第9話 「最悪」



「ねぇ、その女だれ?」



 昔から何度もユリの凶暴性を目の当たりにしている。見慣れている筈なのに、光の消えた瞳を向けてくる彼女をいざ直視すれば体が震えてしまう。


 隣でアヤメは唖然としていた。

 すぐさま彼女を背中に隠し、一呼吸おいてから口を開く。


「そういうお前こそ……ここで何してるんだよ? まさか、お得意の待ち伏せの練習か?」


「いいから答えてよソラ。これは重要なことなの………はぐらかさないで」


 鋭い眼光に背筋が凍える。

 一瞬、ひるみそうになりながらも背後で動揺をしているアヤメの事を思い、踏ん張ってみせた。


「あの時、私一緒にデートに行こうって誘ったよね? それなのにソラは断った。断るのには相当な理由があるはずって最初は納得したんだよ。それなのに私を差し置いて別の女と楽しそうに……!!」


 髪の毛を両手でクシャクシャにしながら、世にも恐ろしい形相でユリはこちらを睨みつけてきた。


「許さない……許さない!!」



 不味いと思った。

 一度でもヒステリックになれば彼女は止まらない。

 学校が始まったら間違いなく、立場を行使したユリによってアヤメは虐めの対象になってしまう。


 そうやってユリは今まで俺に近づいた女の子を排除してきた。少しでも微笑みかけてきたりしたら、その子の学校生活は終わりだ。

 だからこそ教室の女子達は極力、俺に話しかけたりはしなかった。


「その女は、誰なんだよ!! ああ!?」


 幸い、アヤメの正体はまだ知られていない。

 学校では地味な感じで過ごしてきたおかげで、今の大人びた見た目の彼女を前にしても、すぐには勘づけないだろう。


「……アヤメ」


 小声で声をかける。

 彼女は慌てながら、こちらを上目遣いで見つめた。


「声…………出すんじゃねぇぞ!!!」



 アヤメの手を引いて、その場から逃げる。

 最初は驚きながらも状況を微かに把握したアヤメは何も言わずに走り出してくれた。


「ねぇ! なんで逃げるのよ!? まだ話は終わってないわよ!!」


 奇声にも似た声で呼び止められるが、あんな危険な状態の幼馴染と会話をしたところで、最悪な結末になる予感しかしない。


 全力疾走をする。

 必死に走るアヤメの呼吸が荒々しい。

 まさか、もう息切れしたのか。


「ちょっ、キャッ!?」


 この調子じゃバテて倒れかねないので、手を引くのをやめて代わりにおんぶをした。

 流石は女の子と言うべきか軽い。

 だが両手に持っている買い物袋が重いので、体力がいつにも増して削られてしまう。

 それでも、アヤメを置いていくよりもマシだ。


 不安になりながら振り返る。

 予想通りだが、やはり追われていた。

 人を殺さんとばかりの凶器じみた眼光で走ってきていたのだ。


 サッカー部のエースとして活躍している彼女から逃げられるはずがない。それでも走り続けるしかないと思った。


 それはアヤメを守る為でもあり自分の為でもあった。


「———!!!」


 次、曲がろうとした角から車が飛び出し、反射的に足を止めてしまう。

 あのまま進んでいたら間違いなくおぶっているアヤメもろとも車と衝突していただろう。


 バクバクとする心臓を感じとりながら固まっていると。数秒後、『逃げろ』という指令が脳から身体のあらゆる機能へと到達する前に、俺は背後から突き飛ばされていた。

 同じくアヤメもアスファルトの上に倒れてしまう。

 買い物袋や荷物がそこらに散乱していた。

 いや、今はそんなことよりもアヤメの方が優先だ。


 彼女の元へと駆け寄るため、立ち上がろうとした俺はその瞬間、痛みに顔を歪めていた。

 足を少しだけ捻ってしまったらしい。


「キャッ!?」


 アヤメが悲鳴を上げた。

 既に追いついていたユリに押さえ込まれたのだ。


「………アンタが誰かだなんて直接口で聞かなくても」


 周囲に散乱していた物の中の、アヤメの鞄を手にとりユリはその中から彼女の財布を取り出した。


「勝手に触らないでください!!」


 身勝手な行動をするユリに、アヤメは激怒して抵抗するが敵うはずもなくふたたび押さえられてしまう。


 ユリに奪われたのだ。

 学生証を、身分がバレてしまう物を。


「———!! 同じ学校…… 阿澄綾目って、嘘でしょ……ずっと教室の隅にいた、あの阿澄さん?」


 想定していた最悪の状況になってしまった。

 一番知られたくなかった存在に、アヤメとの繋がりを知られてしまったからだ。

 言い訳なんか通じるはずもない。

 ユリとの付き合いが長いからこそ、それを誰よりも知っている。




「阿澄さん……ソラと知り合いだったんだ」


 光の消えた瞳でアヤメを睨みつける理由も、不敵な笑みを浮かべる意図でさえ手に取るように分かっていた。

 このままでは終わらない。

 本当の地獄が待っていたのだ———

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