第20話 脱出
気がついたのは、自分の借りている部屋の、自分のベッドの上だった。なぜここにいる? はねおきて最初に自分自身を点検する。頭の芯に何か詰まっているようなもやもやした感じがするが、ほかに痛むところや注射の跡はない。記憶はミトラ王の襲撃に失敗して、キッドマに捕まったところで途切れている…。
「あれから3日後ですよ、バッハの旦那。」
寝室の入り口に現れたのは、当のキッドマだった。
「ああいうのもわたしの仕事なんでね。」
「リゼアの犬が。」
腹立ちまぎれに投げつけた枕を、キッドマはひょいと避ける。
「まあ、そう言わないでくださいよ。通りに放り出されるところを、ちゃんとここまで運んできてあげたんですから、ねっ。」
差し出されたのは薄い緑色のサモルのジュース。一見緑茶のように見えるし苦みがすこしあるのもいっしょだが、ぴりっとする辛さがあって二日酔いに利くのである。こいつはいったい、敵なのか味方なのか。
「ねえ、バッハの旦那、これでわかったでしょう。リゼア人はそう簡単に殺せやしませんて。旦那が簡単に帰されたのは、連中が旦那のしたことくらい何の害もないと思ってるからですよ。旦那が何でリゼアの王を殺したいのかわたしにゃわかりませんが、はっきり言って無駄な努力だと思いますよ。」
「キッドマさん、あんた、市警の潜入捜査官かなんかかい。」
「いやだなあ、違いますよ旦那。わたしゃあ、金になる仕事なら何でも引き受けてるだけの、ただの軍人崩れです。あの時も警備の手伝いをやってたにすぎません。日当よかったんでね。」
「じゃ、なんで俺に説教なんかする。」
「おせっかいでしたかね、旦那。気を悪くしたんならあやまりますよ。わたしゃあ旦那のことは嫌いじゃないからね。今度同じことをして、ここを放り出されちまうようなことにはなってほしくないんで。」
キッドマの声がだんだん小さくなる。どうせ俺のことは自分と同類くらいに思っているのだろう。
もうそろそろ、切り上げ時だな。
「一人にしといてくれないか。」
「わかりました。店にいるんで、よかったら来てやってくださいよ。」
キッドマを追い払うと、俺はクローゼットを漁り始めた。
― サグ、こいつ逃げます。今交易都市ヴァンセルガ行きの筐前です。
― よーし、追って行きな。どこに行って誰に会うのか、落ち着き先まで確認してくるんだ。気づかれるな。
― 了解。
なんか、わくわくしちゃうな。異体のままじゃ気づかれるといけないから、一度戻ってリゼア人として専用の筐でヴァンセルガに跳んで、先回りする。リゼア人の専用エリアから共感応の探知網を広げて、行方を追っていく。あいつの視神経には僕の共感応で追えるように印がつけてある。ついでにあいつが見ているものも、僕に見えるような仕組みだ。
筐の扉が開く。一番安い便だから、百人くらい詰め込まれているやつだ。入ったのと逆の順に人々が降りてくる。あいつは出迎えっぽくロビーにいた背の低い黄色い髪の男に目配せを受け、後をついていく。これは案内人ってやつかな。
男と一緒にこれまた簡素なホテルの部屋へ、フロント素通りで入ると、二人はシャワーを浴びて、お互いの着ているものをそっくり取り替えた。背が低いくせに妙にだぶだぶした服を着てるなと思ったが、そういうわけか。翻訳機まで念入りに消毒して交換すると、ピンと引っぱられるような感覚が来た。これ、翻訳機にテレパシー障壁がついてる。おあいにくさま。内側から感覚を共有している分には、大きな影響はない。
最後に新しい鞄とメモをもらって、あいつはホテルを出た。もらったメモは行く先の番地。あいつが不慣れな都市で右往左往しているのを尻目に、あいつの行き先へ先回りする。ディクラで使った異体に目立たない服を着せて、着いたところは武器火器の店だった。諸々の星区警備隊・自治軍御用達を銘打った看板を掲げられちゃ、おいそれと店内に入るのは難しい。僕がいる間に入った客は一人もなかった。仕方なく近くの建物の人気のない屋上から見張る。
あいつは気後れする素振りも見せず、店に入ると名前を挙げて店員を1人呼び出し、ディクラで使っていた自分の偽名を告げた。そのまま店の奥の倉庫のようなところから、地下に設置された筐に入れられた。やり方がうまいね、ちゃんと荷物と一緒に送られているから違法性はない。
あいつは筐から出ると一人でまっすぐ廊下を進み、ドアをあけて広いロビーのような場所に出た。今度は案内人などはいない。ということはあいつの知っている場所なんだろうか。透明な突き当りの壁からは柔らかな光が降り注ぎ、植物の栽培をしているらしい建物の外の景色が見える。風が手入れされた植物の葉を一斉になびかせる。あいつの姿に気づいた外の人影が急いで寄ってくるのが見える。
うそだろ。着いたところを知って僕はうろたえた。これありえない。というか、ものすごい協約違反だ。どうやってこんなこと…。握手で出迎えられ、おそらくここで暮らしている仲間と思しき人々と談笑しあうあいつを見て、ぼくは新王を迎えに行ったあの日のようにドキドキしていた。特ダネってやつだぜ。
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