第4話 帰還

仕事を終えて帰ってきた母は、着替えて自室に入りかけて、くるりと踵を返すと玄関へ向かった。

―え、今頃どこ行くの。

―お出迎えよ。ついてこなくてもいいわ。

―!ちょと、おい、僕もついてく…

駆け寄った時にはもう移動した後だった。ついていくどころか今の移動先を追跡するのさえぎりぎりだった。新生命宮第七 エリア、間違いない。やっと来たぜ、お出迎えする相手はミトラの新王だ。特報だぜ。

 直後に移動したから、てっきり同じ筐に出られるとばかり思っていたのに、だいぶ離れたところに跳んだらしい。出たところで僕は立ちすくんだ。

数百人はいるだろうという群衆。しかもみんな王族。そのほとんどは正装ときた。まずいよ、僕も母も部屋着のままだ。

―なんでそんな格好のままついてくるの、まったく。

ぐい、と後ろから肩をつかまれて、跳ぶ。こういう有無を言わせないところが、上司たるこの人のやりかただ。降りたところは臨時に作られたと思しき筐と、その正面に居並ぶ人々を見渡せるような外れの、しかも柱の陰になるところだった。

―なるべく人目につかないところにいなさいよ。

言い捨てた母はいつの間にか正装で、堂々と王族の人波に混ざっていく。いいよね、あんたも王族アオだからね。

ため息交じりに、僕は仕方なく手近な筐を使って家から正装用の上衣ガーメントだけ取り寄せて羽織った。僕の母親はミトラ国内情報管理官で、日々いろんな事件の現場に立ち会っている。複数の成人体を使い、忙しく飛び回るあの人を子どもの時から見ていたから、なんとなくやり方がわかっている。で、高位市民ミドリの僕はそのしがない補佐官としてついて回って仕事をしている立場だ。ただ母の仕事は王族アオだからできるのであって、補佐官だってたいていの人なら休みってものがない生活に音を上げてやめていく。ちなみに今までで一番長く続いたのはやはり高位市民ミドリの僕の父親だそうだ。その彼も僕が生まれるときに後進に職を譲り、僕の成人とともに新しい彼女のところへ引っ越して、今は音沙汰もない。

―あの、ちょっと聞いてもいいですか。

 通りがかりらしい上市民キイロの男女二人連れの、女のほうが好奇心を抑えながら質問してきた。シツレイノナイヨウニ。

―何かここで催しか、事件でもあるのでしょうか。

―俺たちも見てていいですかね。

ちらりと母を意識する。カエシテオイタホウガブナン。即答である。はいはい。

―すみませんね、僕も仕事なのでここにいるんですが、ここにおいでの王族のどなたかに身元が保証していただけるのでなければ、お帰りになったほうがいいと思います。

―そうなんですか。ありがとうございました。

二人は落胆した様子で礼を述べると、離れていった。夜明けまでには速報出すから、勘弁してよな。

―兄さんは誰の権限でいるんだい。

いつの間に来たのか、後ろに普段着姿の高位市民ミドリの男がいた。さらりと表をさぐる。隠しもしない王宮警備要員の自意識(アイデンティティ)。私服警備中というやつだ。

―国内情報管理官です。お仕事お疲れ様です。

―なるほど、そりゃあここにいなきゃ仕事にならんよな。念のために名前聞いといてもいいかい。

―アーセネイユ・オジェンス、王都担当情報管理官です。

名のり終えないうちに、横にもう一人現れた。イイ、カクニントレタ。ソレヨリ…

―オツキニナッタ!!!

 大波のようなどよめきで、個人の伝えたいことなどかき消されてしまった。特設の大きめの筐は中に誰かが着いた証に明りがともっている。内部の人の気配と対照的に外の群衆は静まり返った。シールがあいた。

 現れたのは、奇妙な服装の異星人だ。膝から下があらわになる短めの織物を一枚腰から垂らし、上半身は緩く体型をなぞったデザイン性の高い衣服を数枚重ねている。淡い紅褐色の肌と真っ黒な髪、これも黒に近い褐色の瞳。だが黙ったまま群衆を眺めるまなざしには驚きも恐れもない。毅然としている。一歩二歩と歩みだしているが樹脂タイルは何の音も靴跡も表していない。当然だ。この方こそ異体転移しておられるものの、われらの新王!

―お帰りをお待ち申し上げておりました。……ルシカ公。

目線を下げて一歩進み出た男がいた。アイツ、キンチョウデ、ナマエワスレタナ。かすかな失笑が広がる。新王選定委員長は賢者の年合いで、長年、先のミトラ王と政務をつないでいた、信頼は高いけれど専ら裏方に徹してきた御仁だとか。揶揄するのは僕と大差ない、若い世代だろう。こんな大舞台じゃ緊張するのも仕方ないだろうに。ヒメサマ、ト、ヨビカケナカッタダケ、マシトイウモノヨ。マア、るしかコウニハ、チガイナイテ。こそこそ話がやまない。 

―出迎えありがとう、というべきところ?

群衆をもう一渡り見回すと、目の前の新王選定委員長に彼女は尋ねた。、

―で、わたしはこのあとどうすればいいのかしら。このまま試技をするとか?

―試技と言われるということは、啓示を受けられたとみなしてよいのですな。アルシノエ・ルシカ公?

―そういうこと。王はわたしよ。

 不意にふわりと調整されてない空気がただよってきた。外宇宙のにおい。人々の息や汗のにおい、食べ物や化粧・衣服の香り、ペットや守護獣たちの毛皮や分泌物の醸す雰囲気、そういったものが混ざった空気だ。それはあっという間に僕の記憶を果てしなく引きずり出すと、また瞬時にここの空気に溶けて薄まり、調整されていってしまった。なつかしい外のにおい…。

 つと、委員長が片膝をついた。それを合図に波のような音が広がった。人々が一斉に動き出したことによる衣擦れの音。あれってこんなに大きな音に聞こえるのか?

 その場にいる王族全員が目線を落とし片膝をついたのだった。恭順の姿勢。柱の陰の僕は圧倒されたまま、呆然とする。

―ミトラ新王、われら一同、あらためてご帰還をお慶び申し上げる。

―その異体のままでは十分にお力を示せません。ご自身の成人体おからだにお戻りの上、試技は改めて後日に。

―臨時のお部屋を支度してございますので、しばしそちらにてお寛ぎを。

 よどみない用意された科白。それ以外無音。ここからは王族アオたちによる「出来上がった世界」だ。予知能力がない高位市民ミドリの僕には場違いな世界。どうしよう、どうすればいい? こういう時に母に雑音を入れると、無視された挙句、後で死ぬほど叱りとばされるがオチだ。

―承知。

 王がゆっくりとこちらを向いて、笑いかけてきた気がした。なに? 紛れ込んでるのばれた?

―諸姉、諸兄、出迎え大儀でした。解散を。

 はらりと空気がほどけた。ほっとして息をつくと、例によって群衆の粗方はもうどこにもいない。はああ、よかった。よーし、これで速報入れよう。朝までにはミトラ王都、白砂市のみんなが新王が決まったことを知って喜ぶだろう。


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