第7話 商談
連れてこられたのは歓楽街地区である。店の看板はくるくる内容が変わるネオンサインで、見ていると「Evening star」と出た。いろいろな文字で店名を表しているらしい。店は繁盛しているらしく結構人が出入りするが客層を見極めるのは難しい。大多数が別の星域の人々だからだ。肌の色や背恰好のちがいなどはもう慣れたが、あくまで見ても平気になっただけで彼らが近くにいるとまだぞわっと鳥肌が立つことがある。
交易都市、と呼ばれる恒星間の重力の干渉が少ないところにある、巨大な人口天体の一つに俺は来ていた。大きさの違うドーナツを、小さい物から順番に棒にさしてある状態をイメージすればここの形状がわかるだろう。もっとも一番小さいドーナツでさえ、ドーナツの切り口の直径が(穴の直径じゃない、ドーナツの食べるところだ!)千メートルほどあるのだ。21世紀の宇宙ステーションなら、売り物と一緒に並べられそうな規模なのである。
もう生まれ故郷の星からどのくらい離れているものか見当もつかない。最初の交易都市までは宇宙船で運ばれたが、あとはどうやってここまで来たものかは俺にも説明がつかない。ともかく俺はリレーのバトンのように何人かの仲介役の手から手へと導かれるままにここへ来た。すべては百以上の恒星系の盟主たるリゼア系について知るためだ。
案内の男は、俺がこの交易都市に降り立ったときからずっとついて来てくれている。最初は紙に「あなたの便宜を図るよう命じられている」とかかれたメッセージを渡してきた。名前はキッドマというらしい。本当の名前かどうかはわからないが、人当たりのいい男だ。そうそう、俺はここではバッハと名乗っている。
最初に連れていかれたのは自動音声翻訳機の貸し出し場所だった。本体は2センチ四方くらいの格子状で、金属の枠と素材のわからないものでできたなめらかなひもがついており、ネックレスのように首から下げる。一方で受容器となる短い金属棒をピアスのように右耳につける。これでここにいるほとんどの人間と意思疎通ができるのだそうだ。そこで初めて俺が世話になる男に引き合わされることになった。
「本当にここでいいのかい。バーのようだけど。」
「バーですよ。よくわかりましたね。さあ店内へどうぞ。社長はもうお待ちです。」
さあさあと手を引かれるようにして店内に入る。音楽と照明と熱帯ジャングルのようなにおいのハリケーンの中に突っ込んだようだ。耳と鼻がじーんとする。あちこちでダンスに興じる者、飲み物を手にしたまま談笑する者、見つめあう者、様々な客がいる。定番のうっとりするような美人も何人かいて、カウンターの席から入り口方向へ常に目を向けている。引っぱられるままに歩いて、肩を押されるようにしてボックス席の椅子に座らされた。
とたんに別世界に入ったようにしーんとした。目の前には先ほどの光景がまだ繰り広げられているのに、一切の音が聞こえてこない。まるで音のない世界に入ったようだ。もっともむせかえるような植物のにおいはそのままだ。とっさに右耳を手でさぐる。ピアスはちゃんとついている。
「ご足労かけましたなあ、ミスターバッハ。どうです、この店は。」
我に返ると、テーブルの反対側には素材のよくわからない、灰色の服を着た黒い髪の中年の男がすわっていた。耳慣れた英語を話しているのでなければ、どこの星系の人かと危ぶむところだ。外宇宙との貿易が始まって十数年だが、こんな遠くで外宇宙のいろいろな生活様式になじんだ男がもう存在することに、俺は手放しで驚嘆する。
「どうなってるんですか、これは?」
「あそこにちびた鉛筆くらいの、白い物があるのが見えるでしょう。あれが静寂の塔、といってリゼア系からの輸入ものです。」
男はテーブルに身を乗り出して、真上の照明を指した。たしかに円盤状の照明器具の下に小さな白い棒のようなものがぶら下がっている。
「あれがオンになっている間は、この席には外の音は入らず、またここでしゃべっていることは外へ漏れません。おもしろいでしょう。」
「へええ、それは興味深いですな。エネルギーは電気ですか?」
「いや、内蔵してるんだと思うんですが、仕組みはよくわかりません。なんせリゼアの物ですから。」
「びっくりしました。自動音声翻訳機の故障かと思って。」
キッドマと社長が笑った。ここはわざと騒々しくして安い飲み物を提供して人を集めているが、実はこの静寂の塔を使った内密の話をする場として使われている店なのだそうだ。
「社長、わたし、飲み物をオーダーしてきます。」
キッドマがするりと席を立った。聞き耳を立てたが、人が出入りしても音が漏れることはないようだ。
「で、宿題はやってきましたかな。」
男は少し口調を変えた。単なる貿易商ではない、諜報部所属の情報収集者で、今のところは男の師匠となる。
「例の本ですか。一応読み通してきました。最もコンピュータの翻訳機能を通してですがね。」
「十分ですよ。それで、質問はありますか。」
「全くユニークな王政をとっていることと、人種として並の太陽系人では太刀打ちできない存在だということはわかりましたが…」
俺は師匠から借りた本の概要をレポートする。リゼア系の文明は極端なサイキック系。意思の疎通は
そこへ飲み物が運ばれてきた。運んできたのは例のうっとりするような美人の一人だ。氷の入ったアイスコーヒーのように見えるものが大ぶりのグラスに二つ。ただ、コーヒーというよりはバターのようなにおいがしてくる。女は「お兄さん、お仕事終わったら呼んでちょうだい。」と言って媚びるような笑顔を一つ見せるともどっていった。
「どうぞ、においさえ気にしなければ、味はコーヒーと大差ないです。」
師匠は如才なく、自分の分をグラスから一口飲んでから、俺のと替えてきた。毒見のつもりだろう。
「なぜリゼアには外宇宙の人間は長期滞在禁止なのですか。」
「インフラが整ってないから、というにつきますな。」
師匠いわく、テレパシーで意思疎通をするので音声言語も音楽も、一切の音は邪魔ものとして排除されており、成人は食事を必要としないので食べ物の供給の仕組みがなく、移動はみなテレポートで跳ぶのが普通だから乗り物はもちろん道路さえ整備されていない、と。そんなところでは他の外宇宙の人間は暮らせないのである。禁止されるというより滞在すること自体難しいのだ。
「では、どうやって特定の個人と近づくのですか。あの本に書かれたリゼア系女性と同棲していた男というのは?」
「そりゃあ貿易都市にはリゼア系の人間も来ますから。だいたいここいら辺の貿易都市というものはリゼア系が建設したものですよ。ここのインフラは私ら貿易商組合が請け負って作りましたがね。いってみれば外枠の建設はリゼアが、内部の設備は私らが作ってお互いの都合のいいように使っているんですよ。」
「つまりここにもリゼア系人はいる、と。」
「ええ、おりますよ。」
取り替えた飲み物、つまり最初に俺の前に置かれたほうをごくりと飲んで、師匠はにこやかに笑った。俺も毒見済みのほうに口をつける。うん、確かにコーヒーに似てはいるな。悪くない。
「ご紹介いただけますか。むろん社長のご商売にさわるようなことはいたしませんので。」
「それはかまいません。どうせしばらくはご滞在なさるのでしょう。」
そう言って師匠は、カウンターの所でさっきの美人としゃべっているキッドマを指した。
「暇つぶしの案内には、あの男が適任です。しばらくお貸ししますよ。」
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