒れ伏してしまった。先に倒れていた藍さんの背中に思い切り顔面をぶつけてしまう。続いて、山取くんが僕の背中に倒れかかってくる。
このままでは将棋倒しになって圧死するかもしれない。そうでなくても逃げ遅れることは確実だ。絶望しかけた僕の耳に、ガチャンッと重い金属がぶつかり合う、馴染みの音が届いた。
「──え」
まさか。彼女は来られないはずなのに。だってここは戦場じゃない。ただの事故現場だ。ワルキューレはヴォータンの許可していない行動を取ってはいけない。なのに──。
「赤い娘っ子だ!」
「幽霊だ!」
「戦神だ!」
人々の驚きの声が次々と上がる。
僕がめまいで意識がぼんやりとしてくるのに耐えて顔を上げると、廊下には鎧を着た赤毛の女性が巨大な盾を構えて立っていて、ぜえはあと肩で息をしていた。
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