第12話 出初

 王の権力ってのはなかなかなものだな、と感心したのは尻尾を巻いて自分の拠点である情報局に戻った時だった。王宮の外郭部分にある情報局では、母の秘書たちが僕の区画を片づけている最中だったのだ。

―私物は分けておきましたけど、確認してくださいね。

―何で突然転職なんかするんですか? 局長と親子げんかとか?

 え、転職って。王の影になるっていうのはあれで確定事項なのか。僕はもう情報局の人間じゃいられない、ということ? 愕然としていると慣れた感覚で後ろから引っ張られた。跳ばされた先は母の仕事用の応接室。

―何を気に入られたんだか知らないけど、新王様から直々にお声がかかったわ。あんたの身柄、そっくり内院がもらい受けるって。内院ってわかる? 王の個人的なお住まいってことよ。

 僕の手をわざとらしくとって、白い指輪リングを握らせた。聞いたことがある。利き手の拇指のリングにもう一つ王の白いリングを重ねてつけるのは、影である証だ。僕の階級を示す緑のリングに新王の細い糸のようなリングが並ぶ。

―それが身分証替わり。それをつけて王宮の公共ゲートで移動すればあとはわかるようにしてあるって。

―これって、断れないもの?

―なーに言ってるの、今更。断るにしたって自分で王に言うのね。

どう見ても面白がってるようにしか見えない。

―ミトラ情報局長官ね、ごきげんよう。ミトラ新王アルシノエ・ルシカです。王都情報管理官のアーセネイユ・オジェンスの身柄、内院でもらい受けます。よろしく。

 新王はいかにも王らしく必要最小限の命令で僕を召し出したとかなんとか、一人で喜んでいる体だ。

―一つ、教えとく。あんたの共感応の強さは別格。特殊高能力者の域に達してると思う。この仕事でも重宝しただろうけど、たぶん王の下で働くならそれを目一杯使われるはず。ま、しっかりやんなさい。クビにされたらまた使ったげる。

 はいはい、お優しいことで母上。気持ちの整理が着かないまますわりこんでいると、突然知らない相手に呼ばれた。 

―アーセネイユ? アーセネイユ・オジェンスですね。

―えっ、誰?

―わたしはミトラ王付きの尚侍、エルクリーズ・ウォダントと申します。ご都合のつき次第王宮へおいでくださいますよう、とのお伝えでございます。

―はあ。

―緊張されてます? 私たち同僚になりますのよ。お会いするのを楽しみにしておりますわ。

 なんで王宮の人っていうのはこう忙しないのかね。ともあれこのぶんじゃ、家に帰っても追い出されそうだな。仕方ない、引っ越し前に下見に行くか。僕は盛大にため息をつくと、母の応接室を出た。もちろん、母はとうに仕事に戻っていて、ぼくのため息を聞くものはひとりもなかったのだけれど。


 最初に跳んだ先は王宮前広場に面した筐だった。そこから観光客よろしく徒歩で王宮の入り口から入ると一般開放されている区画のはずれから公共の筐の並ぶゲート室へ入る。

―で、っと…え!?

 移動先を入力していないのに、筐に入ったとたんに跳んだ。どんな仕掛けだ? おそるおそる外に出る。さっきまでいた筐とはちがう、どちらかというと住宅街の一角にある公共ゲートのようなこじんまりしたところだ。だが普通の住宅街のと違うところは、地区を表す数字や記号の類が見当たらないところ。そして外壁には灰青色の濃淡で砂丘の意匠を細い線で彫った白砂宮の装飾壁が使われているところ。そうか、ここが「内院」ってところか。

―よお、来たな。

―お待ちしておりましたわ、アーセネイユ。わたくし、エルクリーズです。

 ああ、さっき接見の間に案内してくれた人だ。ガーメントの縁取りが光沢のある鮮やかな橙色だったから憶えてる。もう一人はリゼア人には珍しく皮膚のたるみができているのを治していない男。二人とも王宮勤めの高能力者らしく片掛けのガーメント姿だが、男のほうは下に着ている服がどうみても外宇宙そとのもの。まさか異体のままってこと?

―わしはサグブロード・ケルフ。サグと呼んでくれればいい。当面のあんたの教育係ってとこだ。

―お住まいに案内します。こちらに。

 言われたままにゆるく曲がった廊下を奥へ進む。外側にのみぽつんぽつんと扉がある。4つめの扉にさしかかった時そこがひとりでに開いた。エルクリーズが立ち止まって僕を促す。部屋が2つ少ないだけで母と今住んでいるところと大差ない個人用の区画。ということは王族アオの単身者用の標準仕様の住まいってことだ。柔らかな光に満ちた客間のようなしつらえの部屋で、僕たちは落ち着いた。自分の住まいだと言われた場所なのに飲み物が運ばれてきて勧められ、お客であるかのように僕は畏まる。

―で、ここに住まわせてもらう代わりに、僕は何をすればいいですか。

―そうよな、しばらくはわしといっしょに、ここと外宇宙を行ったり来たりしてくれりゃいい。

―外宇宙、ですか?

―いやかね。

―え、だって、その…。調査とかしてないんですか、僕のこと。

―知っていて使おうと、王はおっしゃいましたの。

 そう言われたらもう拒むわけにはいかない。怖さと嬉しさがないまぜになった気分だ。

 もう8年近く前になるか、僕は成人後に高位市民ミドリとなり、認定後の初期研修で共感応の強さを認められて外宇宙へ出された。だが外交に関われるかもと勇んで出かけた交易都市で、僕はひどい失態をさらすことになったのだ。僕に出された課題は滞在中の数カ月で異星人の女性と親密な関係になることだった。もちろんリゼア人であることを隠して、である。僕の選んだ相手は芸術の民ルサンウの女の子で、歌手の卵だった。小さなステージと生活費を稼ぐ別の仕事を積みかさねて暮らしていた彼女に、僕は少しだけ手助けをしてやった。彼女の歌に自分の共感応の力をほんの少し同調させたのだ。彼女の小さなステージはあっという間に人々を集め、感動を起こし、話題をさらった。喜んでいる彼女をがっかりさせたくなくて、僕は引き際を見誤った。結果僕は彼女の大舞台の裏で倒れ、指導教官たちの手で強制送還、リハビリという羽目になったのだ。強い感情の揺らぎによる成人体の制御不能と拒絶反応。7カ月たってやっと自分の体重を自分の筋肉で支えて歩くことができた日の安堵感は今も憶えている。

 サグがポンと僕の腕に手を置いた。

―あんたは一回失敗しているからな。自ずと用心深くなる。それが我々には必要なことなのさ。外宇宙の者にリゼア人と知られることなく行動する。そして必要な時にはありったけの能力を使う。その釣り合いが取れるようになるまでは、ま、わしの弟分だな。

―わかりました。やってみます。

「ありがとうアーセネイユ。わたしの5人目」

頭上から声が降ってきた。新王は部屋の天井近くにすわったまま浮かんでいて、笑顔で見下ろしている。いつの間に?

―王、「風の門」の打ち合わせにお出ましだったのでは?

「行ってるわよ。実験の記録見ているだけじゃ退屈だもの。こっちものぞきにきただけ。あ、音声会話は気になるかしら。使い分けてるほうが私は楽なんだけど。」

―器用ですな、姫様。そちらの人々に気づかれないようにお願いしますぞ

 二体同時存在って、王でも使うんだ。というかうちの母親がやれることくらい、王がするのは当然か。まあ忙しさで言えばうちの長官ははおやと大差ないのかもしれないけど。で、姫様ってこの人、新王が子どもの時からの侍従?

―おう、そうよ。わしは新王がひざに乗るくらいの時から知っておるよ。王の父君様にお仕えしたからの。

ええ!また読まれてる?

―はっは、今のは姫様がわしにつないでくださったんだ。安心していい。あんたのガードはわしには抜けんよ。

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