第4話

数秒か、それとも数時間か。

どれくらい時間が経ったか分からない。



とつぜん現れた白い熊。一方的な暴力。免れないと思っていた死。どこからともなく聴こえた銃声。今たしかに打っている鼓動。

「生きている。僕は今…生きている」

その事実を頭が理解するまでに、しばらく時が必要だった。



気づけば、いつの間にか完全に日が暮れていて、ただでさえうっそうと繁った山の中は深い闇に呑まれている。

それでも森の中がなんとなく明るいと感じるのは、暗闇に目が慣れてきたというだけでなく、木々の合間を縫って、月の光が地面を照らしているからだろう。


ばりばりに割れたフロントガラスの外。のろのろと視線だけを上へ向けて、空を見る。

今は遠く、陽気な気分で車を走らせていた今日の昼頃。ドライブ中のBGMとして流していた地方局のラジオが言っていたとおり、今夜は雲ひとつない夜空に美しい満月が浮かんでいた。


輝く月を呆然と眺めて、それからふうっと、ひとつ息を吐き、僕はハンドルから指をはがしにかかる。

ゆっくりと、一本ずつ。人差し指から順番に。右手から、左手へ。

強張った手をぐーぱー、ぐーぱー。握って開いて、開いて握る。

その後、固まった身体を少しずつ解していく。全身が動くことを確認する。

そうして見るも無惨な姿となった愛車から、重い身体をなんとか外へ出す。

月明かりの下、今度は目視で身体に異常がないか確かめる。

そこここから血は流れているけど、かすり傷程度だろう。とりあえず、持ってきていたハンカチで血を拭う。

あちこちアザだらけではあるが、大きく腫れて熱を持っている箇所もない。

大丈夫だ。

ハンカチと一緒にリュックに詰めてあった懐中電灯を手に、僕は森の方へと歩いて行く。


鼓動は未だ落ち着かないが、それでも行かなければならない。

白熊が咆哮をあげて走り去った方、銃声がした場所へ。

車は壊れてしまって動かないし、携帯電話は繋がらない。

もともと人通りのない山奥なので、夜中となれば通りかかりに救助を求むというのも望み薄だ。

本来ならば僕はこのまま、ここで朝と助けを待つべきなのだろう。けれど、あの白熊が一匹だけとは限らない。

もし、また襲われたら?それも複数いたとしたら?


拾った命が僕を臆病者にする。

死ぬのは嫌だ。命が惜しい。


これは賭けだ。

先程聞こえた声からして、あの怪物は死んでいるはずだ。

熊を撃っていたということことは、おそらく銃声の主は猟師の可能性が高い。

その人がまだ生きているのなら、助けてもらえるかもしれない。


そんな都合のよい想像ばかり巡らせて、僕は闇の中へと足を踏み入れて行った。



今になって思う。

なぜ忍耐強く、朝までじっとしていなかったのか。

なぜあの時、来た道を素直に引き返さなかったのか。

そうすれば、あんなめに合わなくてすんだのに…。

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誰の悪夢か はるむら さき @haru61a39

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