第36話 前夜

― マティ政府と国民の大部分は、この開戦宣言を無視していますね。新しく外の世界からやってきた神を、古い神を信仰している者たちが妬んで、勝ち目のない戦争を起こすと言って注目を集めたいだけだろうと。

― わかってるわ。

 そう、私たちもマティ政府以上に事態を黙殺している体だった。ミトラ白砂宮内院、私も影たちも全員が少し疲れを引きずっている。私たちは当初の予定だった表向きの親善訪問と、死者のリングの密輸に関わる事件にけりをつけると、さっさとマティを引き上げてきた。今頃は新しい宇宙エレベーターの建設費用を稼ぐべく、マティ政府は大騒ぎしているだろう。リゼア連合中から交易コンサルタントが押し寄せて「うまいもうけ話」を探し出しているにちがいない。

― そこについては新しい経済担当大臣が何とかやっていくでしょう。サグの推薦した顧問たちもうまくやっているようですし。

 セシト・セアニャを引退させた後釜に据えたのは、マティ人のは珍しく交易都市に暮らして商社で仕事をしていた男だった。女性優位のマティ社会へ戻ってくるのは嫌そうだったが、サグの口利きで連れて来られた、交易都市で長年商売をしてきたという顧問役と気が合い、いっしょにゼロからの交易法整備に奔走しているらしい。

 問題なのは、ツレズ大陸に放り出してきた大導師メンデ・カシオナとそれに賛同する人々だった。

 彼らは百日後をめどに、信者有志をつのり、リゼア連邦大公に戦争を挑むと、マティ全土に呼びかけた。戦争を望まぬ者は首都のある大陸側へ避難し、逆に賛同するものはツレズ大陸へ参集するようにというものである。二つの大陸間は毎日のように空路海路で人々が慌ただしく移動しているようだ。

― それで、彼らはどうやって私たちに戦争を仕掛けてくるつもりなのでしょう。

 エルクリーズが問う。そう、そこがわからないから、私も手の下しようがないのだ。

 あれから私がしたことと言えば、死者のリングを予知能力者トエラルカへの寄進として使うようになったことの起源を調べ、それがマティ史で地母神の降臨があった時代を十分カバーしていることがわかったことと、そこから現在までの間にいったいどんな罠をめぐらす余地があったか考えることだけだった。要は何も進展はないというに等しい。

― アルシノエ、話したいことがあります。今、いいですか。

呼びかけてきたのはハーミオンだった。

― ごきげんよう、皇子さま。何でしょう。

王族アオにしか使えない高い帯域のテレパシーでの会話だ。ウロンドロス以外に気づいてはいない。

― 母上が、ちょっと困ったことになって、至急お話したいことがあると。申し訳ありませんが水晶宮まで来てくださいませんか。

― 承知しました。今参ります。

テレパシーをウロンドロス以外にもわかる帯域まで下げて、

― キナンに呼ばれたの。ちょっと行ってくる。ウロンドロスだけ付いてきてちょうだい。

と告げて立ち上がった。ジタイガウゴキダス。その予感が私たちをキナン王宮水晶宮へ跳ばせた。


― アルシノエ、すみません、お呼びたてして。

 水晶宮内院の筐前で、ハーミオン皇子は私たちを待ってくれていた。何かが起こったことは聞くまでもない。黙って案内されるままに連れていかれた先は、トトラナ摂政王の私室らしかった。

― これは、また…

 異様な光景にウロンドロスも言葉を失う。部屋の高さの中ほど、ちょうど目の高さ辺りに赤ん坊ほどの人間が浮いているのだ。だがその人間が赤ん坊ではないのは、顔立ちや体つきのバランスからわかる。そして浮いている体は赤っぽい光に包まれて、手足はだらりと力なく垂れ下がっているようだ。赤い光の塊からは一筋の糸のようなものが伸びて、低い寝椅子にすわったトトラナの胸のあたりとつながっていた。

― これは、この間の従者?

― そうです、アルシノエ。私が迂闊でしたわ。今日、突然こうなってしまいましたの。

― トトラナ様は動けますの。

― まあね。だけど彼をくっつけて動き回るわけにはいかないでしょう。

― 見たところ、母上のエネルギーを吸収しているようなのですが、不思議なことにこれの体内にエネルギーが蓄積されている様子がないのです。

― どこかへ転送されているのでしょうね。

― 従者とおっしゃいましたが、どういう素性の者ですか。

ウロンドロスが尋ねた。

― 彼はね、マティの旧人類なの。マティはリゼア連合の黎明期に一度接触があった星系らしいの。その後で大規模な地殻変動が起こり、文明が一旦途絶えた。そのとき一部の人々が救助されて外宇宙に逃れてきたの。数百人くらい。彼はその末裔らしいわ。

― 現在のマティ人とは、ずいぶん体格がちがうようですが。

― 救助された人々というのが、マティ人の中でも異質な人々だったのだそうよ。小さい時からテレパシーによる教育をして、適性がなかったら追放されるといったようなことを繰り返していたらしいの。まあそれが支配階級だったのでしょう。体格の小さいのは高貴な証だと言ってたわね。

― 初耳です。ではどこかの開拓移民惑星に住み着いていたと?

― 形の上ではそうなっているようね。実際は自分たちの能力にわたしたちの使う幻術体アバターのような力を合わせて、諜報活動をすることで報酬を得て暮らしていたらしいわ。彼もそういう一人として出会ったの。

― なるほど。出会ったときは例のマティの件とは関係なかったのですね。失礼ですがどのくらい主従関係をつづけておられたのですか。

― ハーミオンがまだ小さいころからよ。彼らの幻術体アバターは非生物に見せかけられるから、便利に使っていたの。

 またまた気の長い罠だ。この時点に間に合うよう、すべて計算されていたというわけだ。くやしいがどうしようもない。トトラナのエネルギーを使って、見えない敵が何をやろうとしているのか。

「源になる出来事はすでに起こってしまった。もう止めることはできません。皆様のお力で誰も死なずにすむやり方を探していただかな、ならんのです。」

 凪の宮の言葉通り、出し抜くには私たちの瞬発力が必要だ。パズルのピースを急ぎ組み立てねばならなかった。


 

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