第32話 暗躍
ウロンドロスとトトラナ摂政王の調査により、マティで使われていたリングはやはり新生命宮で盗まれた死者のリングだったとわかった。
もともと死者のリングとは階級の低い人々には臨時収入のようなものだ。例えば
出所がわかったら、泥棒を捕まえるのは簡単だった。観光会社の一員として足しげくリゼアを訪れていた何人かが捕まえられ、ウロンドロスとサグによってマティへ渡ったルートも解明された。最初の用途は疲労回復薬代わりだったそうだ。はずれもあるので使えないと思っていたところ、マティで需要ができて、大量に注文を受けた。かといってたびたび盗みにいけるわけもなく、お土産用の偽物を渡してごまかしていたということもわかった。
供給元がわかったところで、次は発注元だった。浮かんできたのはマティ経済担当大臣のセシト・セアニャ。彼女は一言でいえば挫折をバネにしてきた人物だった。幼少期の事故がもとで妊娠出産ができない身体になった彼女は、マティの伝統的な女系社会での出世は見込めなくなった。ゆえに長年誰一人手をつけなかった経済機構の改革を目指して、ほとんど競争相手のいなかった出世街道をただ一人で進んできたのだ。そうして多額の賄賂で固められたその旧態依然とした経済機構を解体しひっくり返した。だが功名成った後、彼女が振り返って見つけたものは、特権を求めて新旧の関係者が運んできた賄賂の山と、それに群がって好き勝手に使い放題にしている兄弟や親族の姿だった。
刷新した傍らから腐敗の始まる社会に絶望を感じた時、彼女はマティ人としてもう若くなかった。自分の歩んできた道を受け継ぐ者は、マティでは普通実子だ。だが子のない彼女には後を託す相手が部下しかなかった。それも大半が汚職の嫌疑で彼女自らが首を切ってきたおかげで、もう使える人材はほとんど残っていなかった。その個人としては最悪な人生の転機に、やってきたのがリゼア連合への加入と貿易に関わる問題だったのである。
「このままの状態で自由貿易なんか許したら、マティの経済の実権はたちまち外の者に奪われる。」
そのゆずれない一点を守るため、彼女はとうに引退すべき年齢をおして経済担当大臣の座に座り続けたのだった。そのための財源、彼女のわがままを通すために政府上層部へ送られる賄賂の金脈が「奇跡を起こすかもしれないリング」だったのである。
― まあ、理想としては悪くなかったですが、国民性というものを見くびりましたね。実行犯は彼女じゃないです。そっちはサグとイクセザリアが。
眉間にしわを寄せたマティ人の初老の女を見上げて、ウロンドロスは言った。セシト・セアニャはただっぴろいだけで飾り気の少ない自宅の、吹き抜けの大広間で、空中に浮かんだ長椅子の背にしがみついて黙り込んでいた。空を飛ぶ力を持たない人々で、特に老人や幼児を一時的に監禁するのに使う、
― 何もかも自分一人で背負い込む必要はなかったですね、セシト・セアニャ。どう、取引をしません?
と私は持ちかける。
「何を」。
― まずは、リゼアのリングを使った死者の蘇生についての事実を全て公表なさい。それから大臣の座を誰か後進の者に譲ること。
「冗談じゃない、今のマティに
― あなたを満足させられそうな若手は見つけてあります。この2点だけ聞いてくれれば、面倒な親族の問題も何とかしてあげましょう。あなたの残りの人生も保証します。
「あの子らを殺すのかい。」
あの子らというのは、サグたちが抑えているという彼女の二人の甥を指すのだろう。赤の他人である部下の人生を踏みにじることはできても、血のつながっている甥っ子やその子供たちにはどんなに腹を立ててもどうにもできなかった。彼女もマティ人なのだ。
「まあ、そのほうが私にゃありがたいがね。姉さんに憎まれずにあいつらを殺せるなら。」
― 殺したりはしませんよ。ただ、楽しみのない生を命尽きるまで生き続けるというだけ。
― お前さん方、これ、知ってるだろう。
セシト・セアニャの甥の屋敷、床に座らされているのはマティ人の男女5人である。屋敷内にいた使用人だの、部下だのは、気絶したまま一室に閉じ込められている。男二人は兄弟らしく髪の色と鼻の形がよく似ている。女の一人はどっちかの妻で、あとの二人は金で雇われた用心棒といった手合い。おとなしく座っているのは彼らをいったん気絶させたイクセザリアが首回りにかかったロープの端で両足首を結んでいるからだ。立ち上がろうとすれば自分の首が締まるしかけだ。おまけに両手は縛った上から粘着テープで頭の上にぐるぐる巻きに止めてある。おとなしくしているよりほかないわけだ。
そんな奴らにサグが見せたのはマティではありふれた半透明のゼリーのような柔らかいデザート。5人の中で一番若い用心棒の女がちらっと目を輝かす。食べるためじゃないんだなあ、これが。
― で、これはな、鉛でできた小さなボール。ごらんのとおり、小さくても重い。
指の先ほどの鉛玉はゼリーに乗せられると自重で少しずつゼリーの中にめり込んでいく。
― このゼリーは、お前さん方の脳だよ。さっき気絶したときにわしが頭の中へこのボールと同じものを仕込ませてもらった。
「うそだ、はったりだ。」
用心棒の男が喚き散らす。
「おらぁ、ちゃんと時計見ていたからな。捕まってからせいぜい2単位時間くらいしか経ってない。そんな短い時間に手術とか何とか、できるわけがねぇ。」
― おやおや手術とは恐れ入ったね。お前さん方、わしを何だと思ってるんだい。
サグはわざとらしくため息をつくと、鉛玉をゼリーからスプーンでほじくりだして、指でつまみ上げた。そのまま甘いにおいをまとった代物を、手近な女の顔に押し付ける。
「やだ、何するのよ。気持ち悪い。」
精一杯身をよじって逃げようとするが、無駄な抵抗というやつだ。
「お、おまえ、その顔!」
残りの4人の目が女の顔に集中する。
「ひっ」
と用心棒の女が悲鳴を上げた。
「なに? どうしたの?」
当の本人はわけがわからずにいる。そうだろうな。痛みも何も今は感じないのだから。女の頬は鉛玉の形に丸く膨れ上がっていた。皮膚の表面にはゼリーのかけらがくっついているものの、血の一滴も出た様子はない。
― わかっただろう。わしらは手術なんてしなくてもこのくらいの物ならお前さん方の体の中に送り込むくらいわけないんだよ。
それまで黙ったままずっと見ていたイクセザリアが、女の持ち物と思しきバッグから小さな鏡を出して女に突きつけた。大きな悲鳴が上がった。
― 頭、振らない方がいい。寿命が縮むよ。
イクセザリアが生真面目な顔で言った。やっと事情が呑み込めた5人の顔から血の気がひいていく。
「待ってくれ、あんたらリゼア人なのか。」
今まで口をきいていなかった男が問う。
― そうだが。
「謝罪する。もう二度とあんたら、いやあなた方のもので商売はしない。だから…」
― 残念だが、わしらの王のお嘆きは、そこじゃないんだよ。
― 安心するといい、顔のはここの医者でも取れる。それから、じきに助けは来る。
それだけ言い残すとサグとイクセザリアはそこを出た。
言葉。「町にいても人目につかない。彼らの真価は外でこそ現れる」
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