第10話 威儀
初対面の礼儀正しい挨拶より前に、先日のことを持ち出されたのには面食らった。王族ってのは先読みができるから、今までにもいろいろびっくりさせられたことはあったけど、さすがに王ともなるとぶっ飛び方も桁違いだ。今日の王は薄朱鷺色のキトンに宵空色の上着。王都のあちこちで出会う王族たちの中に混ざれば見失ってしまうようなありふれた衣服ながら凛としたたたずまいだ。
― アーセネイユ・オジェンス、王都担当情報管理補佐官です。おぼえていていただいて光栄です。
― で、何を聞きたいの?
― えと、あの、ご、ご学友でしたコスミア・アイシス嬢について、ですね…。
― 彼女が何か?
顔が上げられないのがこんなにもどかしかったのは久しぶりだ。さっきまでのおもしろがってるオーラが変わった。機嫌を損ねていなければいいけど。
― 成人体拒否の症状で、新生命宮留め置きのままということは、ご存じかと思いまして。
― 知ってる。
素っ気ない返事の意味は何だ? 何も知らないか、何もかも知っていてとぼけるかという二者択一のヒントはまだ読めない。
― 強い感情が、私たちの安定した成人体の維持に影響を与えることがあるのは知ってるでしょう。そういうことなのよ。
― すみません。おっしゃる意味がよく…
― あら、あなたにも経験あるでしょうに。
とたんに僕の心の中に、ある音楽の記憶が引きずり出される。重層的なアルペジオ。さまざまな種類の楽器の奏でる音の束。
「いいメロディでしょう、これ新曲なのよ。」
あの子の屈託ない声。上気した頬の色。
え、どうして…と思う間もなく、僕の意識下の奥から警報が鳴り始めた。「読まれてるぞアーセネイユ! この恥さらし!」
はっとしたときは、もう顔を上げていたらしい。王の金色の瞳が、興味深そうにこちらを覗いているのと視線がぶつかっていた。
― 理解できた? それともやりすぎたかしら?
目を落とし、乱れた呼吸をもどすのに時間がかかった。こんなに簡単に人の記憶を読めるものなんだ。これは不用意に王の内実を知ってしまった僕への罰というところだな。そして、僕の苦い記憶と同じことが意識不明の彼女にも起こっているというのなら、彼女の速やかな回復は到底望めない、ということ。
― 何も、手をこまねいているわけじゃないけど。ねえ、アーセネイユ、何でこんなことに、一番知ってほしくないあなたが首をつっこんだの?
― すみません、お会いできる口実になるかと…あ、その、失礼しました。出直してきます。
― 待ちなさい。
凛とした響きで退出を止められる。僕は身じろぎ一つできずその場で畏まった。
― このことは表に出さないで。仮にも先のセレタス王の
最初のおもしろがってるオーラが戻ってきている。いぶかしむ僕に王はにこやかに告げた
― あなたを私の影にするから。いいわね。
― よろしいのですか。黙らせておく方法は他にもありますが?
― あの子、感知タイプだし、共感応力が強いわね。あなたと同じ、
ざわつく一行が近づいてくる。誰かが「しゃべっている」音がする。私のわくわくした表情を見て、ウロンドロスは察したのだろう。すまして近侍の位置についた。内侍が訪いを告げて、接見の間を開けたてする間も、彼は断続的にしゃべっていた。先に立つ2人は外務保安部の所属らしい。新王に接見できる栄誉に少し高ぶっている。
その後ろに
― ご無礼をご容赦ください、王。ご下命の者、連れてまいりました。
「いいかげん離せよ、もう。俺だってリゼア人だ、王の前の作法くらい、わきまえてるって。」
― だったら、声を立てるな。
「おっと。」
真顔で口を押えた。自分が声を出しているのに無自覚だったらしい。
― 失礼をいたしました、王。お召しを受けて参上いたしました、サグブロード・ケルフでございます。
― 直答を許します。顔を上げなさい。
ゆっくりと男の目線が上がる。そして、ふと気づくと、男は無造作に着せかけられた
「姫様か!」
と叫んだ。迷惑そうな、おろおろした2人はもう眼中にないらしい。
― 楽しい余生を邪魔して悪かったわね、キッドマ。でもどうしてもあなたに頼みたかったの。
「本当に姫様が新王になられたのか? ルシカ公の予言通りに? しかしなんでキッドマと呼ばれていることをご存じか。」
― お父様に隠し事ができなかったことをもう忘れてしまったの? 私は王なのよ。お父様が見抜かれることくらい、私にも見えるわ。
「む、了解しました、姫様。いや新王様とお呼びすべきですな。」
―サグブロード・ケルフ、先代ルシカ公とのお約束通り、新王様の手足となってお仕えいたしましょう。
座りなおして恭しく礼をした。亡きお父様の最後の従者だったサグ。お父様が亡くなる直前に
「姫様がご即位なされねば、俺は一生外で暮らしてもおとがめなしなんて、こんな割のいい取引はないですよ。」
お父様の予知能力に何度も助けられていたくせに、サグは自分のかわいがっている姫様はずっと小さな女の子のままだと思い込んでいるかのようだった。
― 思い出話はあとでゆっくりしましょう、サグブロード・ケルフ。急ぎやってもらいたいことがあります。
外務保安部の2人がウロンドロスにねぎらわれて体よく追い払われると、沈黙塔のスイッチが入れられ、私たちは筆談と音声言語で
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