第12話 「すれ違い」



「お母さん……帰ってたんだね」


 仕事でいつも家を空けていたので、こうやって顔を合わせ話すのは久方ぶりである。

 夜遅くに帰宅しても居ないことの方が多い。

 居たとしても一言交わす程度なので居ないにも等しかったが、そこに存在していると意識するだけで重圧が凄まじかった。

 母親という存在をアヤメは恐れていたのだ。


「そんな事はどうでもいいわ。それよりもアナタ、私に何か隠し事をしてるでしょ?」

「!! そ、そんなことは……」


 普段の彼女ならポーカーフェイスで凌げることができるはずが、母親の前では怖気ついて、図星のような反応をしてしまう。


「こんなにお金を貯めて、一体何を企んでいるのよ?」


 部屋の押し入れに隠していた通帳を見せつけられアヤメは戦慄する。

 アルバイトのことは母親には話していない。

 勿論、通帳に記されている数十万の貯金もだ。


「……言わなかったら、どうするの?」


 アヤメは引きつった表情で訊いた。


「相応の対処をするわ。言ってもいいけど、私を納得させることが出来なきゃ、どっちみち変わらないけどね」

「……それじゃ、お母さん絶対納得しないじゃん」

「は?」

「私ね、高校を卒業したら歌手になりたい」


 ここで隠しても意味がないことを悟ったアヤメは、母親の顔を真っ直ぐに見ながら答えた。

 成りたいというハッキリとした意志を交え、それを声にしたのだ。


「……高卒だって? なにそれ、許されると思ってるの?」


 アヤメの母親は怪訝な顔をしながら、まるで異常者を見るかのような目を娘に向ける。

 母親に一番されたくない表情にアヤメは怯んでしまう。


「成績は申し分ない。大学を卒業して安定した職業についた方が、よっぽど良いに決まってるじゃない!」

「これは私の夢なの! お母さんにとやかく言われる筋合いはない! これは私の人生! お母さんはいつもそう……私のすることをいつも否定して、一度たりとも肯定したことがない! 応援したことがない!」

「綾目! 親に向かってなによ! その口の聞き方は!?」


 激情した母親にアヤメは本気で頬を叩かれ、その拍子にかけていた眼鏡を落としてしまう。

 予想もしていなかった最悪の状況に、二人は呆然と立ち尽くしていた。

 痛みと、母親に殴られたという事実にアヤメは瞳を熱くする。


「お母さんの……ばかっ」


 涙を流していた。

 母親に呼び止められようとアヤメは足を止めず、自分の部屋へと逃げ込んだ。

 開けるようにと扉を叩かれるが、部屋の隅っこで彼女は両耳を塞いでいた。


 夢を否定されることの辛さを、ようやく理解することができたアヤメの脳裏に過ぎるのは、音楽室で出会ったあの青年だった。




 ———





 腹部を殴られたあとに蹴り飛ばされた俺は床に倒れてしまう。

 複数人の男女に囲まれ、蔑まれていた。


「ユリと仲良いからって調子に乗んじゃねぇよカス野郎。彼女の頼み事だから連れていくことを許したが、側にいるだけでこっちは恥ずかしいんだよ。空気読めよ陰キャがよ」


 髪を鷲掴みにされ、金髪のチャラ男に顔元で本音を吐かれる。

 俺の意志で付いていったわけではない。

 ユリが来るよう強要したから、俺は仕方なく言う通りにしかできなかったのだ。

 それをコイツらに説明したところで、きっと納得はされないので黙っておくことにした。

 裏でユリの友人達から理不尽にリンチされようが我慢するしかなかった。


 断ってもデメリット。

 受け入れてもデメリット。

 結局、俺の人生はそうでもしないと回らないらしい不幸体質だ。


 せっかく、また続けてみようかと思っていた絵の道もユリにすべて捨てるように言い渡され、それに従うしかなかった。

 学校裏、倉庫前の地面に倒れ込みながら、改めて自分の人生というものを振り返り苦笑いしていた。

 あまりにも悲劇的すぎて笑うしかなかったのだ。


(さっさと教室に戻ろう)


 校舎の中へと入り、しわくちゃになったワイシャツを直しながら階段を上る。

 一人感傷に浸っていると上から気配がした。

 というか声がした。

 まるで会いたくもなかった人を見つけて漏らすような声だ。

 その声だけで、階段の上にいる人物が誰なのかを分かってしまう。


 分かってしまったことを後悔した。

 俯いたまま、上にいる彼女と目を合わせないよう階段を上る。

 一歩、進むたびに汗が頬を伝って垂れていた。

 この上ないぐらい心臓もバクバクしていた。


 立ち止まって自分の想いを伝えたかったが、そうしてしまったら最後だ。

 ユリの目がどこまで届いているのかを分からない以上は無闇に喋りかけることができない。

 やるせない気持ちのまま俺はどんな表情をしているのかも分からない彼女の横を、潔く通り過ぎるのだった。


 それでも、祈ることぐらいは許してほしい。

 彼女の夢が叶いますようにと。





             第一章 終

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