第13話 砂丘

 ミトラ王宮は白砂宮と呼ばれている。見渡す限りの白い砂の平原にあるからだ。ここは太古の海の名残である。ミトラという惑星自体は大気と、わずかな植物以外に固有の生き物はほとんどいない、とっくに死に絶えた星なのだ。

 その白砂宮のまわりの砂漠に、数日前からあわただしく人影が動き回りはじめ、臨時の天幕がいくつも張られた。日没後には王都や仮設の移動ゲートから大勢の人々が砂漠に出てきた。夜明けと同時に始まる新王の即位式を見ようという群衆であった。

―さあさあ、砂の衣はいらんかいー。即位式の明けの風を待って、一緒に風の祈りをなさいませんかー

―飲み物はいかがですか。お好みの瓶にいれますよ。

 群衆相手の店も出て普段は人っ子一人いない都市の外とは思えないほどの賑わいを見せている。

―警備って、出てるんですね。王宮からですか。

アーセネイユがたずねた。公女脱出計画も粗方終わって、心なしかサグブロードも開放的に見える。前方には飾り立てられた立体映像の大きな舞台が出ていて、市民に即位式の広場の様子を映している。そのほかにも香やら小物やらの店が出て、人だかりができている。

―いや、王都からだろう。市民の治安を守る程度には要るだろうさ。だいたい、即位式の広場には見物人は入れない。

―じゃ、この人たちは何をしに来てるんです?

サグは手のひらを上に向けて、何かを握るしぐさをした。ああ、共感覚球。

―同時発動で、見に行った気分にさせるわけですね。

―移動ゲートを出たところで印をつけられているんだろう。始まると一斉に握らされて、見た気になる。

―それって、リゼア系でなきゃ詐欺になりませんか。

―少なくともテロの警戒をしなくても済む。実際の即位式の広場の座標は誰も知らないから攻撃のしようがないのさ。白砂宮のまわりの原野は都市の防壁の外になるから、位置の特定がしにくいんだよ。それに共感覚球は、後で売ることもできるから見物人は行った甲斐があると思ってる。

―どっちにしろ、1日限りのお祭り騒ぎですね。



―砂の門を作る技師たちの配置は完了です、王。もっとも予定時刻にはまだありますが。

―ありがとう。

 ウロンドロスは、王の意識がこちらに向けられていないのがわかって、自分も黙って今後の日程と自身の采配したあれこれの点検に勤しむふりをした。もう行っておられるか。

 例の異体はかりそめの身分証で一昨日リゼア入りしている。王は時間が空くごとにイクセザリアと行動を共にしているように見える異体と、彼らにすれ違う人々をのぞき込んでいた。誰も何一つ疑念を抱いてなどいない。外宇宙から来た旅行者とそのガイドに見える二人連れだ。少し前、旅行者は食事を取りに向かう外宇宙の人々の団体にまぎれこんでしまい、ガイドとはぐれた。そして一人で歩き回った挙句、ガイドに見つけられて無事ホテルの自室にもどった。うまくいくことがわかっていても、完了の報告を受けたときは、王と一緒に安堵の息をもらしたものだ。セレタス公女、コスミア・アイシスは明日の昼過ぎにはエクエラ人として交易都市に戻るだろう。

―失礼いたします、王。「明けの祈り」が始まります。礼装の上に砂の衣(きぬ)をお召しいただきます。

 エルクリーズが表の顔である尚侍の礼装で入ってきた。付き従う3人の内侍が淡い黄灰色の大きな布を広げて、てきぱきと王に儀式用の上衣を着付けていく。終わって内侍たちが一礼をして離れると、エルクリーズは王の周りを一渡り点検してから、正面に回った。王は正式に決まった自分の色の礼装をしているのだが、砂の衣はそれをすっぽりと覆い隠している。

―それでは先導をさせていただきます。

 天幕の帳が順に開けられ、深夜の空気がかすかな風となって入ってきた。アルシノエは衣擦れの音とともに立ち上がった。ここから「明けの祈り」が行われる場所までは、自分で歩くことになっている。というか厳密には彼女の意識は即位式の行われる空間に閉じ込もっており、そこから自分の成人体を来させるのである。砂の衣を着た者は王の形代であって、王自身ではない、故に先導者がいるのだ。王の成人体は先導しているエルクリーズの後をゆっくり無心について歩いていく。

 人工的に造られた小高い砂丘の麓で、二人の歩みは止まった。ついたてを置き廻しただけの戸外の休憩所で夜明けを待つ。沈黙塔がわずかな人々のざわめきを物理的には消しているが、興奮はさざ波のように伝わってきていた。ヨアケトトモ二、オウハミナノマエデイノラレル。アラタナみとらノミライニサチアレ、ト。

 暁の兆しがかすかに空を染め始めたところで、砂丘の上空にかすかなきらめきがヴェールのように広がった。結晶眼がドーム型に配置され、微細な光の網が広げられたように見えたのである。無数のカメラからの映像は瞬時に選択され切り取られ再構成されて、王宮の外の広場の群衆にも、ミトラの各都市にも届けられているはずだ。

 アルシノエはついたての陰からゆっくり歩み出た。日の出前の薄明の中、砂の衣で全身を包んだ姿はぼんやりとした影のようである。ふいに影の行く手に松明の明りがともった。間をあけて3つの松明が王の道を作っていく。影が傍らを通り過ぎると松明は消え、次に揺らめくろうそくの燭台が3つ現れて道を照らした。燭台のとぎれると次は気体燃料のランプが3つ、そしてさらに電灯が3つ王の通り道を照らしていく。砂丘を尾根に沿って半ば辺りまで登ったところで明りの先導は途切れ、砂色のシルエットは立ち止まった。 

 そのとき、砂丘を揺るがせて大きな建造物が建ち上がった。王の前方20歩ほどのところに、大きな直方体の岩の壁にアーチのような穴が穿たれた「門」が現れたのである。門の厚さは人の背丈の3倍ほど、高さは10倍ほどもあるだろうか。表面は切り取られたかのように直線的で、何の飾り気もない。ところが王が歩みを進めるうちに門の表面は少しずつ姿を変え、やがて石造りか古いレンガ積みでできているかのような外観になった。そして王が門をくぐるころには表面に様々な歴史上のエピソードをテーマにした彫刻が姿を現したのである。その一部はうごめく様にまた別のものへと変容し、見ている幾万の人々の目をくぎづけにした。

 かすかな風が吹いた。

 とたんに彫刻に埋め尽くされた門は、王がそこを通り抜けるのを待ちかねたように、あっけなく轟音を上げて崩壊した。これが即位式の伝統、「風の門」であった。壮麗な門は数人の技師の手により砂で作られたもので、その土台の上に、微細なテレキネシスを使える技能者が百人ほどかかって芸術家の作品を再現させた、いわば瞬間の建築なのである。

リゼアの薄藍色の太陽の、最初の陽光が、砂丘の頂上に立つ王を照らし出した。

砂の衣はいつの間にか無くなっており、王は鮮やかな紅の礼装をしていた。遠目には無地だが、重厚で複雑な織出し文様の衣である。合わせている内着は白。さらに重ねている裳も透ける白である。

 今頃多くの人々が新王の「色」に息をのんでいることだろう。無彩色は予知能力者トエラルカの色だ。一般の者で自分の色にするものはほぼない。アルシノエはあえてその色を選んだのだ。

 風に白い内着の足元をなびかせながら、王は砂の上に両掌と片膝をついて、頭をたれ、「祈りのポーズ」をとった。そして短い時間の後、立ち上がって登ってくる太陽を背に、右手を上げた。


―千の祈りを、王。

群衆の中の誰かが共感応の限りを尽くしている。大声で叫んでいるに等しい行為だ。

―千の祈りを。

―千の祈りを、新王。

―千の祈りを。

強弱様々な感応が人々の中を伝わっていく。新王を称え、喜びと祝福を表す「千の祈り」の言葉がこだまのようにひびきわたっている。アーセネイユは思わず共感覚球をにぎった手を緩めた。深呼吸しなければ溺れそうだ。

―大丈夫か?

サグがアーセネイユを見やった途端、大きなどよめきが起こった。

―王が消えた!

 どちらかへ跳ばれたのかと、人々の高揚した感応が静まりかかったころ、新王の姿は再び即位式の広場に現れた。今度は左手を上げている。

―おい、王が二人いるぞ!

 二人のアルシノエが、尖塔のようにそれぞれ右手と左手を上げている。祈りの時に白い内着についたかすかな砂までも2人はそっくり同じだった。

―我らの王は偉大なお方だ。お一人で時間移動をなされた。なんの装置もなしに。

 サグがわざとらしく共感応で語った。アーセネイユがすばやくそれを共感覚球にのせる。誰が発したのかは誰にもわからないだろうが、その内容は知ってもらわなければならないのだ。ミトラ新王は時間を超える者。それは未来を見るという予知能力者トエラルカをもしのぐ力であろう。二人はそれを知らしめるためにここへやってきたのだから。

―千の祈りを。

―千の祈りを、新王!

―千の祈りを。

―千の祈りを。新王に

―新王!

―千の祈りを。

ミトラ全都市から割れんばかりの歓喜が沸き起こったころ、右手を上げていた方は消え失せた。こうしてアルシノエの即位式は終わったのだった。

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