第34話 信仰

― サグは、帰ったんですか。

― 別行動よ。念のためにね。

 3日前に大観衆を前にして王が降り立った広場は、今日は閑散としていた。この広場は王都方面から見て西に宇宙エレベーターとその下の商業施設や観光地があり、東から北に低い山なみがだんだんと高くなって続いている。その北側の山を越したところに大きな港町があり、その彼方には僕たちがこれから目指す大陸があるはずだった。

― 王、護衛なら私だけでも。

 イクセザリアが言う。病院関係者からの調査で、本当に瀕死の病人が快癒したのは、4例だけと分かった。それに関わる詳しい調査をしようとした矢先の招集だったから、僕だけでも調査を続けた方がいいのではないかと進言したかったのだ。だが、王の返事は思ってもみないものだった。

― 罠だと分かってて飛び込むのよ。手駒は精一杯使わせてもらうわ。悪いけど二人とも覚悟してね。

― え?

 聞き返す間もなく、強制的に跳んだ。おそらく僕たち二人を連れたまま、成層圏まで上がったのだろう。テレポートは行ったことのないところへは単体では原則行けない。行った先の安全がわからないから成人体が拒否するしくみになっているのだ。しかし唯一の例外は見える範囲内ならよし、というもの。だから初めての場所で長距離をテレポートするなら、上空へいったん上がってから目的地近くの低空まで、という2段階移動をするのだ。安全が目視確認できれば良いわけである。次に気づいた時には、ツレズ大陸(これが行き先の大陸の名前だそうだ)の荒野に伸びる、広い道路の上空だった。

 道の先には新旧二つの町が見えた。

 新しい市街は道路を挟むように長く伸び、古い町は道の突き当りに小さくまとまっている。古い方が遺跡、新しい方が観光で生活している人々の住むところなのだろう。だが二つの町にはもう一つ明らかな違いがあった。新市街の方はあちこちから煙が上がっている。大きい建物は軒並み爆破と思われる破壊の跡が見られ、通りには人影がない。

― 王、これはまさか…

 イクセザリアが信じられないという顔をする。セシト・セアニャやその一味、政府関係者の仕業ではないだろう。あいつらがこんなに早く行動を起こせるわけがない。だいたいこの爆破の跡は、もう何日もたったと思えるものが混ざってる。

― 内乱はもう始まっていたのね。

 王が唇をかむのがわかった。どうせこんなところまで来ないだろうとたかをくくって知らせなかったのか、本当に情報が首都まで届いていなかったのか、僕たちの情報網に引っかかることなく、すでにマティの一部の人々が武力に訴え始めていたのだ。

 新旧の町の境い目辺り、道路に直角に入り込んだところに、つい先ほどまでいた首都で見慣れた様式の教会が建っていた。その横手に大勢の人が集まっているのが見える。

 次に跳んだ先は、その人々を眼下に望む教会の建物の真上だった。降りるのかと思ったが、王は空中に留まったままだ。

― イクセザリア、下からの攻撃に対応して。アーセネイユはこの人たちのリーダー格を探して、私とつないでちょうだい。

 緊張感がある割にえらく簡単な指示だ。普段なら王1人で全部やっている程度のことなのに、なんで僕たちに振る? 

―その間にやりたいことが、おあり。

 なるほど。

 何人かが僕たちに気づいて石を投げ始めた。騒ぎを聞きつけて教会の内部から武器を持った人々が出てくる。たちまち僕たちに向けて銃弾が飛び交う。当たらないけど。

「やめろ、馬鹿者が。弾かれてるのがわからないのか。仲間が傷つくだけだぞ。やめないか。」

 貫禄のある老女が叫んでいる。セシト・セアニャなんかよりよっぽど人望があるらしい。投石がやみ、悪態をつく声が静まる。このおばあさんが、リーダーかな。そこへもう一人やってきた。まるで地母神の衣装を借りて着てるようなまだ若い女。うん、似たような恰好をしていても、王は神様だけど、あれは人だな。雰囲気が格段に違う。そのコスプレ女神様のまわりには彼女とおそろいの杖を持った大男たちが取り囲んで、威嚇するように僕たちを見上げている。

 うーん、どっちにしよう。でもまあ聞くならこっちがこわくなさそうだな。ちょっと偉そうにして聞いてみるか。

― えーと、そなたがここの人々をまとめているのだな、娘よ。

「えっ、は、はい。誰?」

― 顔を上げよ。われらが王が、そなたと話をしたいと仰せである。

 上空を見上げて僕と目が合った娘は、パタリと杖を落として膝をついた。

「ああ、天使様。おそれおおいことでございます。わたしはここの聖堂を預かるメンデ・カシオナの娘、チール・メネシャです。」

 群衆が静まり返る。なぜ会話が成り立っているのかわからず、杖を持った男たちがおろおろしている。それでも何をしているのだか、遠くを見た姿勢のまま固まっている王に、僕はわざとらしく声を出して注意を引く。王は一人すわりこんでいる娘に気がつくと、単刀直入に訊いた。

― 私が来るのを、待っていましたね。

「はい、もちろんでございます。地母神様の新たなご降臨ですもの。必ずここにいらっしゃると分かっておりました。」

― それがあなた方の言う、地母神様の予言だから、ですね。

「その通りでございます。ああ、このまま地母神様の降臨に立ち会えた喜びのままにひたっていられればよいのに。私にはお伺いを立てるよう母から言いつかったことをお尋ねせねばなりません。」

― あなたの母親というのは、この建物の地下で寝付いている者のことですか。

「そのとおりです。」

― アーセネイユ、私とこの娘とのこの先の会話を、ここにいる全員につないで聞かせてちょうだい。

― はい、王。

 ざわざわと群衆の思いが波のように伝わってくる。次にその波を押し返すようにピンと張る。音の伝わる空間を押し広げ包み込むようなイメージだ。

― できました、王。

― では、先に奇跡を、その目で確かめてくるといい。あなたの母親はもう回復しています。

 どよめく人々。

「さわぐな。確かめなければならん。お前たち、導師様を見ておいで。他の者は警戒を怠るでない。」

 例の恰幅のいいおばあさんが怒鳴った。コスプレ女神様を取り囲んでいた杖を持った男たちから、三人が建物の中へ駆け込んだ。人々は僕たちと、この建物の敷地の外を交互に見ている。まるで今にも誰かが自分たちめがけて襲い掛かってくるのではないかと恐れているまなざし。しばらくすると大きな声が聞こえた。

「導師様だ。」

「導師様が治ったぞ。」

「地母神様の奇跡だ・」

 自身で歩いて建物から出てきたのは、セシト・セアニャと同年配かというやせた女だった。病気ではなくけがだったのだろう、簡素な服には暗い色の染みが大きくついていて、本人が外した腕の包帯の下からはまだ血の気が少ない色の肌と、指が完璧に復元された手が現れた。再度歓声が上がる。

 感激の涙とドラマティックな親子のハグ、となるのかと思いきや、コスプレ女神様のチールは、目を大きく見開いたまま愕然としていた。

 コノキセキヲ オコセルノハ ホンモノノ ジボシンサマ

 チールの思いがにじみ出てくるのがわかる。何だ、何かを恐れているのはわかるけど、それが王と何の関係がある? チールだけじゃない。何人か同じ恐れに慄いている。

「まずはお礼を言わせてください。リゼアのアルシノエ・ルシカ大公。私のような者の身に、このような奇跡をくださったことに、心からの感謝を。」

 神像の前でするように膝をついて、治りたての導師が言った。この人は王を地母神様とは呼ばないようだ。

 王は黙っていた。

「ですが、本当に心苦しいのですがお尋ねせねばなりますまい。大公様。」

 群衆がしんと静まった。何を聞こうというんだ。

「あなた様は、かつてここに降り立ち、われらの大地に祝福をくださったフィー様ご自身でしょうか。」

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