第5話  居室

 持ち主がない部屋は、玄関にあたるはこが機能しないようになっていることを初めて知った。面倒でもその階の一般向けのはこから通路をたどって行かなければならないのだそうだ。

 私は王都に住まいを持っていない。未成年こどものうちに王族だった父を喪った私は、同時に王宮内に住まう権利を失った。母は生まれ持っての予知能力者トエラルカであり、私がまだ歩くことも覚束ないうちに予知夢の世界にもどっていた。父に望まれて母親になること自体、素晴らしい僥倖であったとしか言いようのない母の人生にとって、それは仕方のない運命であった。父が何を思って賢者の年合いになってから子を持つつもりになったのか、しかもなぜ相手が予知能力者トエラルカだったのかは、ついぞ訊く機会がなかったが、これもまた彼の中で仕方のない予定調和だったのだろうと思う。父は限りなく私に優しく、そして大多数の王族と同じく謎に満ちていた。未成年こどものころの私には、まだ予知能力はなかった。

 孤児になった私の庇護者として名告りを上げたのは、セレタス王ライラーザ・エノワスだった。当時の彼はまだ即位してほんの10年足らず、予言の書の「若き4人の王」の一人と言われ、リゼア系4惑星を統べる連邦大公の座を先のキナン王より受け継いだばかりだった。彼は自身の予知能力で私が将来自分の配偶者となることを予見したという理由で、既に生前の父に了承を得ていると言って、こともあろうに公に私を引き取ると言いだした。

 だが人生が途方もなく長いこのリゼア系においては、未成年者の養育についての法の規定は厳格であった。子どもの私は彼とは確かに面識があったが、10歳になるやならずの私にとって、彼は許婚者というより父の友人、という程度の認識でしかなく、もちろん父から何か聞かされたこともなければ、記録された父の意思もなかった。セレタス王の意思は退けられた。

 母が存命であることを理由に、私は新生命宮第2 エリア、すなわち予知能力者トエラルカの暮らす世界に引き取られたのだ。名目上の保護者は、予知能力者トエラルカの長でありミトラ王族の、銀海の宮だった。すでに500歳近い長命の銀海の宮は予言書の守護者として、全リゼア人から神のごとく思われていた存在である。だが10歳の子どもにとっては専横で世間知らずで、自分に向けられる絶大な敬意だけを浪費して生きている、因業じじいだった。肝心の母はそのとき目覚めていなかった。

 学校だけは相変わらず18番教育都市の王族ゆかりの子供たちのクラスに通っていたが、それ以来私は世間で「宮の公女ひめさま」とあだ名で呼ばれるようになった。両親のどちらかか、そのお付きの者が送り迎えをするのが通例の王族クラスで、私はひとりで一般用の筐の操作をしてどこの王宮でもない新生命宮へ帰る生活をしていた。銀海の宮は子どもの世話をする専任の人手が必要だとわかるほど世間を知らず、まわりは畏れ多くて誰もそれを言上できず、そして私は一人でほころびが出ないようにうまく立ち回って暮らしていた。そうやって私は15歳の誕生日、成人を迎えたのだった。

― こちらで。

 案内の者は目を伏せたまま、扉を開けて脇に寄った。無造作に入った私は、無作法にも声を上げそうになった。

 豊穣の壁。

 祝宴のごちそうを乗せた皿が限りなく続いているさまを表したというその図柄は、どこの文化圏においても受け入れられやすい単調なものだ。だが、私にとっては。

― ちょっと、これ…、何なのこの部屋!

― は。……お気に障ることがありましたら直ちに別の

― 替えて。この壁の部屋は不愉快。

― は。……畏れながらお気に召さないものが壁の織物でございましたら、これは空き部屋すべてに共通の仕様でございますので、別の織物に替えるのは容易で。

― なら早く!

 本当にあっという間に新しい壁用の織物が次々に並べられ、好みを尋ねられる。一つ選べば内装はすべて合うように調整するという。昔暮らした、父君との部屋はどんなだっただろう。記憶を頼りに落ち着く色合いを探す。あれだけは、あの部屋と同じだけは、絶対に嫌だ。

― どういうことです。なぜ今さら…

 !!中に誰かいる? なだれこんだ作業職の人々に抗議する者がいる。ほこり除けの新品の粗布が広げられ、臨時の静寂塔が持ち込まれて、ふっと人々の気配や物音が消える。

― どのくらいかかる?

― 聞いてまいります、お待ちを。

 案内してきた者が室内に入ると、入れ替わるように一人現れた。これが中にいた者だろう。まだたいして年のいってない女、階級はミドリ。

―お久しゅうございます、新王陛下。

―だれ?

―見覚えいただいておりませんでしたか。

―ここで暮らしたのは八年も前なのよ。

―それは失礼をいたしました。わたくしはエルクリーズ・ウォダント、先のミトラ王にゆかりの者でございます。

 なるほど。得心がいった。思い出した。この女は先のミトラ王が同性の王配にせがまれて生ませた娘。ウォダントは王配の姓だったはず。たしか先王だか、王配だかのお付きをしていて、一時はセレタス王の寵妃と噂があった人。ふうん、セレタスあのひとの使いっ走りか。

―セレタスあのひと…ライラーザ様とはお呼びにならないのですね。

読まれていたことに気づかなかった。油断した。一呼吸おいておもむろに返事する。

―私は王よ。今更あの人とどうこう言う関係にはならない。

―…失礼を申し上げました、王。このお部屋の支度は私がいたしました。当面のみの御座し所でございますので、どうぞご容赦を

 つまり当面の私の不快感の矛先は彼女で間違いないわけだ。何を考えてあの思い出したくもない記憶と同じ見た目の部屋を作らせたのか知らないが、なつかしがらせようっていうんならとんだお門違いだ。と、いうわけでもないか。空き部屋の標準仕様だといったっけ。

「一夜限りの部屋ですからね。」

そう、あの時もたしかそう聞いた。たぶんここもそういう使い方をするために作られているだけ。誰が悪いわけでもなく。

― お待たせいたしました、王。どうぞお入りいただきまして、お寛ぎを

― もう終わったの!? さっきの人たちは?

― ここの筐からは出ることはできるのでございます、王。

 先ほどと印象が一変した部屋で、わたしは一人っきりになると、いつものくせで四重のセンサーを張って異体のまま眠りに落ちた。



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