Red Spiderweb / 古狸楽 霊多 作

名古屋市立大学文藝部

Red Spiderweb

「じゃあね~」

「またな~」

 居酒屋の前でそれぞれが手を振りあって別れる。帰る方向に足を動かし、それぞれの家路をたどる。

「悪いね~、今日も送ってもらっちゃって」

「かまわないよ。同じ方向に帰るの知世ともよだけだし」

「じゃあ、お言葉に甘えて。でも、わたるはよかったの? お酒飲まなくて」

「俺が下戸げこなの知ってるでしょ?」

「まあね。というか、車って仕事で乗り回してるっていうトラックじゃないよね?」

「社用車でゼミの同窓会に来るわけないでしょ」

「あはは、だよね~」

「ほんと、知世は酔っぱらうと冗談多くなるよな~」

「えへへ~」

「ほめてないから」

 大学の同級生が少し大人になってする何気ないやり取りをしている間に、二人は航が車を停めていた駐車場に着いた。

「料金払ってくるから、ちょっと散らかってるけど車で待ってて」

「うん、わかった」

 航が精算している間に、知世は助手席に座った。航の言う通り、程々に清潔感がなく散らかっていた。忙しいからでもあるだろうが、元からこうだったなとも振り返っていた。

 知世と航は高校生からの同級生だ。航がどういう人間かということを知世はおおむねわかっている。逆もまた同じで、航も知世の酔った時のあしらい方をある程度わかっている。

「おまたせ。じゃあ行こうか」

「こういうのを女の子は見るんだぞ~」

 知世は先ほど見つけたジャンクフードの包装紙をつまんで、航に見せびらかした。

「そういうことをする子は終電のなくなった駅で下ろします」

「それは本当に勘弁してください」

「ははは。冗談だよ。明日朝早くから用事あるんでしょ。いつものところでいいよね?」

 知世は小さくうなずき、悪戯につかった紙をごみ袋の中にしまった。

 車がゆっくりと走り出す。ハイブリッドカーなのもあって、走っていてもとても静かで知世は思わずあくびをした。

「しかしまさか結婚するの一番早いのが知世だとは、個人的には意外だったな~」

 知世は自分の名前を呼ばれたことで、話を続けなければと、会話をつないだ。

「そう? 大学通ってた時から彼氏はいたからそんなこと思わなかったけど」

「俺はてっきり佐藤か鈴木だと思ってたけど」

「ああ~、二人ともチャラ男だったもんね」

「でも今日見たらさ、なんか急に大人びたっていうか、四年って早いな~って思ったわ」

「大学と同じ年月って思えばあっという間じゃない?」

「それもそうだな」

 少し会話に間が開いて、知世は今度こそ眠ろうと、目をつむった時、航が再び話を振ってきた。

「お相手はさっき言ってた大学の時の彼氏?」

「そうだよ」

「あの時いろいろあったよな~」

 感慨深そうにそう話す航を見て、知世は当時のことをふと思い出す。そういえば、航はその時に相談相手になってくれていたということを思い出した。

「あ、あの時はほんと、ごめん」

「なんで謝るのさ」

「だって、あの時は凄い迷惑かけたじゃん……」

「別に迷惑だなんて思ってないよ」

「なら、いいんだけど」

「大介さん、今頃どうしてんだろうね」

「別にどうなっててもいいよ。あんな人。元カレだったのが恥ずかしい」

「ははは、相当嫌いじゃん」

「当たり前だよ。まあ、もうかかわることもないとは思うけど」

「大介さんはまだ好きだったり」

「冗談でもやめて」

「いや、この前大介さんから久しぶりに連絡がきたんだ。知世がらみの話で」

「は?」

 知世の眠気は完全に覚め、その話を聞かずにはいられなくなった。目を大きく見開き、ポカンと力なく開いた口を見て、航は正面の赤信号に目をやった。

「あ~、やっぱりこの話すべきじゃなかったかな。忘れてくれ」

 ごまかそうとする航を見て、知世は逆に聞かずにはいられなかった。

「え、ちょっとそのやり取り見たいんだけど」

「やだ」

「いいから」

 そうして、スマホホルダーにナビとして置いてあった航のスマホを奪い取って、すぐさまLINEを開いた。

「はあ、もう高速入っちゃうから降りるまでだからな」

 画面に夢中になっている知世を見て、航は子どものいたずらを見て呆れる親のようにため息をついた。

 知世は知世で、開けてはいけない箱を半分開けた状態でドギマギしていた。衝動的に手に取ってしまったはいいが、今閉じて返してしまえば、何事もなく終わるような気もしている。

 だが、やはり知りたかった。三年以上も前に終わったはずの恋愛をいまだに引きずっているロクデナシが今、何を思っているのか。自分の身の危険も考えても見ておきたかった。

「井田さん、お忙しい中、すみませんでした」

 そんなメッセージが最後だった。身内じゃない他人には妙に社交的にふるまっている感じ。初めて会った時もそうだったと思い出す。意外と長文のやり取りが多く、そのまま上にスクロールしていくと、いつの間にか最初の部分にたどりついた。

 この際、過去のことも含め、いろいろ見ておきたくなった。

 履歴の最初は今から四年前の内容だった。どうやら、音楽イベントで一緒になった時の話をしている。そこから、大介が唐突に航に話を切り出した。

「話は突然変わるんですけど、千葉知世さんってご存じですか。SNSのプロフィールから、同級生だと思うんですけど」

 この時、知世は大介と別れたばかりで、新しい、もとい結婚相手と恋仲になったばかりの頃だ。そして、大介のLINEやSNSをブロックしたのもこの時期だ。

 つまり当時の大介は外堀から埋めようと、友人である航をダシによりを戻そうとしているのだ。当時の航は何も知らなかったからか、自分のことを「同じ高校で同じゼミです」と、嘘偽りなく答えている。

 そこから、大介の自分語りが始まった。大介と知世の関係と何があったのかなどを航が返事をはさむスキさえ与えないほどワンサイドで。

 かいつまんで話せば、知世にフラれてからというもの、大介は自分磨きをして虎視眈々こしたんたんとよりを戻す機会をうかがっていた。だが、すでに知世には新しい彼氏がいた。

 これで終われば、ただ男が女にフラれたというだけで終わる。しかし、大介はどういうわけか航にこんな提案をしたのだ。

「知世さんの友人の方にテーマパークのチケットを知世さんの分を含めてお渡しするので、僕の代わりに彼女が笑顔でいられる時間を作ってあげていただけないでしょうか?もちろん、彼女には内緒で」

 知世は胸糞悪くなった。こういった自己中心的なところが何より気に入らなかった。そんな部分が日常的に見え隠れしているのは付き合ってすぐから知っていた。それでも、誠意を持って告白してくれた人を変わる可能性を無視してまで見限るのは気が引けた。

 デートの時も、自分が決めたことを変えようとしない。話の内容は自分の話ばかりで、知世の話を聞こうともしなかった。だんだん直接会って話すこと自体がおつくうになり、知世からLINEで別れを切り出したということを思い出した。

 冷静に考えればわかるはずだ。嫌になって別れた元カレにお膳立てされた旅行にいったい誰が行きたいだろうか。そんな相手の気持ちも考えられない自分勝手さに知世の開いた口がふさがらない。

 そんな話を振られた航は、一日考え込んで、航もかなりの長文で回答していた。

「いろいろ考えましたが、大介さんのプランはよろしくないのではないかと思いました。彼女は大介さんと別れて一年弱の時間が経過し、すでに新しい彼氏もいます。彼女が新たな恋に踏み出しているのであれば、大介さんも新しい恋に踏み出してみるべきではないでしょうか。

 それと、彼女は彼女で先日友人たちと北海道に旅行に行ったり、公務員試験のために勉強したりと、充実した毎日を送っています。だから、大介さんが何かしなくても、彼女はいろんな思い出を作っているんです。

 これは、個人的な意見ですが、恋愛のいざこざは当人たちで解決すべきと考えています。なので、僕や友人を巻き込むのではなく、自分で行動してみてはいかがでしょうか。それと、彼女の幸せを願うのであれば、無理に干渉しない方が良いと思います。判断は大介さんにお任せいたします」

 航はまじめすぎるなと知世は思った。こんな話、「馬鹿じゃないの? あきらめろ」で一蹴してしまえばいいのにと思った。

 あまりにもまじめに接するものだから、大介はつけあがって、知世の友人を紹介してほしい理由をつらつらと述べ始めた。

「僕は彼女と和解したいだけです。『元カレ』『元カノ』という肩書きを一切なくして仲直りしたいのです。

 この一年で僕の性格は正反対になりました。だからこそ今の自分を見ようともしてくれないことに虚しさを感じるのです。

 恋愛感情がなくなったからって絶縁関係にならなくたっていいと思うんです。また何かのきっかけで出会うかもしれません。その時に悲しい思い出が頭をよぎりたくないんです。

 それと、自分の境遇を言い訳にして彼女と遊びに行くことをあまりしなかった。あの子を楽しませることができなかった自分に凄い不快感を覚えます。思い出すだけで吐き気が止まらなくなるほどです。だから、付き合っていた時にできなかったことを今することで過去の自分と決別したいんです。

 一度しかお会いしたことのない方にこのようなお話をするのは、大変心苦しいのですが、ご助力いただけないでしょうか」

 それに対する航はどのようなリアクションを取ったのか。航の様子をちらっと見たが、運転に集中してくれているようだったので、引き続き読み進めた。

「そこまで強い意志があるなら直接お会いしてはどうでしょう」

「残念ながら会いに行って拒まれているんです。だからこうしてお願いしているんです」

 ああ、そういえばそうだったと知世は思い出した。大介とはバイト先で知り合ったから、彼が社会人になってバイトを辞めていても、場所を知っていた。だからバイト先に押しかけてきたんだ。そして、バイトの時に私の履歴書か何かを盗み見たのか、住所までしっかり知っていた。実際に家まで行くことはなかったらしいが、このメッセージを考えれば、大介は状況次第で、家に押しかけてくる可能性もあったということだ。そう考えたら、知世は吐き気が止まらなくなった。

「ごめん、航。このごみ袋借りるね」

 そして、今日食べたものも飲んだ酒も全部出しそうなほど吐き出した。

「お、おい。大丈夫か!? すぐ降りてコンビニ寄るから、ちょっと待ってろ」

「いい。酔ったわけじゃないから」

「そんなわけにはいかないだろう。とりあえず降りるからな。ちょっと休憩しよう」

 航はそう言って次の出口で降り、降りてすぐのコンビニで駐車した。

「外出られそうか?」

「うん」

「便所行くか?」

「行かない。平気だから」

「そんなこと言われたって信用できないけど。じゃあとりあえずごみ捨てて水買ってくるから、ここで待ってて」

 そう言って航はコンビニの中に入っていった。航はこうやって他人のことを思って行動できるいいやつだと、知世は改めて思った。

 実際に航は大介を思って、知世の友人であった広瀬に話を持ち出したのである。広瀬には大介とのことでさんざん愚痴を聞いてもらっていたから、その話を航がした時、航に大介の危険度を小一時間話していたのを覚えている。

 結局、知世、航、広瀬の三人で話し合って、無視を貫くという結論に至り、そのあとの直接的なやり取りはすべて航が請け負った。大介もあきらめが悪く、こんな問答を三回ほど繰り返してようやく連絡が来なくなった。

 誰かのために行動できる。そんな優しさや配慮が大介に少しでもあったならと思う。そうしたら少なくともかたくなに拒否するような関係にはならなかったんじゃないかと。大介が願った「せめて一度会いたい」をかなえてあげてもよかったのではと、知世は思った。

「おまたせ、買ってきた」

「ありがとう」

 戻ってきた航からペットボトルの飲料水を受け取る。冷蔵ストッカーから取り出したばかりで冷えた水が知世の頭を冷静にさせた。

「体調どうだ?」

「だいぶ、よくなった。ごめんね、迷惑かけて」

「このくらい迷惑だって思ってないよ。にしても、飲みすぎ。お相手さんに怒られるんじゃない?」

「そんなことで怒んないよ。そういう素敵な人だから」

「そっか、それはよかった。どっかの誰かさんとは違うわけか」

「その通りだよ」

 知世は侮蔑の混じった薄ら笑いをしてそう言った。

「そういえば、大介さん。最近彼女できたらしいよ。久しぶりに連絡よこしてきて、そう言ってた」

「へえ。彼女さんかわいそうに。私みたいなことにならないといいけど」

「どうだかな~、三年たっても君のことを忘れられずに俺に連絡をよこすような成長のない人だからなあ。また二の舞になりそうだけど」

「あの人、私のことはどう言ってたの?」

「LINEの内容見る?」

「いい。そのまま見るとまた吐き気を催すから。でも内容はざっくり教えてほしい」

「じゃあ、それは帰りの車で。乗れそう?」

「もう大丈夫」

 そのあとは車の中で大介と航がどのようなやり取りをしていたのかを話してくれた。大介が有名な神社に行って、知世の就職活動の祈願をしたり、大介の家庭事情が悪くなったことを口実に会えないかと言ってきたりしたことを話した。改めて情けない男だと、知世は呆れかえっていた。

 そして、航が三年振りにもらった連絡は、大介の喧嘩別れした友人が急死した精神的ショックから、知世と仲直りしておきたいというものだった。

「何それ? 自分勝手もいいところだよね」

「さすがに呆れたよね。もうあきらめてくれって一蹴したけど。しかも質が悪いのは、今新しい彼女がいるのに平気でそんなこと言える神経が理解できない」

「え、それってさ」

「傍から見たら浮気だぜ? よくもまあ、そんなこと言えるよなぁと思ったよ。挙句の果てには、知世のことをよくわからないだの怖いだの言う始末だ」

「よくわかんないのそっちでしょ。むしろ怖がってんのはこっちなんですけど」

「だよな~。まあ、外野から言わせてもらえば、さっさと別れて終了でいいんだよな。お互い別々に幸せになればいいんだよ」

「本当にそう。いいこと言うじゃん」

「だろ?」

 得意気になる航に知世は苦笑いする。長いようで短いドライブは終わろうとしている。知世と航の集合場所は、決まって知世の自宅近くのスーパーだった。学生の頃から時がたっても変わっていなかった。

「あそこでいいか?」

「うん、あとは帰れるから大丈夫」

 夜も更け、誰もいないだだっ広い駐車場の中、一台の車が停車した。

「いろいろとありがとう。大介のことも含めて」

「ああ。そんなのたいしたことないよ」

「よかった。やっぱり航はいいやつだ」

 知世は自分の荷物を持った時、大介に一つ尋ねた。

「一つだけ聞いてもいい?」

「ん、何?」

「航はさ、彼女とか作んないの?」

 航は少し考えて、片方の口角だけを上げて明るく答えた。

「知世より可愛い子がいたら付き合うかもね」

「何それ。ウケる」

「だな」

 二人で笑いあう。その瞬間だけ、教室の中で何気ない話をしていた二人に時間が巻き戻ったかのようだった。

 そして、知世はドアを開け、車から降りた。

「それじゃ、またね」

「次会うのはいつだろうな」

「結婚式には招待してあげる」

「そいつはうれしいね。じゃあ、また」

 航の車はゆっくり走り出し、知世は車が見えなくなるまで、小さくだがずっと手を振った。そして航が走っていった道と逆方向に歩き出した。




 少し古いカーステレオで一人音楽を聴きながら車を走らせていた。

 流しているのは一昔前に一世を風靡ふうびしたバンドのアルバム。学生の頃、音楽プレーヤーに入れてよく聞いていたお気に入りのアルバムだった。

 その中に一曲、哀れな失恋の歌があった。決して有名ではないその楽曲だが、時に誰かに強く刺さることもある。

 どうしても君じゃなきゃダメなんだと嘆く歌声は、どことなく大介に近いものを感じていた。

 だが、この歌は今の航をえぐるような曲だった。

 学生の頃からずっと知世のことが好きだった。理由は一目惚れ。薄っぺらいが、一番ありふれた話だ。どうやって思いを伝えたらいいのか。どうすれば振り向いてもらえるのか。そんなことを考えてばかりいた。

 けれど、航はどんなことにおいても波風を立てるのが嫌だった。学生は恋愛話なんて大好物だ。その当事者になって関係がこじれてしまうのはまっぴらごめんだった。

 そして出した結論は、ただ待っているということだった。運命の赤い糸で結ばれているなら、どんな状況になっても結ばれる。そう妄信していた。

 だが、いつまでたっても結ばれることはないばかりか、いつしか大介と恋仲になり、最終的には別の男と結婚する始末だ。運命の赤い糸で作った蜘蛛の巣で待っているだけではいけないと気づいて、大介の件で恋愛相談に乗った頃には、すでに遅かったのだ。

 車の中で航はどうして知世だったのだろうと思う。運命の赤い糸でなどつながっていない。そう気づいても、ほかの誰かに言い寄られたチャンスですら見向きさえできなかった。自分は、いったい何に執着していたんだろう。

 そして、今もなお、知世のことが忘れられないのだ。今はただ、運命の赤い糸などを信じていた自分の哀れさをこの歌にのせて歌うことしかできなかった。

 もし、自分にも運命の赤い糸でつながっている人がいるとすれば、どんな人なんだろう。少なくとも、今はそんなことを考えることはできなかった。

 曲が終わり、次の曲との行間のわずか数秒の無音。

「今日くらいは、酒でも飲んでみようかな」

 虚しくつぶやいた航はイントロが流れ出したポップな音楽を止めた。

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