第2話

新天地ベルリンにて①

 やっせんぼ役立たず、と言われて育った。


 僕の生まれは鹿児島県の士族の家で、兄弟は男三人。元薩摩藩士の父は、維新後に海軍に入り活躍した豪傑で、かの西南戦争の折にも海軍側として他の士族の鎮圧に当たったという。僕の兄二人は父の背中を追って海軍に入隊した。当然、僕にも同じ期待が寄せられていた。


 ところが、上二人と違って、僕には才能が無かった。気弱なせいか剣術が苦手で、体格もさほど良くなくて、体力も劣っていたために、普通に軍人を目指すのには向かなかった。


 だからといって軍医になれるほど頭が良くもなかった。

 何故か語学は得意で、ドイツ語の本を読むこと自体はできたけれど、そこに書かれた医学に関する何やかやはどうしても頭に入ってこない。


 両親は落胆したし、兄たちは嘲笑した。

 家にいる間、僕はずっと肩身の狭い思いで生きてきた。何一つ自信を持てないままで、僕の気弱さは日増しに加速した。


 しかし両親は僕の海軍入りを諦めなかった。そこで二人が希望を見出したのが、軍楽隊という存在だった。父という後ろ盾もあって、僕は無事に海軍軍楽隊の候補生として認められた。十四の時だった。


「こいで、わいお前んような落ちこぼれのやっせんぼでも、軍人の肩書きが得られる。せいぜい気張れ」


 父の刺々しい言葉の裏には、敵を討つことも味方を救うこともできない、軟弱な息子への侮蔑が含まれていた。僕は、今度こそ上手くやって期待に応えなければもう後が無いと思い、それはもう並々ならぬ覚悟で家を出た。


 移った先は、軍楽隊の本拠地がある神奈川県の横須賀鎮守府。そこでフルート奏者としての役目を与えられたのは偶然であったが、運良くこれが僕に合っていたようだ。僕はこの銀色に輝く優美で細長い楽器を大層気に入り、練習にのめり込んだ。

 僕にはもう、これしかなかった。だが、僕にはまだ、これがあった。ああよかった。これで、生きていても責められずに済む──前よりは。

 これを通じてなら、辛うじて自信を持てる。確固とした自分でいられる。


 とは言え西洋式の音楽については無学であり、僕は基礎から知識と技を叩き込まれることとなった。殊にソルフェージュという訓練が重要視されており、楽譜を読んで即座に正しい音程で歌うことや、音を聴き分けて正しく楽譜に写し取ることなど、最初は慣れない稽古の連続であった。

 本来はこのソルフェージュがきちんとできてから楽器を持つのが理想とされるが、富国強兵を急ぐ政府の意向に沿うために、僕はフルートの実践練習も同時進行で行うことになっていた。最低限必要とされる技術を選り抜いて優先的に身に付ける方針であった。

 僕は東京音楽学校に通うなどして、技術をつけていった。


 努力した分が成果として表れてくれるのが、僕にはとても嬉しかった。走り込みをしても駄目、勉強を頑張っても無駄、何を頑張ったところで空回りの悪あがき。そんな環境だったから、明確に自分の技術が伸びる体験ができることは、人生の救いのようにさえ思えたし、いくらか自尊心のようなものまで芽生えてきた。


 何より、海軍の先輩のフルート奏者や同期の仲間たちと共に音楽の研鑽をする時間は、僕にとって非常に楽しいものだった。皆、音楽家として誇りを持って任務に臨んでいたし、僕のことを出来損ないだと罵る者も居なかった。


 僕は初めて自分の居場所を見つけた気持ちだった。軍楽隊に僕は助けられた。ここでなら誰に遠慮することもなく、自分の人生を自由に好きなように生きていいのだと思えた。


 特に、同じフルート奏者で歳も近い天沢正巳あまさわまさみさんには目をかけてもらえて、あれやこれやと熱心に教えてもらったものだ。西洋風に結婚指輪を嵌めた指を器用に動かしてキイを操作する天沢さんは、確かに実力者だし、僕の最初の師匠でもある。今でも僕はこの人を尊敬している。


 音楽の勉強は、追い詰められた僕に残された唯一の道だったが、こうして運良く価値ある仕事と素晴らしい環境に巡り会えた。人生、何があるか分からないものだ。


 正式に軍楽隊に入隊してしばらく経った頃、監督者が離任した。代わって就任したのは、以前もここで仕事をしていたドイツ出身のお雇い外国人、フランツ・エッケルト先生であった。

 本来オーボエ奏者であるエッケルト先生は、指揮や作曲にも長けており、またフルートも演奏することが可能であった。彼は熱心に僕を指導し、すぐに僕の才能を認めてくれた。日本政府およびベルリンの大学に掛け合って、僕を留学させるよう口利きまでしてくれたのだ。


 天沢さんは素直に僕にお祝いの言葉をかけてくれた。後輩が自分を追い越して出世するというのに、嫌な顔一つせずに、我が事のように喜んでくれたのだ。そんな善良な人格も、僕がこの人を尊敬する所以である。帰ったら土産話を沢山して差し上げたいと思った。


 かくして仲間に見送られながら横浜の港を出発した僕は、一ヶ月あまりの航海を経て、無事にベルリンに辿り着いた。そこでまずは、エッケルト先生の紹介によるフルート教師に師事し、音楽大学の入試に備えることになっていた。僕は家を借りて、練習漬けの日々を始めた。


 元よりドイツ語は身に付けていたことに加えて、エッケルト先生ともドイツ語でやりとりをしていたため、僕が言葉に不自由することは少なく、新しい先生の指示も的確に理解できた。


 全く新しい環境で音楽に打ち込む生活は刺激的で、僕の価値観にはこれまで以上の変化がもたらされた。

 演奏の腕が上がっていくのが分かる。日本では知り得なかった、より専門的な指導を受けられる。何より、僕は自分のことを、才能と未来がある音楽家なのだと、肯定的に捉えることができるようになった。僕はやっせんぼなどではなかったと、改めて本心から思うことができるようになった。


 自身のことも、世の中のことも、もう呪わなくて良い。自分に恥じない自分でいられれば、それで良い。


 ベルリンは僕にとって、実家よりも遥かに息がしやすい、軍楽隊に次いで居心地の良い場所だと思えた。留学の期間中しか滞在できないのが、惜しいくらいだった。

 不便なことも多くあったけれど、面白くて嬉しいことの方が、うんと多かったのだ。

 それが僕の人生観にどれほど前向きな影響を与えたことか。

 僕はこれまでの人生で最も充実した時を送っていた。

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