ニンニクたっぷりのペペロンチーノ
平日の十二時過ぎ、お昼の休憩時間のこと。給湯室のレンジが稼働し、辺りが食欲を煽るようなかぐわしい匂いでいっぱいになっていた。
「ちょっと、川原くん。いい匂いしてるじゃない」
その匂いに気付いたのは私だけではなかったようで、ポットでマグカップにお茶を淹れていた遠藤さんは、レンジの前でスマホを乗っている川原さんに話しかけていた。
「今日は何?」
「ペペロンチーノっす」
川原さんは週に一度、月曜日に事務所に置いてある冷蔵庫の冷凍室に、その週のお昼に食べる冷凍食品を詰めている。それを毎日一つずつレンジで温めて食べているのだ。
「美味しそうね〜。どこのかしら」
「普通にイオンで売ってたヤツっすよ」
「メーカーは?」
「知らないっすね」
「袋には書いてあるわよね?」
「捨てました」
「駄目じゃない! ねぇ、鈴和ちゃん」
「え、そうですね」
遠藤さんに急に話を向けられ、なんと言ったらいいのかわからず、とりあえず頷いた。すると、それまでスマホから顔を上げずに遠藤さんと話をしていた川原さんが、わざわざ私の方を振り返った。
「楠さんも気になるんすか? 袋、見てきましょうか」
「あら、私とは随分と対応が違うじゃない」
「楠さんにはお世話になってるんで」
「私にはお世話になってないみたいな言い方ね!」
遠藤さんは「私だって色々してあげてるでしょ!」と言いながら、川原さんの背中を強めに叩き、マグカップを持って自分のデスクに戻っていった。
「あの、楠さん。気になるなら俺、見てきますけど」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
温め終わったペペロンチーノを取り出しながら、そう聞いてくれた川原さんの申し出を断っておく。わざわざゴミ箱に捨てた袋のメーカーを確認してくれようとするなんて、優しい人だな。そう思いながらも、私の意識のほとんどは川原さんが持っているほかほかのペペロンチーノに向いていた。
「ていうか、遠藤さんの絡み、雑過ぎません?」
「……仲がいい証拠じゃないですか?」
キャベツを四枚、一センチ四方くらいに切り、オリーブオイルを入れておいた鍋に入れる。タマネギーつ、ニンジンー本も同じくらいに切って鍋に。ブロックベーコンは食べ応えがあるように少し大きめに切って、それも鍋に入れる。鍋を火にかけ、軽く炒める。野菜がしんなりしてベーコンに焼き目が付いてきたら、カットトマト缶を一つ全て入れ、水、固形コンソメ三つを加える。更に近のミックスピーンズとローリエも加えた。後は煮込んで、最後に塩と胡椒で味を調えて完成だ。
「それは何を作っているんだ?」
いつの間にか私の背後にいたヤナさんが、鍋の中を覗き込む。
「これ? ミネストローネだよ」
「みね、す、と、ろぉね」
「ふふ。ちょっと噛みそうだよね」
「発音が難しいな。外国の料理か」
「イタリアの料理だよ」
ヤナさんがゆっくり、口篭もりながら発した「ミネストローネ」は何だか柔らかく聞こえる。
「この赤いのはトマトか。食べるのは、まだ慣れないな」
「元々は観賞用だったって、ヤナさん言ってたよね」
「そうだ。ずっと毒があると思われていた。食べるようになったのは明治以降だな」
「生まれたときから食べ物として認識してるから、毒って言われる方が違和感あるなあ」
「まぁ、慣れないだけだ。鈴和の作ったものが美味いのはわかっているからな、忌避感はないぞ」
「またそんなこと言って。今日は生のじゃなくて、カットトマト使ってるし、しっかり煮込むからあんまり酸っぱくないはず。食べやすいと思うよ」
「良いな。匂いも美味そうだが、話を聞くとより心惹かれる」
ヤナさんは鍋を覗き込みながら大きく鼻で息を吸い、溜息のように吐き出した。右手は鳩尾の辺りを押さえている。
「お腹空いてきたよね。でも、今日のメインはこれじゃないんだ」
大きな鍋にたっぷりと水を入れ、コンロに置く。そこに塩を入れ、火にかけた。
「メイン? 何を作るんだ?」
「ペペロンチーノです」
「ぺぺろん、ちいの?」
「そう。ペペロンチーノ」
「面白い響きだな」
「イタリア語で唐辛子って意味」
「これもイタリアの料理か」
「そう。本当は『アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ』とか『アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ』って呼ぶみたい」
「間に『え』が入ったな」
「イタリア語の接続詞だよ。英語の『アンド』と一緒。日本語なら『ニンニク、オリーブと唐辛子』って意味」
「成程。使う材料が料理名になっているのか」
「そう。長いから、日本では大体の人が『ペペロンチーノ』って呼んでるよ」
ぺぺろんちいの、ぺぺろんちいの、と小声で繰り返すヤナさん。「ミネストローネ」もそうだったけど、険しい顔に反して呟く言葉の響きが可愛いので、ギャップが面白い。
ニンニクを三欠けにするか、四欠けにするか、少し悩む。うぅん……いいや、ニンニクは多ければ多いほど美味しいでしょ。四欠け入れちゃおう。
ニンニクを四欠け、皮を剥いてみじん切りにする。唐辛子は一本、種を取って輪切りに。大きな鍋が沸騰してきたので、スパゲッティを三束入れ、タイマーをパッケージに書いてあった茹で時間より一分短くセットする。
「はい、ヤナさん」
「うん?」
「これ、向こうに持って行って」
「ああ」
邪魔にならないようにか、少し離れた所から私の手元を覗き込んでいたヤナさんに、先に作っておいたレタスとキュウリを切っただけのサラダを渡し、持って行ってもらう。サラダをコタツに置いたヤナさんは、私が何も言わなくてもコップニつとお茶を持って行ってくれた。
「箸はいるか?」
「箸と、フォークとスプーンがいるかな。あ、それからドレッシングも」
「わかった」
スパゲッティの茹で時間が残り四分を切ったので、フライパンにオリーブオイルと、切っておいたニンニク、唐辛子を入れ、火にかける。しばらくするとパチパチと音が鳴り、ニンニクの匂いが広がってきた。
「良い匂いだな」
「そうでしょ。お昼に川原さんがペペロンチーノを食べてたの。いい匂いだったから、私も食べたくなっちゃった」
「それはそうだろうな。この匂いは腹が減る」
ここからがペペロンチーノの一番大事なところ、乳化だ。大きな鍋からお玉で三杯分のゆで汁をフライパンに入れ、素早くフライパンを揺すり、トングでかき混ぜる。ゆで汁とオイルが混ざって、とろんとしてきた。よかった、成功だ。
タイマーは残り一分。シンクに家で一番大きなザルをシンクに置く。
「ここで湯切りをするのか?」
「うん」
「なら、俺がやろう」
「ありがとう。お願い」
タイマーが鳴ったところでヤナさんが鍋を掴み、鍋の中身をザルへと移す。向こうが霞むくらいの、濃厚な湯気が上がる。
「スパゲッティ、こっちのフライパンに入れてくれない?」
「わかった」
空になった鍋をそのままシンクに置き、ザルを持ってスパゲッティをフライパンへと入れてくれる。フライパンを揺すりながら、トングでオイルとスパゲッティを絡める。スパゲッティ三束は重く、フライパンを揺する左手が痛くなってくる。
何とかパスタ全体にオイルを絡め、お皿に盛り付ける。私に三分の一、残りはヤナさんだ。
「よし、できた。食べよっか」
「ああ、美味そうだ」
二人揃って手を合わせて、いただきます。
まずはサラダから。うま塩味のドレッシングをかけ、レタスを箸でつまむ。うん、美味しい。ドレッシングはこれが一番好きた。ヤナさんはスープマグにたっぷりと入れたミネストローネに口を付けている。ミネストローネに入れていたローリエはちゃんと取り出しておいた。
「うん、美味いな。トマトの酸味の角が取れていて飲みやすい」
「たくさん煮込んだおかげかな」
「ああ。ぺぺろんちいのを作っていた時も、ずっと火にかけていたな」
「うん。トマトの酸っぱいのが好きな人も居るけど、私はあんまり好きじゃないから」
「俺も、こちらのほうが好きだ」
「よかった」
私もスープマグに口を付け、ミネストローネを一口飲む。うん、美味しい。次にスプーンで具材を抑い、口に運ぶ。
ニンジンはしっかりと火が通り、柔らかくなっている。缶のミックスビーンズに入っていたひよこ豆がほろっと崩れる食感もいい。
「具沢山だな。これは、『飲む』というより『食べる』という感じだな」
「う。私がスープを作ると、どうしてもそうなっちゃうんだよね。直したほうがいいかな、と思ってるんだけど」
「食べ応えがあっていいじゃないか。勘違いをさせたか? さっきの『具沢山』は褒めたつもりだったんだが」
「まぁ、ヤナさんがいいなら、いっか。私もスープは具がたくさん入っている方が好きなの」
「そうか、それは良かった。……これはこれで美味いと思うんだが、茸が入っていても美味いんじゃないか?」
「確かに。シメジとか、マッシュルームとか、エノキとか。次に作る時は入れてみようかな」
「いいな。楽しみだ」
スープマグを置き、ペペロンチーノに手を付ける。スパゲッティをフォークに巻いて一口。まずはニンニクのいい匂い。そう、これ。お昼からずっとこれを食べたかったんだ。ヤナさんはというと、スパゲッティをフォークに上手に巻けないようで、眉間に皺を寄せながら手首を返している。
「ヤナさん、難しいなら箸で食べてもいいんだよ?」
「だが、経験を積まないと、いつまで経っても出来ないままだろう」
「そうだろうけど」
「見苦しいだろうが、寛大に頼む」
「いや、見苦しくはないよ」
むしろ、微笑ましさを感じる。まるで、子供が新しいことに挑戦しているようだ。ヤナさんは「食事をしたことがない」と言っていたように、最初は箸を使うことができなかった。それを毎日、私が仕事に行っている間も練習して使えるようになった。今では、私よりも器用に箸を使う。スプーンだって私が使うところを見せればすぐに使えるようになったし、ナイフもそうだった。ただ、「フォークでスパゲッティを巻く」ことだけが苦手なようだ。最初に挑戦したのはナポリタンだった。少量では巻いてもすぐに解けて、フォークから落ちてしまう。しかし、多く巻けば口に入らない。ヤナさんは苦戦しながらすべてフォークで食べきったが、口の周りはケチャップで真っ赤になっていた。
「これでも少しは上達したと思うんだが」
「そうだね」
最初の頃を思えば、確かにだいぶ上手になっている。今も、フォークを回す指先は少し拙いが、巻くスパゲッティの量は一口にちょうどいいくらいだ。ヤナさんはそれをぱくりと口に入れる。
「うん。いい匂いが口の中で広がって豪に抜ける。後から来る唐辛子の辛さも丁度良いな。油も独特な風味がするが、美味い。よく合っている。材料は簡素だったような気がするが、そうとは思えない程に味の深みを感じるな」
「オリーブオイル、えっと、油のおかげかな。実はちょっといいヤツなの」
サラダ油は揚げ物などに大量に使ったりもするので、安売りのものを買っている。しかし、オリーブオイルは「オリーブオイルそのもの」を味わう料理に使うことが多いので、いくつかのメーカーのものを試し、味が一番好みだったものを買っている。
「そうだったのか。こんなに油塗れのものを食べて、大丈夫なのかと思っていたが」
「確かに、和食にこういうのはないかも」
「しかし、ただの杞憂だったな。やはり、鈴和の料理は見事だ」
「大製袋だなぁ」
「大袈裟なものか」
「今日も、俺の知らない鈴和の手腕を見れた。昼にぺぺろんちいのを食べていた川原、さんだったか? その人に感謝だな」
サラダもミネストローネもペペロンチーノも食べ終えて、熱いお茶を飲みながら、ヤナさんはそう言った。
「ああ、川原さん。いい人なんだよ」
「好い人? 男か」
「男? まぁ、そうだけど。……今日も私が気になってたからって、わざわざゴミ箱に捨てた袋を取りに行ってメーカーを確認しようとしてくれたし」
「何だ、そっちか。……仲は良いのか?」
「え、どうだろう。うーん、仲良く、はないかな。川原さんって年下なんだけど、先輩なの。私が中途で入ったから。だから、どういう距離感で接したらいいのか、よくわかんないんだよね」
「そうか」
「まぁ、仕事のことしか話さないから、困ってないんだけど」
川原さんそういった気まずさを感じているのか、私との会話が弾むこともない。川原さん自身もあまり賑やかなイメージはないから、それがいつも通りのことなのかもしれないけど。
「ねぇ、どうして川原さんが男性だってわかったの?」
「鈴和が『いい人』と言っただろう。それが『恋人』のことだと早合点してしまった」
なるほど。だからヤナさんは川原さんのことを男性だと思ったのか。「いい人」を「恋人」の意味で使うことなんて普段しないので気付かなかった。
「そういう意味で『いい人』って私は使わないからなぁ。ご近所さんはよく使ってるけど」
「ご近所さん?」
「そう。私に『鈴和ちゃん、いい人はいないの?良かったらうちの孫なんてどう?』みたいな」
「誰に言われているんだ、そんなこと」
「結構いろんな人に。まぁ、みんな冗談だけどね」
ここら辺は少し田舎で、若い人が少ない。その孫だってこっちには住んでいないらしく、会ったこともないどころか、名前も知らない。「いい人いないの?紹介しようか?」なんて挨拶の一つみたいなもので、誰も本気になんかしていない。
「今時、そんなお見合いみたいなことなんて、なかなかしないんだよ」
「その人は『今時』の人じゃないだろう」
「ちょっと失礼じゃない?」
確かに八十歳を過ぎたような人たちが多いけど、しっかりしてるし、スマホを使いこなしてる人だっている。みんながみんな、「今時」の人じゃない、とも言えないと思うんだけど。
「『その人らの時』は知らない相手に嫁ぐなんて、珍しくないことだっただろう。強引に事が進むかもしれない」
「ふふ、心配してくれてるの?」
「何を暢気にしているんだ」
「大丈夫だって」
「根拠がない。で、どこの家の奴なんだ。待て、皆と言ったな。そんないくつもの家から言われているのか」
「はいはい。お皿洗うから、湯飲みも持っていくね」
「鈴和、話は終わっていないぞ」
「また今度ね」
「鈴和!」
話を続けようとするヤナさんをあしらって、湯飲み二つを持ち台所に向う。ヤナさんはただの世間話を真に受けすぎているのだ。心配してくれるのは嬉しいが、そこまで気にかけてもらう必要もない。そもそも、誰に言われたかなんて知ってどうするのだろう。
ヤナさんがあまりに真剣に話をしてくれるので、なんだかくすぐったくなってしまう。
私の後ろについて台所にやってきたヤナさんが不貞腐れたように言う。
「なあ、鈴和。俺への対応が少し雑じゃないか?」
それは、仲が良いから、ということにしておいてほしい。
「家鳴り」のヤナさんはいつも腹ペコ にと @nito_2
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