第5話 居室
持ち主がない部屋は、玄関にあたる筐が機能しないようになっていることを初めて知った。面倒でもその階の一般向けの筐から通路をたどって行かなければならないのだそうだ。
わたしは王都に住まいを持っていない。
孤児になった私の庇護者として名告りを上げたのは、セレタス王ライラーザ・エノワスだった。当時の彼はまだ即位してほんの10年足らず、予言の書の「若き4人の王」の一人と言われ、リゼア系4惑星を統べる連邦大公の座を先のキナン王より受け継いだばかりだった。彼は自身の予知能力でわたしが将来自分の配偶者となることを予見したという理由で、既に生前の父に了承を得ていると言って、こともあろうに公にわたしを引き取ると言いだした。
だが人生が途方もなく長いこのリゼア系においては、未成年者の養育についての法の規定は厳格であった。子どものわたしは彼とは確かに面識があったが、10歳になるやならずのわたしにとって、彼は許婚者というより父の友人、という程度の認識でしかなく、もちろん父から何か聞かされたこともなければ、記録された父の意思もなかった。セレタス王の意思は退けられた。
母が存命であることを理由に、わたしは新生命宮第2
学校だけは相変わらず18番教育都市の王族ゆかりの子供たちのクラスに通っていたが、それ以来わたしは世間で「宮の公女(ひめ)さま」とよばれるようになった。両親のどちらかか、そのお付きの者が送り迎えをするのが通例の王族クラスで、わたしはひとりで一般用の筐の操作をしてどこの王宮でもない新生命宮へ帰る生活をしていた。銀海の宮は子どもの世話をする専任の人手が必要だとわかるほど世間を知らず、まわりは畏れ多くて誰もそれを言上できず、そしてわたしは一人でほころびが出ないように立ち回って暮らしていた。そうやって私は15歳の誕生日、成人を迎えたのだった。
―こちらで。
案内の者は目を伏せたまま、扉を開けて脇に寄った。無造作に入ったわたしは、無作法にも声を上げそうになった。
豊穣の壁。
祝宴のごちそうを乗せた皿が限りなく続いているさまを表したというその図柄は、どこの文化圏においても受け入れられやすい単調なものだ。だが、わたしにとっては。
―ちょっと、これ…、何なのこの部屋!
―は。……お気に障ることがありましたら直ちに別の
―替えて。この壁の部屋は不愉快。
―は。……畏れながらお気に召さないものが壁の織物でございましたら、これは空き部屋すべてに共通の仕様でございますので、別の織物に替えるのは容易で。
―なら早く!
本当にあっという間に新しい壁用の織物が次々に並べられ、好みを尋ねられる。一つ選べば内装はすべて合うように調整するという。昔暮らした、父君との部屋はどんなだっただろう。記憶を頼りに落ち着く色合いを探す。あれだけは、あの部屋と同じだけは、絶対に嫌だ。
―どういうことです。なぜいまさら…
!!中に誰かいる? なだれこんだ作業職の人々に抗議する者がいる。ほこり除けの新品の粗布が広げられ、臨時の静寂塔が持ち込まれて、ふっと人々の気配や物音が消える。
―どのくらいかかる?
―聞いてまいります、お待ちを。
案内してきた者が室内に入ると、入れ替わるように一人現れた。これが中にいた者だろう。まだたいして年のいってない女、階級はミドリ。
―お久しゅうございます、新王陛下。
―だれ?
―見覚えいただいておりませんでしたか。
―ここで暮らしたのは五年も前なのよ。あなたが誰なのか知らないことに変わりない。
―それは失礼をいたしました。エルクリーズ・ウォダント、先のミトラ王にゆかりの者でございます。
なるほど。得心がいった。思い出した。この女は先のミトラ王が同性の王配にせがまれて生ませた娘。ウォダントは王配の姓だったはず。たしか先王だか、王配だかのお付きをしていて、一時はセレタス王の寵妃と噂があった人。ふうん、セレタス
―セレタス
読まれていたことに気づかなかった。油断した。一呼吸おいておもむろに返事する。
―わたしは王よ。今更あの人とどうこう言う関係にはならない。
―…失礼を申し上げました、王。このお部屋の支度は私がいたしました。当面のみの御座し所でございますので、どうぞご容赦を
つまり当面のわたしの不快感の矛先は彼女で間違いないわけだ。何を考えてあの悪夢の記憶と同じ見た目の部屋を作らせたのか知らないが、なつかしがらせようっていうんならとんだお門違いだ。と、いうわけでもないか。空き部屋の標準仕様だといったっけ。
「一夜限りの部屋ですからね。」
そう、あの時もたしかそう聞いた。たぶんここもそういう使い方をするために作られているだけ。誰が悪いわけでもなく。
―お待たせいたしました、王。どうぞお入りいただきまして、お寛ぎを
―もう終わったの!? さっきの人たちは?
―ここの筐からは出ることはできるのでございます、王。
先ほどと印象が一変した部屋で、わたしは一人っきりになると、いつものくせで四重のセンサーを張って異体のまま眠りに落ちた。
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