第8話 「夜道に御用心」
午前九時。
待ち合わせの最寄駅にやってきたアヤメを見て、息を飲んだ。
出会った日の彼女の印象は、他の子と比べて地味という感想しか抱いていなかった。
しかし接するうちに彼女には彼女なりの美しさがあることには薄々気づいていたのだが、今日は一段とその印象が覆されることとなった。
「……お待たせしました」
白のフリルスリーブブラウス、膝まで伸びる黒のハイウェストスカート。
胸元には襟を結ぶリボンが揺れており、外出用の服装にしては気合の入れようだ。
そのせいか、いつもより増して大人びえて見えた。
「まじまじと見つめて……どうかしたんですか?」
「あ、ええ、と……その……今日、眼鏡じゃないんだね」
「はい、コンタクトです」
シンボルとも言っていい眼鏡をかけていないアヤメ。彼女から声をかけてこなければ完全に別人だと思い込んでいただろう。
しかし何故コンタクトにして来たのか。
女性向け雑誌に載るような人気ファッション、そしてコンタクト。
まさか俺の為に———
「深い意味はないですよ、ただの気分」
思ったよりアッサリとした理由に肩を落とす。
それもそうだ、あくまで俺の都合に付き合っているだけでデートに来たわけではない。
学校内では大人しめだけど、普段からはこういう雰囲気の女の子なのだろう。
期待した俺が馬鹿だった。
「では、ほら」
手を差し出され、頭を傾げる。
なんだ今回付き合ってあげた分の報酬を求められているのか。
そんな反応をしているとアヤメは少し不機嫌そうになりながらも口を開いてくれた。
「休日の朝でも都会は混みます。万が一はぐれる可能性があるかもしれませんので……手を繋ぎましょ」
『手を繋ぐ』部分で目を逸らすアヤメの仕草に、心を打たれるような感じがした。
彼女の方も若干頰を赤らめている。
「い、一理あるな」
言うとおり手を掴み、アヤメを引き寄せる。
細く、華奢な彼女の指に自分の指を重ねるだけ、その動作すべてが別世界のように難しい。
顔がカッと熱くなり、堪え切れず下唇を噛む。
ユリにされているとは訳が違う。
服や髪がしっかり整っているのか、息は荒くないのか、手汗は大丈夫なのか。
アヤメが傍に寄ってくればくるほど色々と意識してしまう。
「……」
見慣れた無機質な表情のアヤメを横目で見る。
満更でもない様子で、意識しているのは自分の方だけかと思い、無性に寂しくなってしまう。
がたがたがた。
と右手から腕まで震えている。
いや、自分ではなく掴んでいるアヤメの方だ。
さっきまでの平常心が嘘かのように滅茶苦茶震えていた。
苦虫を噛んだような顔で俯いており、俺の目線にも気づいてないようだ。
その横顔が妙に面白く、俺は笑っていた。
「買い物終わったら、アヤメの好きなところに連れてってやるよ」
「え、けど……」
「俺は本日一杯時間空いてるから、お前……じゃなくてアヤメが良ければだけど、付き合ってくれるか?」
「〜〜〜!! し、仕方ないですね! つ、付き合ってあげますけど、退屈にさせたら許しませんから……!!」
「うん、約束する」
友人などという親しい関係ではなく。
ましてや恋人同士でもない二人が、こうして手を繋ぎながら親密な関係のように、並んで街中を歩くという光景は奇妙にも捉えられるだろう。
だが確かに、二人は何らかの『縁』で結ばれているのだった。
その後。
買い物や食事、カラオケを存分に楽しんだ俺達はヘトヘトになりながら帰路に就いていた。
最寄駅で解散する予定が暑い季節が移ってからすぐ薄暗くなるため、アヤメを家まで送ることにした。
まさか夕刻まで付き合ってくれるとは思わなかったけど、人生で一番充実した時間だった。
劣等感を抱き続けていた心を浄化された気分だ。
それはアヤメの方も一緒のようで、固かった表情はもうそこにはなく、ただ満足そうに微笑んでいた。
「……男の人とお出掛けは初めてでした」
「それで、ご感想は?」
「心地良かったです……また誘ってくださいね」
アヤメは恥ずかしそうに、俯きながら言う。
「ああ、もちろん」
人通りの少ない住宅街を歩いている途中あることが頭に浮かび、それを口にしていた。
「アヤメって、いつも教室では一人でいるけど友達とかっているの?」
「……ええ、昔いましたよ。いまは不登校になって会えていませんけど」
「——!!」
不登校という単語に過剰な反応をしてしまう。
まさかと思いながら恐る恐る聞いてみた。
「えっと、その子が不登校になった理由って」
「さあ。私の耳には何も入ってきませんでしたので、それっきりです」
安堵するべきか曖昧だが。
ユリの奴が関わっている可能性が大きい。
しかし、それがアヤメの耳に届いていないのが幸いだ。
「なので、その子が不登校になってから完全に孤立してしまいお弁当は……」
「便所飯?」
女の子に対して、よくない下品な言葉を繰り出した自分を殴りたくなった。
一方のアヤメは気にしていないのか、冷静に話を続けた。
「いえ、倉庫飯です」
「倉庫飯??」
「校舎裏に体育の時間で使用するスポーツの道具が置かれている広い倉庫があるじゃないですか。あそこ、お昼になると準備がない限りは人が一切寄り付かないんですよ。ボッチにとって一人になれて落ち着ける理想郷です」
「悲しくなるからやめて」
そんな場所で昼食をとっていたのか。
俺の場合は強引にユリに引っ張られ知らない奴らに囲まれて、周囲から「誰コイツ?」のような視線を注がれながらお昼を取らされていたんだよな。
そう考えるとアヤメが羨ましい気もした。
「ん……あれって」
アヤメが立ち止まった。
その目線は今から通ろうとしている道の先に向けられており、辿るように見てみるとそこには人影があった。
少女が一人、何とも言えない表情をこちらに向けている。不自然に立ち尽くしており、どう見てもこちらに用があるようだった。
そんな少女を俺は知っていた。
知らないはずがなかった———
「やっときた」
針を直接脳に刺すような甘い声が、薄暗い夜道に響いた。
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